EXPRESS DIARY~鉄人日記~

鉄道に関することを日々徒然なるままに書いて行こうと思います。

阪急甲陽線

2007年10月31日 | 近畿

060409hky6010  阪急甲陽線に初めて乗ったのは00年12月頃と思われる。HP作りにはまり始めていたころで、当初はHPのネタ拾い(よその専門的なHPには太刀打ちできないので浅く手広く行こうという悪い癖を出したのがこの頃)に近畿圏の鉄道を乗り撮りし始めた頃だ。阪急は全路線乗ったつもりにしていたが、甲陽線だけはなんでか乗る機会もなく、乗ろうともせずに20年以上放り出していた。閑静な住宅街をゆく路線というイメージとは裏腹に女子高生がきゃっきゃ騒ぐ車内には違和感を覚えたが、全般的に落ち着いた路線というイメージには変わりなかった。2度訪れて1度目はフィルムのコンパクトカメラで傾いた写真を撮っただけで、それではいかんということで再度デジカメを購入してから訪問した。デジカメを購入してからも傾いた写真を撮っているのは変わりないが(成長がない)、パソコン上で修正やトリミングをするという悪知恵を覚えて余計に成長が止まった気がする。そんなことは露知らずというか、目をそむけてカメラだけは徐々にいい物にレベルアップしていき、少し欲が出てきたところで、再度桜が咲き誇る中を走る甲陽線を撮りたいという動機だけは一人前の心意気で、再度甲陽線を訪問することになった。夙川沿いはそれこそ至る所桜が満開で、本などでよく見ていた、夙川を渡る甲陽線電車も下手なりに撮ることができた。私が幼少の頃四六時中手にしていたカラーブックスに載っていた夙川を渡る甲陽線電車は阪急の旧型車両(1000系だったかな?)だったが、今では6000系がワンマン運転を行っている。まさに隔世の感を覚えるとはこういうことを言うのだろうか。最近時代の流れもあり、大量生産大量消費の波に押し流され、私のホームページも同じように質より量を重視した悪しき傾向があるが、幼少の頃それこそ穴が開くぐらいに読んだカラーブックスなどの本などを思い出すと今自分がやっていることが空虚に思えて一抹の寂しさを覚える。


阪急伊丹線

2007年10月30日 | 近畿

051225hky3159  阪急伊丹線には学生時代に一度伊丹まで乗車している。ちょうど阪神大震災があったころに学生時代を過ごしていたが、震災からなんぼか経過していたにも関わらず伊丹駅は仮駅舎状態の中、伊丹へ所用のため訪れた時に利用した。本などで見ていた立派な高架は跡形もなく、新しい高架駅ができるまで阪急伊丹駅は塚口方に後退した格好で仮駅舎を置いていた。鉄活動ではなかったので、仮駅舎だったこと以外はじっくり見て回ることはなかったので、あまり印象に残っていない。というより帰りはJRを利用したので、阪急伊丹線のイメージが半分になってしまったということもある。

 その後、伊丹新駅舎が開業して、しばらく経ってから再度訪問している。バリアフリーなどに力を入れた新しい駅は、人にやさしい駅というイメージが大きく、高架駅なのにホームからスロープが延びていたり、駅のバリアフリー化のモデルケースとして注目されていたように思う。しかし、その反面、かつては伊丹から北への延伸も考慮されたような配線だった駅構内は1面2線にスケールダウンした格好で、伊丹以北への延伸は完全に諦めたかのような駅になっていた。JR伊丹駅も2面4線の準備をしながらも、2面2線のまま推移しており、夢破れて山河ありのような形跡は阪急もJRも似たり寄ったりといったところだろうか。伊丹線にはその後2~3回乗っている。伊丹の方は小奇麗に変身したが、塚口の方はいつまで経っても1面1線を使用するのみで、駅を出たところで急カーブが存在して、そのあとから複線になるという独特の配線は全く変わりない。高架化の計画などもあるようだが、神戸本線の梅田方のみ高架化が完成して、塚口駅構内の高架化は全く計画すら聞こえてこない。伊丹線の塚口を見るといつもスケールの小さな京急蒲田という印象を受ける。あちらは本線と頻繁に直通運転を行っているが、伊丹線の方はいつまで経っても線内運転のみである。神戸本線が最大10連なのに対して、伊丹線は最大4連での運転とその格差はあまりにも大きく、直通運転を行いにはかなりの弊害がある。編成長格差のある京阪交野線でも本線との直通を行うようになったのだから、伊丹線でも全く可能性がないというわけでもないだろうが、今のところそのような計画は聞こえてこない。


