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平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

江~姫たちの戦国~第18回「恋しくて」

2011年05月17日 | 大河ドラマ・時代劇
 三姉妹の恋が進展というお話。
 特に書くべきことがなくて困っています。

 江(上野樹里)と初(水川あさみ)が、秀勝と高次のことでからかい合うシーンは完全に現代の女の子。
 初が高次のことを「情けない男」と言い、高次が「菓子が好きな女性を嫌い」と、恋愛がお互いの反発から始まるというのは、完全に少女マンガ(しかも昔の……)。
 初が高次を見て気を失うというのは、いつのドラマ?(よくもまぁ、使い古されたリアクション!)
 九州鎮圧の映像は地図だけだし、45分間、全部大阪城内、つまり室内。

 これが大河ドラマでしょうか?
 こんな脚本で演技をさせられる役者さんは可哀想。
 絶対に憧れの男性を見て気を失う演技なんかダサくてしたくないと思いますよ。
 役者さんにしっかり芝居をさせてあげて下さい。

 唯一緊張感があったのは、茶々(宮沢りえ)とおね(大竹しのぶ)がすれ違う所。
 この時のおねには茶々に対する敵意のようなものを見ていて感じた。
 龍子(鈴木砂羽)とか、その他の側室に寛大なおねなのに何故?
 意味深な前振りシーン。
 後の茶々とおねの関係を考えれば、この緊張感は必然なのだろうが、それをすれ違っただけで表現してしまうとはさすが大竹しのぶさん。

 最後に気になったのは予告編。
 茶々は、初が高次と結婚するのを実現するために、自分が犠牲になって秀吉の側室になる様だ。
 これはまずいんじゃないでしょうか?
 つまり茶々は秀吉に負けたということ。大きな力の前に屈したということ。
 茶々には復讐をしてほしいし、秀吉をのみ込むような魔性を見せてほしいのに。
 次回、予告編どおりにならないことを望みます。


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JIN-仁- 第5話~神と人間、この壮大なテーマ!

2011年05月16日 | 大河ドラマ・時代劇
 瀕死の坂東吉十郎(吹越満)が息子・与吉に自分の芝居を見せるシーンは圧巻!
 「お前の父親はどうしようもないクズだが、こんな芝居が出来るんだ。お前はクズの息子なんかじゃない」
 それを必死の芝居を通して伝えている。
 見栄を切って目をカッと開く歌舞伎調が実に効果的だ。
 息子の与吉も涙を流しながら「大和屋! 大和屋! 日本一!」としか言えない。
 人が人に何かを伝えたい時、言葉は無力だ。
 言葉を尽くしても伝わらない。
 むしろ命がけの芝居であったり、「大和屋!」のかけ声の方が伝わる。それだけで心が通じ合う。

 さて、仁先生(大沢たかお)。
 お初(畠山彩奈)を死なせてしまったことで、神の意思、歴史の修正力に挑もうとしている。
 歴史の修正力で自分が助けた命が奪われてしまうのなら、自分は何のために戦っているのか?
 すべてが定めなら、自分がしていることはすべて空しい。
 人を救うために必死に戦っている仁としては当然の思いだ。
 ここには、人間がずっと哲学として考えてきた<神と人間の相克>がある。
 これがイスラム教徒などの宗教を実践している人ならば、「イン・シャー・アッラー」(すべてはアッラーの神の思し召し)で、受け入れられるんですけどね。
 宗教を持たない仁はどうしても神に反抗してしまう。
 「自分は何のために生きているのか?」「すべては神の意思、定めなのか?」「世の営みを越える大きな存在=神はいるのか?」
 この仁の悩みをわれわれ現代人も共有すべきだと思いますよ。
 <自分は大きな力によって生かされているんだ>という感覚。
 <自分の目の前に起こることは大きな力の意思に拠るものだ>という感覚。
 信じる信じないは別の問題として、仁の様に考え、悩んでみる価値はある。

