ちるはなを なにかうらみむ よのなかに わがみもともに あらむものかは
散る花を なにかうらみむ 世の中に わが身もともに あらむものかは
よみ人知らず
散る花をどうして恨むことがあろうか。もし仮に花がずっと散らずにいたところで、その散らない花とずっと一緒に生きながらえていけるわけではないのだから。
花も自分も同じく限りある命を生きている存在であることに思いを馳せて、世の無常を歌い上げる。
ちるはなを なにかうらみむ よのなかに わがみもともに あらむものかは
散る花を なにかうらみむ 世の中に わが身もともに あらむものかは
よみ人知らず
散る花をどうして恨むことがあろうか。もし仮に花がずっと散らずにいたところで、その散らない花とずっと一緒に生きながらえていけるわけではないのだから。
花も自分も同じく限りある命を生きている存在であることに思いを馳せて、世の無常を歌い上げる。
こまなめて いざみにゆかむ ふるさとは ゆきとのみこそ はなはちるらめ
駒なめて いざ見にゆかむ ふるさとは 雪とのみこそ 花は散るらめ
よみ人知らず
さあ馬を連ねて見に行こう。かつて暮らしたあの地では、まるで雪が降るかのように花が散っていることだろうから。
落花の時期になると、まるで雪のように花びらが舞ったふるさとの情景が思い出される。望郷の想いですが、馬を連ねてさあ見に行こうというのですから、切ない郷愁よりも、もっと積極的(ポジティブ)な感情ですね。
はなのちる ことやわびしき はるがすみ たつたのやまの うぐひすのこえ
花の散る ことやわびしき 春霞 たつたの山の 鶯の声
藤原後蔭
花の散るのがわびしくて鳴いているのだろうか。春霞が立つ、竜田の山の鶯の声は。
「たつ」は春霞が「立つ」と「竜」田の山との掛詞。竜田山は、今の大阪府と奈良県の境に位置したとされ、竜田川の流域にあって紅葉の美しさを多く詠まれています。
作者の藤原後蔭(ふじわらののちかげ)は俊蔭(としかげ)とも表記される平安時代前期の貴族にして歌人。古今和歌集への入集はこの一首のみです。