EXPRESS DIARY~鉄人日記~

鉄道に関することを日々徒然なるままに書いて行こうと思います。

0系&もみじエクスプレス

2008年11月29日 | 0系

081129sanyos0r675  今日は明日で定期運転が終了する0系の撮影に行ってきました。新大阪は厳戒態勢という話があったので、どうせ行ってもロクな画が撮れないだろうし、前もって夏に行っているので、今日はお初の新幹線公園へ行きました。その名の通り新幹線が丸見えの公園で、架線や架線柱が邪魔にはなるものの走行中の0系が撮れる隠れスポットです。さすがに0系最終日前とあって10人程度の人が集まっていました。さすがに玄人ばかりで一般人の邪魔が入るところではないので比較的ゆっくり撮れました。しかし、金網もあり、障害物だらけなので、いいポジションを取れないといい画は撮れないところです。京阪のもみじエクスプレス撮影との兼ね合いもあるので、最終日の明日もここで撮ろうかと考え中です。

081129keihan8006  0系の雄姿を見送り新幹線公園を後にして阪急今津線~阪急神戸線~御堂筋線~京阪本線と乗り継いで土居へ。もみじエクスプレス一発目は土居で撮影し、二発目は西三荘で撮影。どちらも撮影者はほどほどで撮りにいくいことはなかったですが、西三荘ではあとから来たおっさんに少々邪魔され加減で思った画にはなりませんでした。その後とりあえず大和田で数本列車を撮って、京阪から一時退散。

081129kin21121 京都でいったんブレイクして、京阪特急でうたた寝しながら淀屋橋まで戻り、淀屋橋から御堂筋線で難波へ。今日は3DAYチケット2日目を使ったので、久し振りに近鉄を撮ってやろうととりあえず上本町へ移動。ここで遅めの昼食に構内の立ち食いで黄いそばなるものを食した。ラーメンの麺にうどんそばのつゆの取り合わせが絶妙でコショウをかけてみてくださいみたいにコショウを渡され、言われるがままにかけてみるとこれまた絶妙。新しい感覚の麺に遭遇した感じがしました。個人的にはミニブレイクです。最近妙に塩気が感じられる姫路のまねきそばより上をいく感覚さえあります。また上本町へ行ったときに食したいものです。上本町からとりあえず俊徳道、長瀬、八尾と駅撮りを重ねて、八尾で一発NEXTを撮って、さらにもう一発来るNEXTは弥刀にて撮影。もう少し時間を取って、奈良三重県境あたりで紅葉がらみの近鉄電車を撮りたかったが、今日は大阪近郊で我慢。このあとは再度京阪へ。

081129keihan80083  夕方まで近鉄で半ば時間つぶしをしたのは中之島線でのもみじエクスプレス撮影のため。特急中之島の幕が撮りたかったので、とりあえず渡辺橋まで行き、同所で撮影して、速効乗車して中之島へ。3番線到着で多くのファンがミニ撮影会を行い、3番線はいつになく賑やかに。利用者の数はほどほど程度の乗りで、ファンの方が多いくらいという感じだった。中之島直通の唯一の特急になるが、次回は正月かあるいは春の桜のシーズンか?いずれにしても定期としての運転はなさそうだ…。中之島線は報道で伝えられている通り苦戦模様です。中之島~福島のリンクがもう少しスムーズなら京阪~阪神の乗り継ぎでJR東西線へ 081129keihan80085_2 対抗できる可能性もありますが、あれだけ歩かされては乗り換えの便がいいとはとても言えない。もっとも京阪沿線から神戸方面へ抜けるには京橋でJR東西線乗り換えがもっともポピュラーと思われるが、この乗り換えも結構歩く距離はある。中之島~福島ほどの距離ではないが、例えば京阪沿線から甲子園へ向かう旅客などをうまく取り込むことができれば多少の足しになるのではないかと思う。阪神とタイアップして京阪沿線から甲子園へは中之島~福島の乗り換えが便利という宣伝をしてみるのも一考かと思う。優勝した折には道頓堀ではなく、堂島川へダイブ…なんてことすると死者が出るかもしれません。