 そして咲(綾瀬はるか)。
 この宗教的命題に彼女はあっさりと答えを出した。
 「延命だけではいけないのでございますか?」
 すべての人の命を助けられると思うこと自体が傲慢。
 医術によって人が永遠に生きられるようにしようとすること、神に挑もうとすること自体が傲慢。
 その他にもっと大事なものがある。もっと足元を見ろと咲は仁に伝える。
 本当に咲は聡明ですね。
 そして、吉十郎・与吉親子のエピソードは仁に「命の値打ちは長さだけではない」こと、「延命によって人を行き長らえさせ、残された時間を輝かせることが医療の意味」ということを教える。

 このことを気づかせただけでも、<お初の死>や<吉十郎・与吉親子のエピソード>は、仁にとって意味があった。
 人に起こる出来事ってすべて意味があるんですね。
 宗教的に言えば、それらの出来事を通して神は人に何かを伝えようとしているのかもしれない。

 深いですね、この作品は。
 この哲学的・宗教的テーマは、原作に拠るものなのか、このドラマの脚本家さんの掘り下げ・アレンジなのか、すごく気になる。


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ハンマーオークション~AKB48があなたのためだけに歌ってくれる権

2011年05月15日 | アイドル
 先日放送の「とんねるずのみなさんのおかげでした」。
 ハンマーオークションをやっていた。
 出品者AKB48に関しては<AKB48があなたのためだけに歌ってくれる権>。
 「会いたかった」を落札者だけに歌ってくれる権利。
 これを落札したのは昨年8月にファンになった大学院生で、落札金額は151万円。

 151万円。
 これが高いか、安いか。
 AKBメンバーと共に過ごせたのは、歌2曲(「会いたかった」の他に、サプライズで「誰かのために」を歌ってくれた)と記念撮影の時間。時間にして20分くらい。
 僕には高いな。20分で151万円ですからね。
 でも、落札した大学院生は、顔がほころびっぱなしで心から満足している様子。
 若いひたむきな情熱って素晴らしい!

 このことで、前田敦子さん主演のドラマ「Q10」を思い出した。(ちなみにその落札した大学院生は前田さん推し)
 そのエピソードで、オタクの高校生がQ10と1日だけデートして、一生の思い出にするという話があった。
 彼は、「この思い出があれば、将来、大人になってどんな退屈な生活を送ることになっても満足して生きていける。この思い出を糧にして生きていける」と語った。
 そして、おそらく151万円で落札した大学院生もこれと同じ心境なのではないか、と思う。
 人の人生なんてダラダラとした日常が続くだけ。だったら輝く最高の20分を求めるべき。
 あるいは、人はその最高の時間(=<AKBメンバーが歌を歌ってくれる時>だけでなく、たとえば<結婚式>や<恋愛が成就した瞬間>など)を得るために生きている。
 
 151万円。
 本人が心から満足し楽しめたのなら、きっと安い買い物だ。
 その後、彼は親や周囲からいろいろ言われただろうが、そんなことでこの思い出を色褪せたものにしてはいけない。
 幻冬舎の見城徹さんも言っている。
 「ひんしゅくは買ってでもしろ」


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さしこのくせに~最近、さしこは成長したのではないか?

2011年05月14日 | アイドル
 最近、<さしこ>ことAKBの指原莉乃さんが成長したのではないかと思う。
 「めちゃイケ!」「さんま御殿!」 いずれも存在感を出している。
 これにはやはり冠番組「さしこのくせに」の力が大きい。
 番組中、土田晃之さんにいじられ、ツッコまれて、どうすれば笑いを取れるかを体得したのであろう。

 これは同時に<自分を知った>ということでもある。
 <正統派アイドルとしては輝けないと理解した自分>
 <ネガティブな自分><噛む自分><おバカな自分><面白いことの言えない自分><無器用な自分><懸命になればなるほど空回りしていく自分><ヘタレな自分>
 これらの自分を理解した。
 そして、土田さんとのやりとりで、変に背伸びして作るよりも<ありのままの自分>を表現する方が、ずっと面白いということを理解した。
 実際、「さしこのくせに」での土田さんのツッコミは、さしこを批判しつつも肯定している。
 やりとりを見ていると、「指原、お前はがさつで無器用だけど、そのままが一番いいんじゃない」と土田さんが言っている様に聞こえる。

