平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

めぞん一刻

2007年05月18日 | キャラクター
 先週放送された「めぞん一刻」、テンポが悪かった。
 全体がまったり間延びしていてギャグも笑えない。
 「のだめ」を見ればわかるとおり、今はテンポアップして、どれだけ情報量を詰め込めるかという時代。原作がスカスカなら仕方がないが、読み返してみたところ内容はぎっしり詰まっている(今回のドラマは原作では第9話までの話)。
 テレビドラマとコミックの違いはあるかもしれないが、もっとテンポアップしてコミックで表現されたことを描いてもよかったのではないか?

 例えば、コミックで描かれていてドラマ版で省かれたこと。
「惣一郎さん」のこと。
 原作では惣一郎さんが誰かで五代くんは七転八倒する。
 朱美さんには「あんたの好きな天井さあ、男がいるわよ」と言われる。この時、響子さんは屋根に登って修理をしていた。五代くんは屋根に向かって「年はなんぼなんだろ?「男はおるのかな?」と悶々としていた。天井に向かって「おーい、好きやで~」とつぶやいていた。そこへ朱美さんがやって来て、さっきのくだりになるわけだ。
 原作では一ノ瀬さんの息子・賢太郎が惣一郎さんのことを知っていたり、響子さんの姪に聞く下りもあるのだが、人物を増やして描くことがマイナスと判断したのであれば、前述の朱美さんのくだりだけでも活かしてほしかった。高橋留美子先生の作品の魅力はディティルの小技にあるからだ。
 また、それはキャラクターの描き込みにも関わる。高橋先生はディティルがうまく、ディティルでキャラクターを描き込んでいる。先程の天井に向かって「年はなんぼなんだろ?「男はおるのかな?」「おーい、好きやで~」とつぶやく五代くんがそうだ。
 五代くんの役者さんが新人さんだということもあったかもしれないが、五代くんはもっと煩悩のかたまり。よく言えば響子さんへの情熱のかたまり。
 そんな五代くんだから響子さんだって心揺さぶられて、嫉妬したり、惣一郎さん以外の人を思ったことを後悔したりする。
 だから人物の心の振幅が大きくなり面白かった。
 ところがドラマ版は、人物が小さくまとまり過ぎているから、響子さんも小さくなっている。「良くできた心優しい管理人さん」の域を出ない。まわりの四谷さんたちの異常さが浮いてしまう。再び「のだめ」の話になるが、のだめがメチャクチャだからこそ、他のキャラクターも増幅され負けまいとしてメチャクチャになる。
 また響子さんは原作では「管理人さん」の他に「惣一郎さんの妻」「五代くんの恋人候補」「頼りない五代くんの姉」と言った顔を持っている。これらの顔が様々な出来事で見え隠れして、響子さんという人物を重層的に描いている。ところがドラマ版の場合は「管理人さん」の域を出ない。「五代さん、がんばって下さいね」ぐらいしか印象に残らない。「惣一郎さんの妻」という顔もいつの間にか忘れ去られてしまった。

 今回は非常に残念な映像化だった。
 これは演出家と脚本家の責任大。


 
コメント
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