JR鹿児島本線門司港~博多間に初めて乗ったのは1997年春の九州初遠征の際だ。JR山陽本線を普通列車で西下していき、関門トンネルを抜けて九州に初上陸したのは既に日がどっぷり暮れた後だった。この時は友人が同行しており、1日目は山陽筋を西下して小倉に泊まる行程、2日目は小倉から博多に出て博多近辺を観光する行程で、博多から熊本へ移動して熊本で1泊している。3日目は熊本近辺の観光をして、博多へ出て宿を探すも空いている宿がなかったので、仕方なく小倉まで戻り、1日目に泊まったホテルに泊まっている。4日目からは単独行動になり、友人は一足先に帰阪している。ここから先は別途書いていくことになるが、小倉から当時のソニックにちりんに乗り別府へ。駅前温泉で一風呂浴びて、別府からキハ185系特急ゆふで博多へ。博多から赤い快速に乗って直方まで行き、ここで乗り換えて若松まで筑豊線を乗り通している。その後門司港まで出て夜の門司港駅を見物したのが門司港~博多間の乗り潰しの始まりである。
この頃はカメラを持たずに旅行に出るほど写真撮影には無頓着で、現地でインスタントカメラを入手して適当に撮影する程度のカメラ嫌いだった。今は一にも二にも写真撮影が優先されるような鉄旅行をしているので、我ながら隔世の感を覚える。基本的に写真撮影は嫌いではないが、現像に出すのが邪魔くさいので写真はあまり撮らない主義だった。それを見事に解消してくれたのがデジカメということになるだろう。
九州にはその後何度も足を運んでおり、鉄道移動とりわけ在来線移動が多い私は玄関口である門司から先の鹿児島本線に乗ることは多かった。1998年夏にムーンライト九州に乗って中国遠征した時に門司まで足を踏み入れているが、この時は山陰本線気動車に乗り換えただけだった。1999年春に再び第2次九州遠征を敢行している。この時はフェリーで九州入りしたので、門司から九州入りしていない珍しいケースだった。志布志港から九州に入り、帰りは新幹線で帰ったので、この時はほとんど北九州地区の列車には乗っていない。グリーン豪遊券を使用して九州を廻ったが、鹿児島本線の北部を通ったのはソニックで通り過ぎた1度だけだった。
次に九州を訪れたのは2002年1月1日でこの時はJR西日本のフリー切符で山陽新幹線に乗って博多まで来て、在来線ホームで撮影をしただけなので何も乗っていない。第3次九州遠征は同年の8月15日から17日の3日間で、この時もグリーン豪遊券を使っている。今はなきグリーン豪遊券だが、3日間でグリーン車乗り放題という鉄には打ってつけの夢きっぷの一つであった。この時は九州まで家族旅行の運転手として借り出されたので、行き帰りともクルマの運転というちょっとハードなスケジュールだった。しかもグリーン豪遊券を有効に使うためドリームつばめで連泊するなど無茶なことをやっている。この時も北九州はソニックで素通りしただけだ。しかし、この時に小倉で食べたかしわうどんに感動して私の中にあった九州へ行けばラーメンの概念が崩れて、九州を訪れる際にはラーメンはもちろん食べるものの、鳥栖を筆頭としたかしわうどんを必ず食すようにしている。四国の人には失礼だが、こと出汁に限っては九州のうどんの方が絶対にうまい。
第4次九州遠征は北九州地区のローカル線乗り潰しと九州新幹線開業前のつばめ乗り納めが目的で2003年12月20日、21日に遠征している。この時は行きはあかつきのレガートシート、帰りは福岡空港から大阪空港までJALのバースデー割引を利用している。行きのあかつきは乗り遅れで岡山まで新幹線で追いかけで乗り、博多で降りる強行軍で睡眠時間はあまりなかった。おまけに博多着が早朝5時台のため、小倉を過ぎたあたりで目が覚めたので、寝過ごしは厳禁ということで博多までロビーで無理やり目を開き続けていた。