阪神武庫川線

2007年10月29日 | 近畿

01hanmukogawa79903  阪神武庫川線に初めて乗ったのはHPを始めてからのことだ。いつでも乗れるという近畿圏の路線は学生時代などには主要路線を除いて乗ることが少なかった。武庫川線もそうやって乗り残してしまった路線の一つで、HPを開くようになって、近畿圏の鉄道を全て取り上げていくという目標を立てて、それに基づいて乗り潰しや撮り潰し?をしていった。2000年頃から取り組みはじめ、武庫川線はその中でも早い時期に乗りに行っている。あやふやな記憶だが、01年の年末に3DAYチケットを利用して乗ったと思われる。2000年末にも3DAYチケットを利用して、南海などを乗っていたが、武庫川線に乗ったかどうかあやふやだ。南海で1日、神鉄で1日使用しているはずで、神鉄に乗る前に阪神に乗っていたかもしれない。

 現地に赴いて初めて気づくことは多いが、武庫川線では武庫川駅に中間改札があり、ここでチェックを受けて、東鳴尾、洲先の2駅では改札はノーチェックとなっている点に気づいた。終点の武庫川団地には自動改札があったはずだが、中間の2駅は無人駅で、省略化の典型のような駅だった。武庫川線自体の流動も武庫川団地から武庫川への流動がほとんどで、洲先が終点の時はよく路線として成り立っていたなと思うほどだ。武庫川線は武庫川から先も線路が延びており、本線との連絡線のほかに、昼間などに車両を留置する線路として使われている。その昔は国鉄東海道本線の西ノ宮までの貨物線があったり、武庫川大橋まで線路が延びていたり、武庫川線にも色々な歴史があったが、今では武庫川団地への足が武庫川線の唯一の存在価値と言える。


JR小海線

2007年10月26日 | 甲信越

070909koumie20023  JR小海線には学生時代に1回乗車している。95年夏に碓氷峠を越えて小諸まで行き、小諸から小淵沢まで乗り通している。この1回きりでしばらく小海線から遠ざかっていたが、乗るだけで写真が一枚もないということ、世界初のハイブリット気動車デビューということもあり、再度訪れる計画を立て、07年9月9日に2回目の乗り潰し?をした。上田駅前の上田交通系のビジネスホテル(\4900-上田は全般的にビジネスホテルが安い印象)に泊まり、朝一番しなの鉄道で小諸へ移動。前日も乗っているので、あまり感慨はないが、日曜日なのに朝から高校生の姿が目立った。ハイブリット気動車は7月にデビューしていたので、鉄道ジャーナルなどにも取り上げられ、目先の運用が記されていたので、私が計画した行程でうまく乗れるのではないかと期待していたが、臨時ダイヤを組んでいる関係からか、想定して070909kouminobeyama いたより1本後の列車で運用されていた。今回は乗るより撮りを優先して、とりあえず先行するキハ110系気動車の普通列車で小淵沢まで移動し、小淵沢近辺でハイブリット気動車の撮影をすることにした。小淵沢~甲斐小泉間の大築堤まで行きたかったが、列車から見る限りかなり駅から遠そうだったので、断念して小淵沢駅近くの陸橋付近から撮影することにした。八ヶ岳バックなどの写真は撮れなかったが、とりあえず乗れなかった分ハイブリット気動車を往復撮影して、急いで駅へ引き返し、中央東線~中央西線経由で帰阪の途に就いた。今回の計画では当初は野辺山で降りて、日本一高い駅の撮影をすることを考えていたが、小淵沢での撮影に変更してしまった。車内から日本一高い駅の看板?を見るだけに終わってしまった。また機会があれば野辺山を訪問して、日本一高い駅と日本一高い箇所(有名な踏切付近)へ行ってみたいものだ。


