EXPRESS DIARY~鉄人日記~

鉄道に関することを日々徒然なるままに書いて行こうと思います。

JR徳島線

2007年08月17日 | 四国

040717tokushima185tsurugisan  JR徳島線には2回ほど乗っている。1回目は第1次四国遠征で、99年2月に乗車している。この時は土讃線の時にも書いているが、夜に腹痛を起こして予定を変更して、高徳線~牟岐線~阿佐海岸と廻って、徳島へ戻って徳島線に乗る予定を高徳線~徳島線とルートを縮小して徳島線に乗車している。徳島からはキハ185系使用の特急あいに乗った。徳島線の特急と言えば剣山だが、この当時剣山の穴を埋めるべく臨時として特急あいが設定されていた。今となっては貴重な乗車だったが、徳島線沿線は朝から雪に見舞われ、道中は雪で足止めを食らうのではないかと心配になるほどの降雪だった。Js21四国でも山間部では雪が降ると聞いていたが、吉野川沿岸の比較的温暖そうな徳島線沿線で雪に遭うとは思ってもみなかった。阿波池田駅はすっかり雪化粧しており、前夜に体調を崩した身には少々きつい寒さだったが、四国で雪を見ることは一生のうちもうないかもしれないと思い、普段ほとんど切らないシャッターを何度も切ったのを思い出す。当然ながら特急あいに乗ったのはこの1回だけだった。

 徳島線には04年の遠征でもう一度乗っているが、この時も徳島から阿波池田まで特急に乗っており、この時はキハ185系特急剣山だった。確か中間車にアンパンマン車両を連結していたように記憶している。


土佐くろしお鉄道中村・宿毛線

2007年08月16日 | 四国

040718nakamuralinetkt8005  土佐くろしお鉄道中村・宿毛線には99年2月の四国遠征で全線制覇している。特急南風で高知から宿毛まで乗り通し、折り返しも南風で窪川へ出て予土線に乗っている。宿毛駅からバスに乗って宇和島方面へ抜けることも模索してみたが、面倒くさそうなので、往復南風利用とした。中村までは国鉄中村線からの転換のため、線形はあまり良くなく、予土線との分岐部がいきなりループ線となっており、マニア的には面白いが、路線としてはきついところがある。高知自動車道は須崎まで開業しているが、須崎以遠への延伸も視野に入っており、中村辺りまでの開業は時間の問題と言える。今のところ何とか特急として成り立っている南風も高速道路開業で高知で段落ちの減車や減便も考えられそうだ。

040718sukumoline2116  中村からの宿毛線は3セクになってからの開業で鉄建公団が造った路線のため高規格路線になっている。高規格と言っても踏切がなく、高架や盛り土が多いということだけで線形が抜群にいいというわけではない。終点の宿毛駅は高架駅で立派な造りの駅だ。運転士の体調不良により列車が車止めを通り越して駅舎の一部を破壊する悲惨な事故があったのは記憶に新しいところだ。この事故では運転士以外に死者を出していないということもあり、あまり大騒ぎになっていなかった。運転士の体調が悪く不測の事態で事故が起こったことは確かだったが、運転士をバックアップするATSについてもっとクローズアップされていたら、福知山線事故も防げた可能性もあるのではないかと私は思っている。

 中村・宿毛線には94年7月18日の遠征でも乗車している。高知から中村まで特急南風に乗り、同列車が中村止まりだったため、中村から普通列車に乗って宿毛まで行っている。宿毛からの折り返しも普通列車に乗り、中村で特急南風に乗り換えて窪川へ戻った。


