1970年代について考えてみようと思う。
1972年の連合赤軍による浅間山荘事件。
70年代を扱った本『70年代~若者が「若者」だった時代』(週刊金曜日)に拠れば、これによって世の中の空気は大きく変わっていったという。
ひとつは、政治的なものから消費的なものへの意向。
時代は高度成長期で、1970年には大阪で万国博覧会があったが、人々は豊かさを求めるようになった。
1974年にはベトナム戦争が終結して、運動家は闘うべき敵を失った。
ふたつめは、若者の二分化。
すなわち、
学生運動をやめて「このへんで足を洗おう」と企業戦士・サラリーマンになる人と、「会社人生を歩まなくたってどうにかなるさ」と街をさまよう人たちの二分化である。
この頃、僕は子供で、政治というよりは消費社会を享受している人間だったのですが、この辺の空気は何となくわかります。
で、会社人生を歩まず、街をウロウロしていた人たちは、どこに行ったか?
映画館・ライブハウス・芝居小屋・飲み屋・喫茶店……。
学生運動の熱狂を引きずって、街には余熱が残っていた。
反体制という空気が残り、燻っていた。
文化も多様だった。
アングラ演劇、日活ロマンポルノ、萌えとは異質なエロ劇画……。
現在で言うサブカルチャーですね。
僕はこれらに乗り遅れてしまった世代なので、実はすごく憧れています。
映画館・ライブハウス・芝居小屋・飲み屋・喫茶店などで熱く語る人たち。
反体制、社会から外れること。
大人になって、ビデオになった日活ロマンポルノや復刻版のエロ劇画を見た時の、恐ろしいものに触れるような、ドキドキした感じは今でも覚えています。
何しろ僕は、これらと対照的な、小市民・生活保守主義的価値観を当たり前のこととして信じていたので尚更です。
つまり、
・正社員になって就職すること
・経済、お金、重視
・家庭を持つこと
・学生運動なんかやったら連合赤軍になってしまいますよ、という恐怖。
1970年代。
この時代は、現在や僕自身を考える上で、重要な時代だと考えています。
これからも折りにふれて、さまざまな角度から考察していきます。
1972年の連合赤軍による浅間山荘事件。
70年代を扱った本『70年代~若者が「若者」だった時代』(週刊金曜日)に拠れば、これによって世の中の空気は大きく変わっていったという。
ひとつは、政治的なものから消費的なものへの意向。
時代は高度成長期で、1970年には大阪で万国博覧会があったが、人々は豊かさを求めるようになった。
1974年にはベトナム戦争が終結して、運動家は闘うべき敵を失った。
ふたつめは、若者の二分化。
すなわち、
学生運動をやめて「このへんで足を洗おう」と企業戦士・サラリーマンになる人と、「会社人生を歩まなくたってどうにかなるさ」と街をさまよう人たちの二分化である。
この頃、僕は子供で、政治というよりは消費社会を享受している人間だったのですが、この辺の空気は何となくわかります。
で、会社人生を歩まず、街をウロウロしていた人たちは、どこに行ったか?
映画館・ライブハウス・芝居小屋・飲み屋・喫茶店……。
学生運動の熱狂を引きずって、街には余熱が残っていた。
反体制という空気が残り、燻っていた。
文化も多様だった。
アングラ演劇、日活ロマンポルノ、萌えとは異質なエロ劇画……。
現在で言うサブカルチャーですね。
僕はこれらに乗り遅れてしまった世代なので、実はすごく憧れています。
映画館・ライブハウス・芝居小屋・飲み屋・喫茶店などで熱く語る人たち。
反体制、社会から外れること。
大人になって、ビデオになった日活ロマンポルノや復刻版のエロ劇画を見た時の、恐ろしいものに触れるような、ドキドキした感じは今でも覚えています。
何しろ僕は、これらと対照的な、小市民・生活保守主義的価値観を当たり前のこととして信じていたので尚更です。
つまり、
・正社員になって就職すること
・経済、お金、重視
・家庭を持つこと
・学生運動なんかやったら連合赤軍になってしまいますよ、という恐怖。
1970年代。
この時代は、現在や僕自身を考える上で、重要な時代だと考えています。
これからも折りにふれて、さまざまな角度から考察していきます。
1970年代、あさま山荘事件を筆頭に様々な事件が、人々の価値観を変えていった時代・・・なかなか考えさせられます。
私の場合ですが、もの心がついたときはもう1990年代でしたので、1970年代のことは歴史の教科書の上でしかうかがい知れないので貴重なお話でした。(1990年代といえば連合赤軍とは真反対の赤報隊事件なんてありましたが・・・)
1970年代から1990年代に日本の価値観(リベラルと保守に対する人々の考え方)の潮流がゆるやかに、だけど劇的な変化が現れた時代なのかなとも思います。
(1970年代のお話なのに90年代も混ぜてしまいまして申し訳ありません)
結局彼らが建設的なものを残さなかったからこそ、デモや学生運動-「左翼」-に対するネガティブなイメージを定着させてしまったとすら思っています。
その後、ソ連が崩壊し、日本国内について言えば小泉純一郎が北朝鮮に「拉致」を認めさせたことで日本国内の「左派」は決定的なダメージを負ってしまいました。
しかし、今はそうしたイメージを越えてデモや学生運動が本当に意味をもたなければならない時代になってきていると思います。
その意味で、今年は国民的な意味での転回点になっていると思います。
いつもありがとうございます。
>1970年代から1990年代に日本の価値観(リベラルと保守に対する人々の考え方)の潮流がゆるやかに、だけど劇的な変化が現れた時代なのかなとも思います。
僕も同意見です。
このことを考察するために、これからも70年代、80年代、90年代を見ていきたいと考えています。
90年代は間近であるため、客観的に分析するのが難しい時代ですよね。
僕は、その頃、公私ともにメチャクチャ忙しくて、カルチャーについてあまり記憶がないんです。
90年代のこと、いろいろ教えて下さい。
いつもありがとうございます。
>今はそうしたイメージを越えてデモや学生運動が本当に意味をもたなければならない時代になってきていると思います。
その意味で、今年は国民的な意味での転回点になっていると思います。
まさに転回点ですよね。
マスコミでも比較されましたが、今回の戦争法案のデモは、60年代の安保闘争ですし、これから自衛隊が海外派兵されれば、ベ平連のような運動が起きてもおかしくありません。
>小泉純一郎が北朝鮮に「拉致」を認めさせたことで日本国内の「左派」は決定的なダメージを負ってしまいました。
なるほど、そういうご認識ですか。
まったく気づきませんでした。
その他にも小泉政治というのは、新自由主義であり、アメリカ追従であり、自民党から反対勢力をなくしたこといい、現在の安倍政治のさきがけなんですよね。
これから、このテーマ(1970年代を考える)は各論に入っていきますが、今後とも団塊の世代のことなど、いろいろ教えて下さい。