しなの鉄道

2007年10月22日 | 甲信越

070103shinano115s12  しなの鉄道には国鉄信越本線、JR信越本線時代に何度か乗っているが、しなの鉄道としては実はまだ完全に乗り潰しはできていない。乗車したのは07年9月1日、2日の北関東、信州遠征で、軽井沢~上田間と上田~小諸間だけで、上田~篠ノ井間は転換後まで乗車できていない。横軽なき後、しなの鉄道としての目玉は特に見当たらない地味な路線だが、沿線人口は比較的多そうなので、努力次第では黒字経営できそうな基盤はあるとみている。特急列車が走らなくなり、さみしい限りではあるが、軽井沢周辺は観光客でにぎわっており、新幹線のおこぼれを何とか頂いて並行在来線問題はこうやって解消するという手本を示してほしいところです。

 横軽には代替のJRバスが走っており、バスを介しての横軽越えを今でも体験できる。07年9月1日に上信電鉄乗り潰し(不完全だが)を終えて、久しぶりに高崎から信越本線に乗り横川へ。懐かしのと言っては怒られるかもしれないが、峠の釜めしで有名なおぎのやの看板を見て懐かしさに浸り(峠の釜めしはシイタケ嫌いの私にはちょっと…)、碓氷峠鉄道文化むらを小1時間ほど見学して、バスで横軽越えをして、軽井沢からしなの鉄道に乗った。横川では鉄道とバスの乗り換えは比較的スムーズだが、軽井沢は少々歩かされる。鉄道の代替として運行されているバスなんだから鉄道との乗り継ぎをもっと便利にして欲しいものだ。この時は軽井沢から上田までしなの鉄道に乗っているが、車体塗装こそオリジナルではあったものの、JRからのお下がりの115系だった。翌朝小諸で169系も姿も見られ、JR東日本から消え去った急行車が未だに見られるという点では鉄道ファンには貴重な路線と言える。


上田交通

2007年10月19日 | 甲信越

070908ueda7254  信州の私鉄で乗り残していた上田交通攻略は何度か企画を立てては、企画倒れに終わり、長野電鉄や松本電鉄乗り潰しの際にも乗れずに残っていたが、漸く07年9月1日に乗り潰すことができた。午前中に埼玉新交通、上信電鉄に乗って、午後から横軽をバス転換後初めて在来線で越えて、軽井沢からしなの鉄道で上田に着いた時には夕暮れ間近の時間になっていた。9月とはいえ、東日本は西日本より日の入りが早いので、明るいうちに乗り潰そうと上田で、ちゃっちゃとそばを食して乗り潰しに取りかかった。思いのほか立派な高架駅の上田駅には元東急7000系2両編成が停車していた。これだけを見ると東急の支線のようだが、駅を出ると千曲川を渡り風景は一変する。東急沿線では見られない田園風景が展開され、信州の山々が見られる景色はまず東急にはない車窓である。終点別所温泉までの距離は案外長く、30分程度のトリップとなる。別所温泉手前のところにかつて上田交通の代名詞だった丸窓電車が置かれている。野ざらしの状態のため、今後車両の腐食が進まぬか心配されるところだが、今のところは比較的状態はよさそうだ。本線復帰などは無理だろうが、もう少しいい状況で展示してほしいものだ。今のままでは廃車留置という感じがして、非常に勿体ない気がする。


上信電気鉄道

2007年10月18日 | 関東

070908jyoshin2052  上信電鉄には07年9月1日、2日の北関東、信州遠征で乗車している。前週にも北関東に遠征しており、上信電鉄もその折に乗るつもりにしていたのだが、計画を変更して桐生地区の東武各線の乗り潰しをやめて、上州方面と秩父方面の組み合わせで8月25日、26日を消化して、上信電鉄及び信越本線横川方面と上田交通、しなの鉄道、小海線への遠征を9月1日、2日にすることにした。信州方面遠征は北越急行への再遠征と組み合わせて計画していたが、中越地震の影響で急行きたぐにが運休していたので、計画を変更することになった。