博多到着後は駅前の24時間開いている博多ラーメンの店で早朝ラーメンを食して鹿児島本線を南下して、原田から筑豊本線原田~桂川間の乗り潰しをして、桂川から篠栗線で博多へ戻り、博多から筑肥線~唐津線~筑肥線~佐世保線~長崎本線~鹿児島本線と乗り継いで博多まで戻っている。この時ドリームつばめまでの時間を利用して門司港まで行って夜の門司港駅舎を撮影している。昼の門司港駅も違った魅力があるが、夜の門司港駅の雰囲気は最高だ。次の日は折り返しつばめに乗って、鹿児島本線最後の道中を楽しんで博多まで戻った。この時は2枚きっぷを利用している。博多から香椎まで鹿児島本線に乗って、香椎線の乗り潰しをして帰路についている。
第5次九州遠征は2004年7月24日、25日で九州新幹線初乗りが目的のの遠征だった。ムーンライト九州で九州入りし、初めて博多まで同列車に乗車して、博多からリレーつばめに乗っている。リレーつばめは指定席満席のため仕方なく奮発してグリーン車に乗った。その後は九州新幹線~肥薩線~鹿児島線と南九州を巡り、熊本で一泊している。翌日は三角線の乗り潰し、熊本から鹿児島線~長崎線~長崎線旧線~大村線~佐世保線~長崎線と西九州を丸飲みにして、その夜のムーンライト九州で帰阪している。次の日は平日ながら会社が休みだったので、朝から京阪の撮影までして、帰宅している。老いて盛んと言うにはまだまだ老いてはいないが、学生時代よりも元気に活動しているのは確かだ。学生時代ならムーンライト九州でグロッキーで速攻家に帰って眠りについているに違いない。
第5次九州遠征は2005年1月2日、3日で北九州地区と西鉄巡りをしている。ムーンライト九州で小倉入りし、小倉から日田彦山線に乗り、夜明から久大本線で久留米へ出て、久留米から鹿児島本線を北上して門司港まで乗っている。この時は久しぶりに昼間の門司港駅舎を見ている。小倉へ戻り日豊本線で行橋へ行き、平成筑豊鉄道の乗り潰しをして筑豊線で折尾へ戻って、鹿児島本線で博多へ出て天神で一泊している。翌朝からは西鉄の乗り潰しをして、とりあえず大牟田まで乗って、大牟田から鹿児島線に乗って、弥生が丘ではやぶさ・さくらの撮影をして、基山から甘木鉄道に乗り、甘木から西鉄に戻って、西鉄甘木線、西鉄太宰府線の乗り潰しをして、地下鉄を乗り継いで西鉄宮地岳線の乗り潰しをして、西鉄福間からJR福間まで歩いて、福間からJRに乗ってまた小倉、門司港と夜の門司港駅を訪れている。帰りはムーンライト山陽に乗るため、九州とは別れを告げて下関まで戻って帰阪している。
第6次九州遠征は北九州地区私鉄乗り潰しで、2005年7月30日、31日に遠征している。この時は30日に山陽線を西下して新山口で一泊して、山陽筋で早朝に一仕事してから九州入りしている。門司で撮影をしたり、門司港にある九州鉄道博物館を見学して、黒崎まで鹿児島線に乗り、黒崎から筑豊電気鉄道の乗り潰しをした。直方から筑豊線で小倉まで戻り、小倉から北九州モノレールの乗り潰しと小倉競馬場で競馬観戦をして、ひかりレールスターで帰阪した。
第7次九州遠征は鹿児島線門司港~博多間とはあまり縁が2005年8月27日、28日に日豊本線、指宿枕崎線、鹿児島本線、肥薩オレンジ鉄道、地下鉄七隈線などに乗っている。第8次九州遠征は2006年8月5日、6日でムーンライト九州で下関まで行き、山陽本線の時に書いたように小月付近ではやぶさ・富士を撮影してから九州入りしている。この時はスペースワールドなどで撮影を行い、後は鹿児島本線をゆっくり南下している。熊本地区の熊本電鉄と熊本市電の乗り潰しがメインだったので、5日はそれに費やし、6日は植木でなはの撮影をして、久留米から久大本線に入り、久しぶりにゆふいんの森に乗って由布院で降りて、由布院付近で久大本線の撮影をしている。さらに大分へ出て、日豊本線を北上して杵築まで行って、ここの有名撮影地で富士の撮影をして、にちりんシーガイア~ひかりレールスターを乗り継いで帰阪した。