 そして、さしこは手練れのMCが相手なら、自分の面白さを上手く引き出してくれることを理解した。
 「めちゃイケ!」の岡村隆史さん、「御殿」のさんまさん。
 「さしこのくせに」の土田さんもそう。
 これらの人は、ありのままの自分を見せれば、確実に拾って笑いにしてくれる。
 自分はただ彼らに身を任せていればいい。

 こういう発展途上のタレントさんの成長を見られるのは、テレビを観る者の楽しみですね。
 完成されておらず、次々と新しい顔を見せてくれるタレントさんの方が面白いし、いっしょに応援している感が味わえる。
 「さしこのくせに」はまさにそれを実感させてくれる。
 「寝起きドッキリ」や「たこ焼き屋アルバイト」「愚痴聞きルーム」の回などは、メチャクチャ面白かったし。

 TBS 火曜深夜1時30分の「さしこのくせに」はお薦め番組です。


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川の底からこんにちは~中の下から始めよう!

2011年05月12日 | 邦画
 主人公・木村佐和子(満島ひかり)は言う。
 「あたしって中の下だから」
 不況の時代が続き、閉塞感が漂う中、われわれ、特に若者の意識は<中の下>なんですね。
 これが高度経済成長、あるいはバブルの時代なら違っていた。
 一億総中流、「がんばれば報われる」という言葉を素直に信じることが出来て上を向いて歩けていた。
 バブルの時などは、<JAPAN AS NO.1>だった。
 だが、現在は違う。
 みんなが行き詰まって、<中の下>意識。

 この作品、前半1時間は、主人公・佐和子の<中の下>意識がダラダラと語られる。
 「中の下だから派遣社員で、不当な扱いを受けても仕方がない」
 「中の下だから、バツイチ、子持ちの情けない中年男とつき合っていても仕方がない」
 「中の下だから、実家の工場のおばさんたちに<男に失敗したバカ女>と悪口を言われても仕方がない」

 こんな佐和子が後半大きく変わる。
 たくましく開き直る。
 彼女は言う。
 「中の下のどこが悪いの!」
 「あんたたちだって、中の下じゃない!」
 「中の下なんだから、がんばらなくちゃ!」

 今まで
 <中の下>→「仕方がない」     と考えていた佐和子が
 <中の下>→「がんばるかしかない」 と大きく変化するのだ。

 これが佐和子のたどり着いた境地。
 たくましい自己認識だ。
 そして現代のこの国も、ここからスタートしなければいけない様な気がする。


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江~姫たちの戦国~第17回「家康の花嫁」

2011年05月10日 | 大河ドラマ・時代劇
 天下が欲しい。
 関白の位が欲しい。
 茶々(宮沢りえ)が欲しい。
 そのためには手段を選ばない。妹も母親も売る。
 その結果、秀吉(岸谷五朗)は<罪>を背負うことになるが、それさえも乗り越えて、秀吉はこれらのものを求めずにはいられない。
 強すぎる欲望。激しい業。
 
 この作品で、秀吉はそんな人物として描かれている。
 そして、作家はそんな<激しい業>の持ち主である秀吉にある意味、敬意を表している。
 日本の歴史上、こんな人間はいないから。
 普通の人間の道徳観などを吹き飛ばしてしまう様な<強い欲望>。
 普通の人間のものさしでは計ってはいけない<欲望の塊>。
 この秀吉を非難することはたやすい。
 だが、非難する人間は、そうすることで自らの<小市民性>を思い知るのだ。
 秀吉と比べて、自分は何と平凡に、欲望を抑えて、小さな幸せにしがみついて生きているのかと。

 今回、僕はこの作品を肯定的に描いているのですが、作家が秀吉を通して描きたかったこととは、こういうことではないかと思います。
 だから茶々も心を動かされた。
 家康(北大路欣也)も頭を下げた。
 この自分の欲望に忠実すぎる人間にはかなわないと思ったから。