 定番のムーンライトながらで東京入りして、当初は池袋へ出て東武東上線の乗り潰しを目論んでいたが、前週に寝過して埼玉新交通の乗り潰しができなかったので、改めて埼玉新交通の乗り潰しをすることにした。前日に関東地方を台風が襲ったため、予定通り行程を消化できるか不安だったが、東京入りまでは特に何の影響もなかった。台風一過で天気が良かったぐらいだった…。大宮で来るか来ないかわからない寝台特急あけぼのを待ったものの、定時に来ることはなかった。HPを見ても運休の表示はなかったので、台風の影響で遅れているのか、あるいはやっぱり運休だったのかよくわからないまま、あけぼのを諦めて埼玉新交通の乗り潰しにかかった。内宿まで往復して、高崎線で高崎へ。奮発してグリーン車に乗ったが、Suicaを持ち合わせないため、自動券売機でしょぼいグリーン券を買って2階席へ。ながらでの睡眠不足を補うべくグリーン車の旅を満喫するというより爆睡のまま高崎へ。大宮で見かけたゆとりが停まっており、関西では見られないEF60が牽引していたので、そそくさと撮影して上信電鉄へ急ぐ。上信電鉄の改札へ行って、切符を購入しようとすると前の客に“昨日の台風で線路に木が倒れて南蛇井から下仁田までバス代行になってます”という予想外の災害を耳にしてしまった。前夜碓氷峠で通行止めというニュースを見ていたので、碓氷峠越えがやばいかなと思っていたが、まさか上信電鉄が不通になっているとは思ってもみなかった。それ以前に改札付近に何の掲示もなく、係員に再度確かめて空耳ではなかったことを確認したほどだ。1日運休程度の軽いものだったみたいだが、代行輸送もやっていることだし、駅への掲示はやって欲しかった。

 南蛇井~下仁田間の乗り潰しは叶わず、かといって他に振り替える予定もないので、とりあえず上信電鉄を乗り通すことにして、南蛇井~下仁田間は代替バスで“簡易乗り潰し”をした。下仁田は風情のある駅舎で電車で訪れたい気がする駅だった。バスの本数も限られているので、恥ずかしながら代行バスでも鉄方式で速効折り返しをした。行き帰りとも古い非冷房の200形で、台風一過でフェーン現象なのか物凄く暑い上州路は地獄の道中といった感じだった。部分運休するわ、往復とも地獄のような暑さやわとあまりいい印象が残らなかった上信電鉄乗り潰しの旅だった。


秩父鉄道

2007年10月17日 | 関東

070902chichibuc583635  秩父鉄道には上州へ遠征した07年8月25日の翌日26日に乗っている。前日上毛電鉄わたらせ渓谷鉄道に乗って、JR両毛線~宇都宮線を乗り継いで大宮まで戻り、大宮で一泊して次の日の秩父攻略に備えて早めに眠った。翌日は予定では早起きしてあけぼのの撮影に再チャレンジして、埼玉新交通の乗り潰しを朝一でして、熊谷に乗りこむつもりにしていた。しかし、早く寝たにも関わらず前日の疲れが相当だったのか、はたまた前週よく働いたのか、または前々日のムーンライトながらでよく眠れなかったのか(これが一番大きい)、自分でもよくわからないが、私にしては珍しく寝過してしまい、あけぼのどころか、予定していた秩父鉄道の行程にもぎりぎりという時間に目が覚めてしまった。仕方なくホテルを出て急いで大宮駅まで行って、予定より1本遅い高崎線電車に乗り込んだ。1本遅くても熊谷で時間調整の範疇という行程を組んであったのが幸いした。やっぱり乗り鉄も撮り鉄も余裕時分をたっぷり取っておくことが大事だ。ここはJR西日本よりもJR東日本を見習っておいた方がよいといったところだろうか。少しの余裕があったので、熊谷の駅そばで朝飯(朝そば?)を食べる。関西ではうどんを好んで食べるが、関東に来て黒出汁のうどんは喰えんということで、関東では好んでそばを食べる。そばだと何となくうまいからおかしなものだ。うどんもひと頃は関東風の出汁ばかりで見るからに黒いうどんが多かったが、近年は讃岐うどん流行りや関西人の東京流出が進み、うどんの方は関西風が多くなってきているように思う。関西風うどんがお笑い界のように関東を席巻する日も近いのでは?と思うのは私だけだろうか。