JR高徳線

2007年08月15日 | 四国

040822kotoku2458uzushio4  JR高徳線は第1回四国乗り潰し旅行と言える99年2月の遠征で全線制覇している。何度か書いているが、高知方面を巡り、宇和島から一気に高松まで特急を乗り継いで戻り、高松で泊まった夜に体調を崩し、翌日の行程を変更している。当初は高徳線で徳島へ出て、徳島から牟岐線~阿佐海岸鉄道と乗り潰して、徳島へ戻り、徳島から徳島線の乗り潰しをするルートを考えていた。夜中に腹痛を起こし、フロントで薬(胃薬しかなかったのでそれを貰ったらなんでか治った)を貰って服用して眠ったため、朝の始動がゆっくりとなったため、予定の行程をこなすことができなかった。高徳線と徳島線を乗り潰すミニルートで済ませることにし、高松からN2000系を使用した特急うずしおに乗って徳島へ向かった。登場当初は最速130km/h運転が売りで、この当時もまだ急行阿波時代から続く停車駅の少ないタイプの列車が存在していたように思う。その後停車駅をどんどん増やしていき、特急というより快速に近い列車になってきている。明石大橋開業後の凋落が顕著となっているのはやはり京阪神からの入り込みが減ったということなのだろう。

040822kotoku1013  高徳線にはこのほか、03年9月6日に琴電の乗り潰しの際に志度から高松まで18きっぷで普通列車に乗っている。また、04年7月17日の第2回四国遠征でも高松から徳島まで特急うずしおに乗り、徳島から牟岐線の乗り潰しをしている。また、同じ04年の8月22日には鳴門線の乗り潰しをするために、高松まで新型マリンライナーの旅を楽しみ、高松から高徳線普通に池谷まで乗っている。途中雨に降られる道中だったが、特急に乗るよりも普通列車でゆっくり沿線を見ながらの旅の方がその路線がよくわかっていいと最近思うようになった。学生時代はとりあえず量や数乗ればいいということで、特急に乗って先を急ぐことが多かった。HPを開いてから心境に変化が現れたと言えば大げさだが、HPの影響は大きい。この時徳島からの帰りには高速バスを利用している。大阪駅まで直行という魅力があり、3時間ほどで着くので便利なのは間違いないが、バスは狭苦しいし、渋滞もあるので時間が不安定な面もある。大阪~徳島間は明石大橋の開業により高速バスの独壇場に近い状態になっているが、ここに鉄道があれば…と鉄道マニアとしてはどうしても夢を見てしまう。鳴門大橋が鉄道も通せる構造になっているだけに、明石大橋が鉄道に対応しなかったのは至極残念である。


JR予讃線

2007年08月08日 | 四国

060909yosan80003  JR予讃線は当然ながら四国遠征にて全線制覇を果たしている。それより以前に91年夏に四国に遠征した折に高松から観音寺までの乗車をしている。121系と111系が走りまわっていたのを覚えているが、観音寺以西がまだ非電化だったため、気動車も走っており、まだまだ近代化前の四国という感じだった。多度津であすかを見てまだまだおぼこい鉄だった私はそれに大喜びしたのを思い出す。予讃線にはサンライズ瀬戸に初乗りした時にも瀬戸大橋線の延長として乗車しており、高松で讃岐うどんを食べて速攻マリンライナーで折り返したのを思い出す。91年に高松駅を訪れた時にはまだ宇高連絡船時代を思い起こさせる(実際にあ乗ったことはないが)駅だったが、サンライズで訪れた時にはまだ工事中だったとはいえ、駅の位置は現在位置に移設されており、連絡船時代は記憶の彼方に消えていくことになりそうだ。

