漢検一級 かけだしリピーターの四方山話

漢検のリピート受検はお休みしていますが、日本語を愛し、奥深い言葉の世界をさまよっています。

古今和歌集 0117

2020-02-24 19:06:32 | 古今和歌集

やどりして はるのやまべに ねたるよは ゆめのうちにも はなぞちりける

やどりして 春の山辺に 寝たる夜は 夢のうちにも 花ぞ散りける


紀貫之

 

 宿をとって、春の山辺で寝た夜には、夢の中でまで花が散るのだった。

 昼間に見た落花の風景が名残惜しさとともに頭に残り、その情景を夢にまで見たのですね。夢にまで出て来なくて良いのに、との、いささか恨みもこもった心持でしょうか。


古今和歌集 0116

2020-02-23 19:02:51 | 古今和歌集

はるののに わかなつまむと きしものを ちりかふはなに みちはまどひぬ

春の野に わかなつまむと 来しものを 散りかふ花に 道はまどひぬ


紀貫之

 

 春の野に若菜を摘もうとやってきたのに、散り交う花で道がわからなくなってしまった。

 若菜を摘むのは初春である一方、道がわからなくなるほど花が散るのは晩春ですから、時季が合いません。想像上の風景を歌ったものか、あるいは若菜摘みの季節に降る雪を落花に見立ててのものでしょうか。

 万葉集に採録された 山部赤人 の歌

 春の野に すみれ摘みにと 来しわれそ 野をなつかしみ 一夜寝にける

を踏まえています。


古今和歌集 0115

2020-02-22 19:06:40 | 古今和歌集

あづさゆみ はるのやまべを こえくれば みちもさりあへず はなぞちりける

梓弓 はるの山辺を 越えくれば 道もさりあへず 花ぞ散りける


紀貫之

 

 春の山辺を越えてくると、道には足の踏み場もないほど一面に花が散っているのだった。

 「はる」は弓が「張る」と「春」の掛詞、冒頭の「梓弓」は「春」に掛かる枕詞です。詞書には「志賀の山越えに女の多くあへりけるによみてつかはしける」とあり、京都から志賀(琵琶湖西岸の志賀寺)に向かう山路を大勢の女性がやってくるのを、一面に散る花吹雪に見立てた歌であることがわかります。落ちた花びらで実際に道が埋まっている情景ということではないのですね。

 


古今和歌集 0114

2020-02-21 19:03:37 | 古今和歌集

をしとおもふ こころはいとに よられなむ ちるはなごとに ぬきてとどめむ

惜しと思ふ 心は糸に よられなむ 散る花ごとに ぬきてとどめむ

 

素性法師

 

 花が散るのを惜しいと思う心を糸に撚り合わせることはできないだろうか。それができるなら、花一つ一つを撚った糸で縫い合わせて散るのをとめたい。

 花が散らないよう、落花を惜しむ心の糸で縫い合わせてしまおうという発想。0076 には、同じく素性法師の、恨み言の一つも言いたいから、誰か花を吹き散らす風の宿を誰か教えてくれという歌がありますが、落花を惜しむという誰しもが抱く気持ちの表現ではあっても、その発想は独特で、素性法師の歌風と言えるかもしれません。

 


古今和歌集 0113

2020-02-20 19:43:15 | 古今和歌集

はなのいろは うつりにけりな いたづらに わがみよにふる ながめせしまに

花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに

 

小野小町

 

 長い雨の間に花は色あせてしまった。それと同じように、長い時の経過とともに私の身もむなしく年老いてしまったことだ。

 百人一首にも収録され、改めての説明や解釈など要しないほどに良く知られた歌ですね。「ふる」は「降る」と「経る」、「ながめ」は「長雨」と「眺め」の掛詞で、その昔、高校生の頃に初めて和歌の技法を習う際にも題材とされていた記憶があります。

 作者の小野小町は、詳しい系譜は不明ですが、9世紀頃に活躍した女流歌人で六歌仙、三十六歌仙の一人。古今和歌集には18首が入集しています。絶世の美女として名高く、今も「●●小町」という言葉に名を残している。。。などということも説明不要ですね。  笑