ちるはなの なくにしとまる ものならば われうぐひすに おとらましやは
散る花の なくにしとまる ものならば われ鶯に おとらましやは
典侍洽子
なくことで花の散るのが止まるものならば、私は鶯に劣ることはないだろうに。
「なく」は鶯が「鳴く」と作者自身が「泣く」の両方の意味。花が散るのを惜しんで鶯も鳴くし作者も泣くけれど、自分の方が落花を惜しむ気持ちが強いのだから、「なく」ことで散るのが止まるものだとしたならば、落花を止めることにかけては自分の方が鶯に勝るとの想い。ちょっとひねった表現で、自分が花が散るのをいかに強く惜しんでいるかを歌っています。
作者の典侍洽子(ないしのすけあまねいこ)は、清和、陽成、光孝、宇多、醍醐の五代の天皇に仕えた女官にして歌人。古今和歌集への入集はこの一首のみです。
ふくかぜを なきてうらみよ うぐひすは われやははなに てだにふれたる
吹く風を 鳴きてうらみよ 鶯は 我やは花に 手だにふれたる
よみ人知らず
鶯よ、恨むなら吹く風を恨みなさい。私は花に手を触れてもいないのだから。
花が散るのは作者のせいだと思って鶯が鳴いていると見立て、そうではなくて風が吹いているからなのだよと鶯に語りかける。発想の妙ですね。
うぐひすの なくのべごとに きてみれば うつろふはなに かぜぞふきける
鶯の 鳴く野辺ごとに 来て見れば うつろふ花に 風ぞ吹きける
よみ人知らず
鶯が鳴いているあちこちの野辺に来てみると、散りゆく花に風が吹きつけている。
ここから 0110 まで、花が散るのを惜しんで鳴く鶯の歌が続きます。