 では、この<欲望の塊>が行き着く所はどこか?
 若くて勢いがある時はまだいい。
 乱暴にたてる茶も「見事で美味しい」ものになる。
 だが、若さや勢いがなくなれば、無惨な<欲望の塊>の老人でしかない。
 今後、秀吉はそんなふうに描かれていくのであろう。
 もののあはれ、諸行無常……、秀吉の死と大坂城落城でそんなことが描かれるに違いない。
 あるいは、それを描いてくれれば、深い作品になると思うのですが……。 


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JIN-仁- 第4話~意地を張っていてはロクなことはない。

2011年05月09日 | 大河ドラマ・時代劇
★手術あり、恋愛あり、歴史あり、謎・ミステリー(あのホルマリン・ベイビーは何か?)あり、SF(タイムスリップ・神の意思)あり、何とぜいたくな内容なのだろう。
 しかもこれらが見事に融合している。
 次に何が起こるのか、予想できないのも楽しい。
 かくして我々は次回を期待して1週間を過ごすことになる。

★さて、今回は<血>の話。
 川越藩主の恵姫(緒川たまき)の松平の血。これを残さなければならないという思い。
 輸血。他の血統の血が混じること。
 これに関係して、咲(綾瀬はるか)の橘家の血統の話→仁(大沢たかお)と咲の恋愛話。
 <血統>というテーマで統一されていて、実に上手い。
 仁先生は相変わらず女性の気持ちのわからない朴念仁ですが……。そこが仁先生らしい(笑)。

★あとは龍馬(内野聖陽)。
 薩長同盟。
 薩摩も長州も<この国を何とかしたい>という思いがいっしょなら、意地を張り合ったり、面子にこだわったりすることはないはずなんですよね。
 それは医学界の対立もそう。
 <患者を救いたい>という思いを持っていたら、足の引っ張り合いをすることなどない。
 仁と仁友堂の仲間たちは、そのことをペニシリンを<架け橋>にして伝えようとしている。

 「意地を張っていてはロクなことはない」

 恵姫が咲に語った言葉だが、この点でも物語が統一されていた。


※追記
 龍馬が寺田屋で銃を発砲するシーン、カッコ良かった。
 映像的にも凝っていた。
 「必殺仕事人」などでもそうだが、障子は映像効果を高める。
 
 
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高校生レストラン~若者は最高を目指す。

2011年05月08日 | 学園・青春ドラマ
 若者はさらなる高みを目指す。
 それが若さの特権。
 「高校生だからこれくらいでいいや」と考えた時点で、若者でなくなる。
 現状維持の平行線か、人生の下り坂が始まる。
 何しろ登ることをやめてしまったのだから。
 何事も吸収できる柔軟な心を持った若者が「これでいいや」と思ってしまうのはもったいない。
 何も持っておらず、しがらみのない若者が、自分を「こういうものだ」と規定して中途半端な所に安住してしてしまうのは青春の放棄だ。
 若者は最高を目指そう。

 「高校生レストラン」はそんなお話。
 彼らが今後どんな料理を楽しみ。
 ドラマとしては、町議会を始めとするオトナ達との対決になりそうだが、生徒達が素直すぎるのが気になる。
 もう少し板前教師・村木新吾(松岡昌宏)に反発してもいいような気がする。

 こんな村木のせりふがあった。
 「料理の味は、もっと丁寧に極めていくもの」
 これは料理だけに限らず、あらゆることに当てはまる言葉。
 プロの営業マンを目指すなら、丁寧に物を売るとはどういうことかを極めていく。
 プロの作家を目指すなら、丁寧に文章表現や自分のテーマを極めていく。
 次のステージに行くにはこれしかない。
 そして、丁寧に時間をかけて極めていけるのも、人生の残り時間のある若者の特権。

 もちろん、われわれ年配者も若者に負けるわけにはいきませんが。
 丁寧に極めて、さらなる高みを目指していきます。


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瑠璃の島~成海璃子さんと緒形拳さん

2011年05月07日 | 監督・俳優・歌手・芸人
 芝居には相手役が必要である。
 ひとりのシーンでのひとり芝居というものもあるが、基本は相手役がいてせりふのやりとりがあって成立する。

