平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

1970年代を考える~「巨人の星」は高度経済成長と、戦前の価値観を乗り越える物語だった

2015年11月13日 | 1970年代を考える
「巨人の星」は、なかなか興味深いテキストだ。

 まず星一徹。
 絶対的な父親で、姉・明子は家に縛りつけられ、飛雄馬は一徹の価値観の支配下に置かれる。
 まさに戦前の家父長制度の価値観をもった存在だ。
 暴力をふるい、根性という精神主義と唱え、アメリカの大リーグを倒すためのギブスを飛雄馬を強要するあたりは、大日本帝国の軍隊のよう。
 そして、球界の王者ジャイアンツを至高のものと考えるあたりは、保守的で権威主義的。
 星一徹って、戦前の価値観をもったオヤジなのだ。

 一方、飛雄馬。
 当初、一徹に洗脳されていた彼は、魔送球というボールを長嶋茂雄を投げつけて敵意をあらわにする。
 これは何を意味するのか?
 長嶋茂雄……長嶋こそは戦後の日本の象徴だ。明るくて、ショーマンシップに溢れ、アメリカ的で、精神主義からは程遠くて。
 つまり飛雄馬が長嶋にボールを投げつけたのは、戦後日本への反抗だったのだ。
 戦前の価値観が戦後に牙をむいた。

 しかし、そんな飛雄馬も次第に戦後日本の価値観に目覚めていく。
 お金(契約金)にこだわり、遊びや恋愛やクリスマスパーティなど、まわりの人間がおこなっている青春を謳歌しようとする。
 一徹の呪縛や洗脳から解放され、「俺は父ちゃんの人形ではない」と反抗し、乗り越えようとする。
「巨人の星」の後半で描かれた、飛雄馬と一徹の対決は、戦後と戦前の戦いに他ならない。

 もうひとつ「巨人の星」には、こんな物語がある。
 貧乏人がのし上がっていく物語だ。
 金持ち代表は、花形満と伴宙太。貧乏代表は、飛雄馬と左門豊作。
「巨人の星」の前半では、まだ格差があった。
 しかし、飛雄馬と左門はプロ野球選手になることによりお金を稼ぎ、次第に豊かになっていく。
 左門豊作などは最終回で女番長・お京と結婚して幸せな家庭を築いてしまう。
 この物語こそ、まさに戦後日本である。
 高度経済成長により、飛雄馬も左門も一億総中流の仲間入りをしたのだ。
 左門は飛雄馬よりもさらに一歩進んで、小市民的な家庭を持つことができた。

 作品は時代を反映すると言われるが、「巨人の星」もまさに70年代の高度経済成長期を反映している。
 星飛雄馬の物語は、そのまま一億総中流になり、誰もが家庭を持ち、生活を楽しめるようになった時代にリンクする。
 では星一徹に代表される戦前の価値観はどこにいったか?
 現在、星一徹はパロディとして笑いになっているが、これこそは戦前の価値観が否定された証拠だろう。
 高度経済成長の豊かさは戦前の価値観を凌駕し、克服した。
 しかし、一億総中流・マイホーム主義という価値観が崩れているのも今の状況。
 現在はこれに代わる価値観が模索されている状況だと思うが、今後は、どのような価値観が出て来るのだろう?

 僕は星一徹はイヤだな。
 明るい長嶋茂雄がいいんだけど、ここから日本バンザイって方向に行くのはカッコ悪い気がする。


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