030906yosan1132  その後、待望の四国遠征を99年2月に行ったが、この時に旧線は乗り残したものの高松~宇和島間の乗り潰しを達成している。宇和島までの乗り潰しは、宇和島まで予土線に乗って、宇和島から特急宇和海、松山で特急いしづちに乗り換えて全線制覇をしている。高松に泊まってその夜に腹痛を起こして一部行程を変更したが、とりあえず翌日の行程をこなして、高松でもう1泊して、次の日に午前中のいしづちで松山入りしている。周遊きっぷ利用だったが、松山行きは自由席が先頭になるため、一番前の席に座り、少し見えにくいが、前面かぶりつきを松山まで楽しんだ。松山では伊予鉄に乗ったり、道後温泉に行ったりして松山観光を楽しんだ。この当時はインターネットはあってもインターネットで宿を予約するというシステムが確立されていなかったこともあり、あまり宿を予約して旅行するということはせず、現地で安いホテルを探して飛び込みで空きを探すということをしていた。高松の宿は事前に電話予約していたが、松山では予約を入れずにガイド本やホテル案内の本などで安いホテルの目星だけ付けて現地に赴いている。駅に近い安いホテルをうまく見つけて泊まり、翌朝道後温泉で一風呂浴びてから、午前中のしおかぜに乗って岡山で新幹線に乗り換えて帰阪している。

040719yosan1853105  続いて四国に遠征したのは04年7月17日~19日で、この時も周遊きっぷを利用し、16日に高松まで移動して高松で一泊して、17日朝から高徳線~牟岐線~阿佐海岸鉄道などの乗り潰しをして、徳島へ戻り、徳島線~土讃線で高知へ入っている。土佐電の乗り潰しなどをして、高知に泊まり、翌18日には土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線、中村・宿毛線に乗り、予土線に乗って宇和島へ出て、宇和島から予讃線に乗って松山へ出ている。19日には伊予鉄の乗り潰しと予讃線で乗り残していた旧線に乗り、四国征伐を成し遂げた。予讃線旧線では185系の格下げ車両が使用されており、そのまま使えばいいサービスになるのにわざわざ固定クロス化するという手間のかかるサービスダウンをしていた。185系は国鉄末期に四国の経営基盤強化のために造られた車両だが、後に登場したキハ2000系と比べるとかなり見劣りし、JR四国も使い勝手に苦慮している。一部は九州へ売り飛ばされ、四国でもアイランド四国2や普通車への改造が行われたりして、本来の特急としての姿よりも改造車の方が目立つ状態になっている。予讃線旧線の利用は少ないので、185系をそのまま使っても罰は当たらないと思うが、特急利用者のことを考えれば普通と差のない特急では示しがつかないので固定化しているのだろう。

 全線制覇は達成したが、撮影に関しては国分でチョイ撮りしただけだったので、本などでよく見る海岸寺付近の撮影地で瀬戸内バックの写真が撮りたくて06年9月10日に18きっぷの余りを利用して遠征した。海岸寺の撮影地へ来た時にはまだ晴れ間もあったが、土讃線の吉野川近辺で撮り歩きをしている時には大雨が降ってきて、おまけに三脚のハンドルを落として、気づかぬまま高松まで戻り、高松の宿舎に入り、上りサンライズ瀬戸の撮影をしに高松駅に入ってから三脚のハンドルを落としたことに気づいた。雨に濡れるわ三脚のハンドルを落とすわで最悪な遠征となった。翌日も朝から雨が降り、まともに撮影できないまま朝のうちに四国を抜け出して、西明石で新幹線の撮影をして帰った。060910yosan285


JR土讃線

2007年08月06日 | 四国

060909dosann20005  JR土讃線の初乗りは91年夏に初めて18きっぷを利用して旅をした時に、多度津~阿波池田間で行きはムーンライト高知、折り返しの帰りはキハ58・65系普通に乗っている。暗闇の中の道中と帰りは山の中の道中で景色がはっきりわからない路線というイメージだけが残っている。この時多度津に大阪からあすかが来ていたのだけが印象に残っており、土讃線のイメージはあまり残っていない。これが高校生の頃の話で、私は高校時代は鉄活動というものをほとんどしていなかったので、当然ながら乗る機会はなかった。その後学生になって本格的に乗り潰しじみたことを始めたが、四国はいつでも行けるという感覚で後回しになっていた。漸く四国征伐にとりかかろうとしたのが卒業間近の99年2月のことだった。