 そばでお腹を膨らまして、秩父鉄道の改札へ向かい土日限定発売のフリー切符を購入して改札に入る。とりあえず羽生までの乗り潰しをして、折り返し三峰口まで向かう行程を組んでいたので、羽生行き普通に乗る。ホームにはリュックを背負ったハイカーらしき人が多く見られ、三峰口方面の電車に乗り込んでいた。秩父は関東では有数のハイキングや軽い登山を楽しめる地なのだろうか?羽生行きは非常に空いており、日曜なのに高校生の姿が見られるローカル線の風情が見られるような路線だった。東武伊勢崎線の都会風の2面4線のホームが隣接する羽生駅は真新しい橋上駅舎で、自動改札がないのが不似合いなぐらい新しい駅舎だった。一旦改札を出て、急行券を購入して、再び改札に入り、折り返しは専用車両が用意されている急行で三峰口を目指す。鉄っちゃんシートでかぶりつきを試みるが、運転室直後の窓が高すぎて座ったままではとてもかぶりつける代物ではなかった。急行料金を取るのだから、少しは全面展望が楽しめるような構造にして欲しかった。羽生からはほとんど乗客もなく、車掌の急行券のチェックもなく熊谷に着いた。羽生の改札でチェックをしていると言えばそれまでだが、後続に普通もあるので、羽生でのチェックには限界がある。途中の行田市や熊谷までの利用はミスミス急行券を取り逃すことになるのではないかと思う。短距離利用は眼中にないのかもしれないが、それなら羽生~熊谷間は急行券不要など公の処置を取ってほしいものだ。今のままでは中途半端な感じがする。私が乗った列車がたまたま検札に来ないだけだったのかもしれないが…。

 熊谷から大量の乗車を予想していたが、ホームにあふれんばかりの人がいた割に、乗ってきたのは想像を絶するほど少なかった。後続にSLパレオエクスプレスが運転されるので、大半の人はそれに乗るようだった。ホームでカメラを構える人が多いわけはこれだったのだ。とりあえず隣席も空いたまま快適な道中を過ごすことができた。道中SLの撮影地はないかと探しながら景色を眺めていたが、好撮影地にはSL追っかけ族が早くも陣取っていて撮れる箇所がすぐにわかるぐらいだったが、いずれも駅からは遠そうな所ばかりだった。終点三峰口まで行って、秩父鉄道車両公園(無料)を見物して、折り返し電車に乗って、次の駅白久で降りて、ネットで探し当てた駅から近い撮影地まで少し歩いた。付近には既にSL追っかけ族が少し離れた所に陣取っていた。まぁまぁの撮影地と言えるが、駅から近いので文句は言えない。結果は…まぁまぁの出来だが、SL追っかけ族が写ってしまったのが玉に瑕といったところか?撮影後は三峰口でSLの折り返し作業を見ることも考えたが、この時は妙に疲れがたまっていたのでそそくさと退散して、御花畑で西武に乗り換えて東京方面へ戻って行った。


わたらせ渓谷鐵道

2007年10月16日 | 関東

070901watarase2033  わたらせ渓谷鉄道には上毛電鉄とセットで乗り潰しを行った。07年8月25日になる。上毛電鉄の時に書いたように天候は思わしくなかったが、天気が悪いからまた次にしようという場所でもない(はるか遠くの関西から遠征しているので)ので、上毛電鉄を乗り潰して、小雨が降る中、西桐生から桐生まで歩いて(前橋から中央前橋よりもはるかに近かった)、わたらせ渓谷鉄道の乗り潰しに挑んだ。現地に赴いて初めてフリー切符があることに気づき、JR東日本の窓口で購入した。帰りに本宿付近でトロッコ列車を撮ろうと目論んでいたので、ちょうどよい切符があったものだ。大間々止まりの列車が先にあったが、それは立派な高架ホームから出発する光景を見物するだけにとどめ、次の終点間藤まで行く列車に乗り、とりあえず乗り潰しを完了することにした。途中神戸(“こうべ”ではなく“ごうど”と読む)でテレビでも紹介されたことがある元東武特急の車両を流用したレストラン“清流”を見たり、足尾でトロッコ列車や旧JRのやすらぎが移籍したサロンド・わたらせを見たり、なかなか面白い鉄道という印象を受けながら終点の間藤に着いた。足尾から間藤にかけては言葉は悪いが足尾銅山の残骸が各所に見られ、負の遺産として世界遺産に登録しようかという足尾銅山を垣間見ることができた。