 「瑠璃の島」で、成海璃子さんが緒形拳さんと遭遇したのは女優として幸せなことだっただろう。
 まず、名優・緒形拳なら相手がどんな演技をしてきても受けとめて返せる。
 この安心感があるから相手役は自由に演技が出来る。
 また、緒形さんの演技を受けとめる時は、緒形さんから感情や気持ちの波動が伝わってくる。
 嬉しい気持ち、悲しい気持ち、怒り、とぼけたユーモア、そんなものが伝わってきて、相手役も気持ちで返すことが出来る。
 せりふや演技のやりとりをすることによって、お互いの感情や気持ちがどんどん高まってきて、素晴らしいシーンになる。

 成海璃子さんは緒形拳さんと共演することによって、演技とは何かを実体験したに違いない。
 緒形さんの演技と子役ならでは柔軟な感性で、主人公・藤沢瑠璃になり切ることが出来たに違いない。
 「瑠璃の島」で成海さんと緒形さんのシーンを見ているとそんなことを感じる。

 役者には輝く瞬間がある。
 身も心も役になりきって、生命が燃えてまぶしい光を放つ瞬間。
 われわれはその輝く瞬間を見るために作品を見ている。
 「瑠璃の島」の成海璃子はまさに輝いている。


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瑠璃の島 名セリフ その2

2011年05月05日 | その他ドラマ
★「瑠璃の島」では、校長先生(岸部一徳)のせりふも含蓄があった。
 教師として未熟だと感じている島袋さなえ(小西真奈美)に校長は言う。

 「凡人は十を知って一を知る。わかった気になって慢心しない。わかったようなわからない様なくらいが丁度いい」
 校長に拠れば、天才はひとつの経験から十のことを学べるが、凡人はひとつの経験からひとつくらいしか学べないという。十のことを学べたと考えるのは慢心だという。
 僕のような凡人にとっては救いの言葉ですね。
 何しろ僕は経験から全然学べていなくて、いつも同じ所をウロウロしている様に感じていましたから。

 校長先生はこうも言う。
 「問題児を教えることが教師の醍醐味です」
 問題児を教室や学校から排除することが、現在の学校だとすれば、校長のこの発言はその逆を言っている。
 そして、「名セリフ その1」でも書きましたが、問題を抱えて苦労し、格闘すること自体が、喜びなんですね。
 問題がないことって実はつまらない。全然エキサイティングではありませんもの。
 泣いて怒って、走りまわって、そういうことが生きること。生きがい。
 
★新垣治衛(平泉成)はこんなことも言った。
 最終回で町議会に乗り込んでいった時のせりふだ。

 「瑠璃ちゃんは島の子供だ。みんなの子供だ」

 これが、この作品世界のテーマでもある。
 瑠璃(成海璃子)は里親の勇造(緒形拳)や恵(倍賞美津子)からだけでなく、島中から、その成長を見守られている。
 瑠璃の成長が島の人間の喜びであり、笑顔が島の人間を元気づける。
 島の人達は瑠璃といっしょに笑って泣いて、時に怒り、心配し、祭りで踊る。
 子供と共同体の調和。

 これに比べたら都会の生活は、何とひとりぼっちで、物事を共有していないことか。
 こんなことを考えさせてくれる。

 それは、カマドおばぁ(吉田妙子)のこんな言葉からも感じられる。

 「この島には何もないからあらゆるものが宝物」

 何気なく使っている水。
 でも、島に水道が通っていない時は、汲んだ井戸の水を洗面、食器洗い、洗濯に使いまわしていた。
 そんな水はおばぁにとっては宝物だった。
 これも現代社会に対するアンチ。

 そして島の人間にとって、瑠璃はきっと<宝物>だったんでしょうね。
 元気よく笑顔で走りまわる瑠璃。
 キラキラ輝いて、こんな素敵な宝物は他にない。


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