Js28  大阪から未明のムーンライト高知のカーペット車に乗って高知に着いた。それまで周遊券は九州と北海道、信州などで使ったことがあったが、周遊券から変更された周遊きっぷを利用したのはこの時が初めてだった。グリーン車扱いのムーンライト高知に乗車したのも周遊きっぷ利用だったからと言える。18きっぷならまず利用していなかっただろう。朝高知に着いて乗り継ぎにしばらく時間があったので、駅前の喫茶店で朝食を取り、土佐電に乗りに行った。喫茶店で頼んだモーニングにトーストとコーヒー、サラダに加えて味噌汁がついてきたのが非常に印象に残っている。ご当地モーニングを調べてみるのも面白そうだなとその時は思っていたが、実行には移していない。土佐電にははりまや橋辺りまで乗っただけで全線乗り潰しまではしなかった。時間が中途半端だったので、乗り潰しをしていると予定していた宿毛方面行きの特急に乗れなくなるため、土佐電の乗り潰しは断念した。当時高知でキャンプを張っていた西武ライオンズ(今もかな?)の宿舎などを見て選手が出てこないかと見ていたが、朝食の時間なのか出て来なかった。そうこうしている間に時間が過ぎ、宿毛行き特急に乗るべく高知駅まで戻った。

040717dosan2008nanpu  高知から再び土讃線の旅を再開し、特急南風に乗りこみ、土讃線終点の窪川を通り越して土佐くろしお鉄道の宿毛まで行った。折り返しは窪川から予土線に入ったのでこの時は土讃線からはここで離れた。再び土讃線を訪れたのは翌日のことで、予定では高徳線~牟岐線などを乗り潰して、徳島へ戻り、徳島線~土讃線と廻って高松へ戻るルートを考えていたが、前夜に腹痛を起こし、あまり眠れなかったため牟岐線は断念することにした。経路を短絡して高徳線~徳島線~土讃線と廻ることにしたため、時間に余裕ができたので、阿波池田から高知まで一旦出て、高知から折り返して琴平まで行って、琴平から琴電に乗ることにした。寒い冬の時期だったが、阿波池田は雪が積もっており、まさか四国で雪を見るとは思ってもみなかったので少々感動を覚えた。聞くところによると四国山地では冬場結構雪が降るらしい。百聞は一見にしかずというが四国でも雪が降るという貴重な体験ができたのはよかった。

040718dosan2007  阿波池田から乗った高知行きの特急南風は雪のせいか空いており、高知までは余裕の旅を楽しんだ。しかし、折り返しの岡山方面行きは混雑している上、短編成のため席にありつけなかった。土讃線に乗ると四国山地の山奥に堂々と聳え立つ高速道路が見え隠れするが、急峻な山の中をトンネルで抜ける高速道路との差を感じてしまう。高速道路の開業により、土讃線特急は利用を減らし、岡山連絡の南風はともかく高松始発のしまんとはかつての勢いはどこへ行ったのかという風情だ。この当時はまだしまんともそれなりに格好を付ける形になっていたが、2度目の四国周遊となった04年7月に乗った時はしまんとのダイヤが整理され、一部は分割併合もなしで、多度津や宇多津にて快速列車に連絡というダイヤになっていたりした。

040718dosan2824772  04年遠征の時も南風やしまんとに乗車する機会があったが、7月の3連休という書入れ時にも関わらずどの列車も余裕があった。高知以南では高速道路が途中までしか開業していないこともあり、まずまずの乗りとだったと思うが、こちらは絶対数が少ないということもあり、満席になるというような乗り具合ではなかった。絶対数の少なさは特急の停車駅の多さと反比例することからも推察でき、車掌が集札を行うような無人駅にも特急が停車するというのにも驚かされた。JR東日本はこんなところにも駅員が配置されているのかというローカル駅があったり、ワンマンよりもツーマン運転が多いことに驚かされる。その逆にJR四国では究極的に合理化を進めたせいもあってか、特急停車駅でも無人化されていて驚かされる。JR九州のようにワンマン特急はまだ登場していないが、利用がさほど多くないと思われる徳島線特急や牟岐線特急、高知以南の特急などはワンマン化されてもおかしくない。