 終点の間藤へは鉄道ファンと一部観光客が乗っていただけで、大半の利用者は足尾か足尾銅山観光の起点となる通洞駅で降りて行った。間藤には乗り潰しの神様とも言うべき宮脇俊三氏が国鉄完乗を果たしたという展示があった。小奇麗な駅舎ではあったが、人気は少なく、同駅で折り返す人以外はまばらという感じだった。格言う私もいつも通りそのまま折り返すだけであったが、かつては足尾本山まで線路延びており、それを探検するのも面白いだろう。残念ながら私にはそんな趣味はなく(最近若干興味は持っているが)、そのまま折り返して、とりあえずは前夜のムーンライトでの疲れを取るべく睡眠に励んだ。行きは雨が降ってはいたものの小康状態といった感じで、小ぶりの雨だったが、折り返しの道中は大雨だった。このため、途中本宿で降りて有名な撮影地でトロッコ列車撮影を目論んでいたが、雨と疲れで“や~めた”と即決した。本宿は桐生からも結構近いので、東武の乗り潰しの際に寄れたら撮影しに行きたいところだ。


上毛電気鉄道

2007年10月15日 | 関東

070901jyomo7233  上毛電鉄は07年8月25日の上州遠征の際に乗り潰した。ムーンライトながらで東京に着いた時から雲行きが怪しかったが、前橋に着いた途端に雨が降り出す不運。JR前橋から上毛電鉄の始発駅中央前橋まで雨の中を徒歩移動。推定徒歩15分といったところで地図を見ていたが、迷うことはなかったが、目と鼻の先というわけではなく、目に見えぬ目的地へ行く時は実際かかった時間以上に体感所要時分はかかったように思える。往復歩けば、体感以外の実際の所要時分もつかめるだろうが、一回歩いただけでは歩いて何分と言い切るのは難しい。撮影地ガイドで徒歩何分という記述を参考に撮影地へ出向いてみると想像以上に遠いことが多い。帰りに歩くとなるほどそんなもんかと思うことが多々あるが、行きは初めてで撮影したい列車の時間に合わせて焦りながら歩くということもあるので、やはり体感所要時分が掴み辛いところはある。乗り鉄も撮り鉄もこの辺りは共通で、初めて訪れる地では焦ることがないように時間に余裕を持ってなおかつ事前準備を万端にして行動するのがベストと言える。書くだけ書いておいて全く事前準備ができていないので、最近現地で困る事態が間々ある。

 この時は何とか中央前橋に余裕を持って到着できて、予定よりも1本早い電車に乗ることもできたが、駅でゆっくりしようということで1本見送って次の電車に乗り込んだ。地方鉄道ではおなじみの元京王3000系が使用されており、次発の電車には車内に風鈴が付けられた風鈴電車が充てられていた。到着した電車からは自転車を押した“おかあちゃん”や高校生が降りてきた。自転車ごと乗車が近年地方鉄道で流行っており、熊本などでもナマで見たことはあったが、空いているからできる技なのかなという気がいつもしている。混んでいる電車に自転車を乗せるのは…論外だろう。高校生などは通学電車に自転車が乗せられたら便利という子もいることだろうに。

 上毛電鉄の印象は乗車前には上州の一ローカル私鉄というイメージしかなく、特に思い入れもなかった。実際乗ってみても雨が降って景色がよく見えないということもあり、あまり印象的なところはなかったが、途中東武と連絡していることもあり、乗り継ぎ用のパスモの読み取り機があったのが唯一印象に残っている。上毛電鉄自体がパスモに参加しているわけではないが、これを足掛かりに導入という向きにまで行けばしめたものだろう。


JR両毛線

2007年10月10日 | 関東

070901ryomo115t1045  JR両毛線は05年9月10日と07年9月1日の2回乗車している。05年9月10日は全線乗り通しており、急行きたぐにで直江津に入り、北越急行~上越線と乗り継いで、吾妻線を乗り潰してから両毛線乗り潰しにとりかかり、その勢いで?小山からさらに水戸線も乗り潰して、水戸に宿泊している。この頃はちょうど両毛線開業120周年記念で、115系にはそのヘッドマークが取り付けられていた。両毛線=115系のイメージが強く、他の車両が走る路線ではないと思っていたが、107系や211系の姿も見られ、朝夕には前橋までE231系の乗り入れもあるようで、185系特急あかぎなど結構多種多様な車両が走る路線のようである。