060909dosan65694  土讃線にはこの他琴電の乗り潰しをした時に琴平~多度津間で利用したりしているが、本格的に利用したのは06年9月10日の遠征ぐらいだ。この時は18きっぷを使って、土讃線、予讃線の撮影を中心とした旅をしている。予讃線の観音寺、土讃線の箸蔵で降りて撮影している。予讃線は瀬戸内海をバックにした有名な撮影地で撮影を行い、土讃線では吉野川を行く特急などを撮っている。坪尻のスイッチバックなども見学したかったが、列車の都合で見物することはできなかった。次回訪問する機会があれば是非とも見物したい駅だ。


JR瀬戸大橋線

2007年03月02日 | 四国

020803seto213c10   JR瀬戸大橋線に初めて乗ったのは、高校時代に唯一18きっぷを使った時だ。行きは自由席が連結されていたムーンライト高知に乗り、帰りは高松からマリンライナーに乗った。ムーンライト高知は真夜中に瀬戸大橋を通過するが、ちょうど通過時に目が覚めてふわふわした乗り心地に少し気持ち悪くなった。深夜の通過の為昼間よりもさらに遅い速度で走っていたように思う。マリンライナーは当然ながら普通車に乗車したが、京阪神の221系と遜色ない車両で、夏休みだったとは言え、乗車率の高さに驚かされた。

 それ以後は学生時代に四国へ渡る時に何度か乗っているが、学生時代四国へ渡ったのは、東京からサンライズ瀬戸で高松へ入った時と周遊きっぷを利用して四国各線を廻った時の2回だけだ。サンライズに乗った時は登場したての285系サンライズに乗るために18きっぷで東上して、東京近辺を乗り回して、東京駅からサンライズ瀬戸に乗車した。この頃は撮影には興味がなかったので、岡山での分割併合の写真などはなく、高松で停車中の285系をパシャパシャ撮っただけだった。高松到着後は何するでもなく、うどんを食べて速攻折り返しマリンライナーに乗って岡山へ戻っていった。今ならもっと乗り潰すなりしていただろうが、学生時代は鉄はすれどもいい加減な鉄活動をしていた。今さらながら後悔している。

 次の四国行きの際は行きはムーンライト高知に乗ったため、瀬戸大橋線では夢の中であった。この時は周遊きっぷの強みを活かしてカーペット車で横になって大阪~高知間を移動している。その時に高知で食べたモーニングがトーストに何でか味噌汁が付いていたのを今でも覚えている。帰りは8000系しおかぜで瀬戸大橋を通過した。この後も四国には何度か足を運んでいるが、瀬戸大橋を特急で渡ったのは後にも先にもこの1回のみだ。何で渡っても橋は橋だから景色が変わるわけではないが、四国特急にフリーゲージトレインが導入されたときには是非ともマリンではなくそちらを利用して四国入りしたいものだ。

 学生時代を終えてから社会人になって、ホームページを立てるようになってから再度乗り潰しに力を入れ始め、四国は周遊きっぷ利用で1回、18きっぷ利用で5回上陸している。いずれも瀬戸大橋線内はマリンライナーを利用している。一度は213系マリンライナーの惜別乗車も兼ねて琴電の乗り潰しで訪れ、この時は岡山から高松までグリーン車に乗っている。展望グリーン車の先頭に乗ったのはこれが初めてでよくできた車両だったのに置き換えられて廃車となってしまったのは惜しいものだ。