 07年9月1日は両毛線がメインではなく、周辺路線の上毛電鉄、わたらせ渓谷鉄道の乗り潰しが目的で桐生周辺を訪問した。両毛線には新前橋~前橋間と桐生~小山間に乗車している。当初計画では桐生から高崎経由で大宮まで戻る予定にしていたが、雨が降っていたのでわたらせ渓谷鉄道での撮影を断念して予定が早まったので、小山経由で大宮へ戻ることにした。車種が増えて211系の姿が多くなった感があったが、乗ったのは115系でまだまだ同車が両毛線の主力車両であることには変わりないようだ。主要路線へのE231系投入はひと段落ついているので、今しばらくは115系の活躍も見られるだろうが、本線系の211系置き換えが進めば、両毛線などで使用されている115系が置き換えられていく可能性もあるだろう。


JR高崎線

2007年10月09日 | 関東

041231takasaki231u529  JR高崎線を乗り潰したを達成したのは、学生時代にムーンライトえちごで新津から新宿まで夜行軍した時だ。95年夏のことで、この年には上下のムーンライトえちごのお世話になっている。学生時代は居住性が悪く、座席指定ではなかった165系大垣夜行を敬遠して、東京遠征には好んで北回りをして同じ165系でも居住性に優れたムーンライトえちごに乗っていた。しかし、高崎線に乗るのはムーンライトえちごに乗る時だけで、ず~っと昼間に乗ったことはなかった。初めて陽のある時間帯に乗ったのは八高線の乗り潰しをした04年12月30日のことで、八高線で高崎まで出て折り返し湘南新宿ラインで東京方面へ戻っている。この時も日暮れの早い時期の夕方に乗ったので、高崎線の旅を楽しんだというわけでもなかった。電車は既にE231系に置き換わっており、途中人身事故の発生の案内を電光掲示していたのが目新しかった。

070901takasakief81138akeb2  その後も高崎線は大宮近辺で撮影するだけということが多かったが、07年8月25日~26日の遠征では上毛電鉄、わたらせ渓谷鉄道の乗り潰しをするために、高崎線を利用することになり、上野、大宮~高崎まで往復している。ムーンライトながらで東上したので、途中宮原であけぼのの撮影をしたが、北陸、能登は運休中のため撮影はできなかった。高崎線は線形がいい路線というイメージだが、その割にあまり速く走らないというイメージもある。国鉄時代は今よりもっと流していたのかもしれないが、E231系は結構な速度で走る区間が多い。JR東日本も変わりつつあるのだろうか。また、看板の特急列車がほとんど新幹線化されてスジが空いたので普通の待避が減ったのも沿線住民にとってはプラスと言えるだろう。26日も大宮に泊まって、熊谷まで高崎線に乗って秩父鉄道の乗り潰しに出ている。高崎線は秩父鉄道への貨物列車などの運転もあり、想像以上に貨物列車の運転が多い。かつてはEF65-500が牽く貨物の写真をよく見かけたが、今はEF210の姿が多い。EF210は関西では腐るほど走っているので、EF65-500やEF64-1000など物珍しい機関車を見ると少々感動を覚えるが、たいていはEF210というのが多かった。

070908takasakief60192  07年9月1日、2日にも同じような行程で北関東に遠征している。この時は上信電鉄や上田交通などの乗り潰しがメインで、前週に乗りそびれた埼玉新交通に乗って、大宮から再び高崎線で高崎に出て上信電鉄の乗り潰しをしている。この時は奮発してグリーン車に乗車している。スイカを持ち合わせない田舎者は自動券売機でしょぼいグリーン券を事前購入して、乗車してアテンダントのチェックを受けなければならない。利用は少ないだろうが、イコカでも乗れるようにして欲しいものだ。高崎線はもともとグリーン車の連結などなかったが、湘南新宿ラインが運転され、東海道本線との直通が頻繁に行われるようになり、同線でのグリーン車需要を満たすという意味と高崎線や宇都宮線からの遠距離利用へのサービスも兼ねてめでたくグリーン車が連結されるようになった。上野口の211系にもグリーン車が連結されているが、平屋建てのグリーン車も見られ、ファンにとっては多種多様で見ていて楽しいが、利用する側からすると2階建てグリーンの存在は大きく、魅力的だ。とはいっても地元関西では似たような車両に別料金不要で乗ることができるし、2階建て車両自体は昔から見飽きるほど見てきたので、さして物珍しくないと“言い張って”おく。いずれにしても没個性のE231系の中で、2階建てグリーン車はより一層目立つ存在となっていることは確かで、思わず乗ってしまうものを持っているとのではないかと思う。


井原鉄道

2007年10月02日 | 山陽

060218ibarairt35510  井原鉄道は03年3月21日に乗り潰している。3セクや私鉄の乗り潰しは二の次でJRの乗り潰しさえもままならない時期だったことを考えると3セクの割に早く乗ったものだと今更ながら思う。おそらくホームページの整理をしていて、中国地方の鉄道を先に潰しにかかろうと戦略を立てて、その第1弾として水島臨海鉄道とセットで井原鉄道を乗り潰すことを目論んだのだと思う。また、中途半端に乗っていた吉備線ともセットで乗ることにして、18きっぷを利用して日帰り旅行を楽しむことにした。

 吉備線で総社入りし、総社から井原鉄道に乗って、終点の神辺を越えて直通列車で福山まで出ている。まさに乗っただけで、途中井原で長時間停車があったが、特に何するでもなく、早起きで眠たいのを我慢しながら、コンクリートに覆われた高規格路線の単調な旅を終えている。新しい路線だけに結構速く走るし、気動車も乗り心地がいい車両だったように思うが、如何せん利用者は少なかった。総社で伯備線や吉備線に連絡して岡山方面へ直結しているが、どちらも結構時間がかかるし、神辺から福塩線で福山に出るにも時間がかかる。直通列車がもっとあればもっと便利なのだろうが、岡山と広島の県境を越えるので福山方はそれほど重要があるとも思えない。本来同じ気動車が走る吉備線と相互直通を行うべきなのかもしれないが、吉備線もあまり速くないので、直通してもその効果が如何ほどかは疑問だ。それでも岡山方面への直通効果は少なからずあるはずだからやってみる価値はあるはずだ。吉備線はLRT化される恐れもあるので直通運転が実現するかどうかわからないが、井原鉄道活性化には都市への連絡が必要と言える。


若桜鉄道

2007年10月01日 | 山陰

030728wakasawt2503  若桜鉄道は03年7月26日の山陰遠征時に乗り潰した。山陰本線高速化前夜ということもあり、キハ181系使用の特急はくとに惜別乗車して山陰入りし、鳥取からこれまた高速化で引退するキハ58系快速とっとりライナーに乗って米子まで行き、米子から境線を往復して、再びとっとりライナーで鳥取まで戻って、夕刻近くに鳥取から因美線で郡家まで行き、郡家から若桜鉄道に乗ってミニトリップしている。山陰地区で使用していたディスティネーション切符は因美線も若桜鉄道も範囲に入っていなかったので、鳥取で若桜までの往復切符を購入して乗り潰しに挑んでいる。若桜鉄道の気動車こそ第3セクターの新しい気動車だったが、沿線風景や駅はタイムトリップしたような光景が広がる路線だった。まさに日本の原風景といったところで、それだけに利用者は本当に少なく、途中八頭高校の高校生が乗り降りした以外は数えるほどしか乗っていなかった。長閑な風景が展開される昔ながらの汽車旅は魅力的だが、その分沿線の状況は厳しいと言える。山陰には国鉄型の気動車がたくさん残っていたが、今や現役で残っているのはキハ40系列の気動車のみだ。これらを何とか活用して国鉄時代の原風景が展開できるような臨時列車を鳥取から走らせたら面白い。鉄道ファンは感心しないところが多々あるが、客寄せパンダでまずは人を寄せるために鉄道ファンを誘致するのは一手である。こういうイベントをすると必ず撮るだけで鉄道には何も金を落とさず、ガソリン屋を喜ばすだけの輩がいるが、付近でスピード違反や迷惑駐車の取り締まりを強化してもらい、事前告知しておけば鉄道を利用する人も増えるのではなろうか。あるいは鳥取や郡家でパークアンドライドをするのも一考だ。