060909yosan5000m2  213系にはその後も最後最後と言いながら何度か乗車して、周遊きっぷで四国各線の乗り潰しをした時は置き換え後初めて5000系+223系のマリンライナーに乗車した。この時は夜の最終1本前で高松入りしたのだが、5000系階下の指定席に陣取った。疲れていたので、眠ってしまったが、以前の何の変哲もない213系の指定席よりもレベルは上がったと言える。帰りは奮発してというか松山からわざわざ高松行きの特急いしづちに乗って、高松で乗り換えてまでしてマリンライナーのグリーン車に乗った。できれば鉄っちゃんシートに座りたかったが、残念ながら岡山行きは後ろ向きとなるので、普通の階上のグリーン車にした。2階建ては京阪特急などで経験済みだが、5000系グリーン車は空調の音がやかましいなどグリーン料金を払っている割には・・・という感じもした。その後鳴門線乗り潰しや昨年の予讃線、土讃線撮影行きでも瀬戸大橋線を使っているが、いずれもマリンライナーの自由席を使っている。18でも別途グリーン券を購入すればグリーン車に乗れるようになったので、次回の四国旅行は被りつきグリーン席を利用したいものだ。


65貨物

2006年10月21日 | 四国
 四国に似つかわしくないEF65牽引の貨物。短編成ながら数を減らしている印象のあるEF65を四国で撮影できたのはある意味幸運か?天候がよければよかったのだが、晴れていても逆光の条件だからこれで我慢するしかない。

キハ65

2006年10月18日 | 四国
 吉野川からの帰りに乗ったキハ65系を行き違い待ちの讃岐財田で撮影。残り少ない国鉄気動車も四国ではまだまだ健在といった感じだ。しかし、1500形の増備で四国の国鉄気動車にも置き換えの波が・・・。吉野川で撮影できなかったので、帰りに坪尻に寄って国鉄気動車の撮影でもしようかと思っていたら、乗った列車がなんと坪尻を通過!!快速でもないのに秘境の駅だけに普通列車も通過してしまうということなのだろう。スイッチバックがあり趣きのある駅だっただけに一度訪れたかった

吉野川2

2006年10月17日 | 四国
 吉野川橋梁で撮ったN2000系。最初の一発目はこの場所までの道中で流し撮ったものだったが、正攻法としてはこの画が有名なポイントでの撮影となる。雨が降ったり止んだりの中での撮影で、撮れる列車は1時間に1本の特急のみ・・・普通列車を撮るとさらに1~2時間ほど待たされるという撮影効率の悪い場所だった。おまけに道中で三脚のハンドルを落としてしまうという始末・・・宿に入ってサンライズの撮影に出かけるまで気づかなかった撮影ポイント付近は道路工事の真っ盛りで、居心地はあまりよろしくないわで、いい撮影ポイントだったが、思い出としてはいいものはあまりなかった。

吉野川

2006年10月16日 | 四国
 海岸寺での撮影後、次は土讃線の撮影地ということで吉野川を訪れた。土讃線ローカルには相変わらずキハ58系やキハ65系が残っているが、私が乗った列車もちょうどそれらを使用する列車だった。それにしても琴平~阿波池田間の運転本数は少ない。さらに言うなら利用者も少ない。県境だから仕方ないが、特急の編成両数も年々減ってきており土讃線の先行きの厳しさを感じる。

海岸寺

2006年10月15日 | 四国
 予讃線の有名撮影地海岸寺を訪れた。海岸沿いを行く8000系やローカル列車が撮れる。午前中が順光みたいだから臨時で延長運転されるサンライズの後追いなども撮ることができるだろう。私が行った時間帯に上り貨物の通過はなかったが、貨物列車も数本通過するのでEF210やEF65が牽く貨物列車の撮影もできる。
 撮影地は海岸寺の駅から徒歩15分ほどで着く。交通量が多い歩道のない道路を歩くのでクルマには注意した方がいい。道路が線路を跨ぐところでカーブしているので、そこにいい足場があるので、そこから撮影することになる。但し、足場は断崖絶壁なので、台風などが近づいて風が強い時には十分気をつけないと海に転落してしまう可能性もある。