東京モノレール

2008年11月28日 | モノレール・新交通

050503tokyomonorail1085  東京モノレールには05年5月3日からの東京方面遠征で乗車している。18シーズン外の遠征だったので周遊きっぷを利用しての遠征で東京まではムーンライトながらで移動。早朝から夜行列車の撮影に精を出し、ひと段落ついて浜松町へ。小便小僧を拝み、JRの改札からモノレールの改札へ入ると長蛇の列が…GWとあって朝から羽田へ向かう旅行者が多いようで、驚いた。浜松町駅が手狭なこともあるが、大阪モノレールとは規模が違うなと実感。1本見送って、何とか席を確保して羽田まで快適に過ごす。GW中だからか浜松町を出るとほとんど利用者の出入りは少ない。その後羽田直行の快速などが設定されているが、沿線は臨海地区で朝夕以外はやはり空港輸送がメインになるのは確かなところだから快速があってもおかしくはない。このあたりは各駅停車しかない大阪モノレールとは違うところだ。また、大阪モノレールが結構遅いのに対して、東京モノレールは結構飛ばす印象があった。歴史が古いだけに施設や車両は古めだが、東京の方が足は早いようだ。


JR東金線

2008年11月27日 | 関東

050402togane113303  JR東金線にも05年4月2日の一連の房総遠征にて乗車している。何の変哲もない路線で、千葉直通があったり、ラッシュ時に東京直通の運転があったりするが、関西では全く馴染みのない路線だ。この遠征で113系で唯一前面展望を解放してくれた路線であるので、房総各線の中ではよく見られた方の路線である。房総地区はJR東日本の中では車両の置き換えが進んでいない地区だが、東金線にも新車が走る時代が来るのだろうか?今のところは211系や京葉線に新車が入れば、ラッシュ時にその車両が入ることは考えられるが、独自に新車が入るとは考えにくい状況だ。


銚子電鉄

2008年11月26日 | 関東

050402choshi7015  銚子電鉄には05年4月2日に乗車している。一連の房総乗り潰しのうち、ネックになる小湊鉄道、いすみ鉄道などを潰して、午後からは房総から一転銚子へ向かうという慌ただしい行程で千葉地区の鉄道を潰した。まさに潰したという言葉が当てはまるような行程のため、あまりじっくり見て回れたという感覚はない。銚子電鉄も銚子と外川を往復しただけで、もう少しじっくり見てみたい鉄道の一つだ。鉄道よりもぬれ煎餅に力が入っているのではないかと思われる鉄道だが、煎餅が鉄道存続の一躍を担っているので、煎餅を悪く言うことはできない。そのぬれ煎餅については食すことができなかったが、外川構内でトロッコ澪つくしも見れたし、カーテンを下ろされることはここではなかったので、この時の遠征では満足いく路線の一つだった。


JR成田線

2008年11月25日 | 関東

050403narita217r2  JR成田線は佐倉~松岸間の本線と成田~我孫子間の通称我孫子線、成田~成田空港間の通称空港線の3つに分かれており、学生時代に本線~空港線は乗り潰しを達成していた路線だ。成田空港に18きっぷを利用して乗り潰しに行ったが、ついでに京成にも乗ってやろうと思い、改札を出ようとしたら、警備員のチェックがかかり、免許証などを提示させられ、空港へ来た目的を問われた。私の学生時代はちょうどオウム事件があった頃なので、空港でのチェックが厳しかったのかもしれないが、若かりし頃は“鉄活動で来ました”という本音を言えず、空港見学ですと答えて、そそくさと京成の改札に入って行ったのを思い出す。我孫子支線は学生時代に乗るつもりで我孫子まで常磐快速線で出たが、そこから先に嫌気がさして我孫子から折り返し上野に戻ってしまったので、学生時代には載っていない。103系が走りまくっていた時期だが、エメラルドグリーンの103系は関西にはないものだったので、常磐快速線に乗った時は少々感動したのを覚えている。

 成田空港の一件があったので、成田線はなるべく遠ざけて考えていたため、我孫子支線と成田~松岸間の乗り潰しは保留のまま時が過ぎた。そしていよいよ乗り潰しに取り掛かったのが、05年4月2日の房総遠征時だ。この時我孫子支線には時間の都合で乗れず、同線には05年5月3日に乗車した。成田線成田~松岸間は113系天国で、昼間からカーテンを閉める房総特有のかぶりつき殺しに遭い、成田線でもかぶりつきはできなかった。


JR内房線

2008年11月24日 | 関東

050403uchibo2051  JR内房線は05年4月3日に完乗を果たしている。前日に久留里線、小湊鉄道、いすみ鉄道など房総半島の枝線を乗り潰し、翌日に房総半島を1周する行程を組んで千葉方面の鉄道乗り潰しを2日かがりで終了するようにしていた。あまりにも余裕がない行程のため、どの路線もじっくり見られたという印象はなく、かぶりつき失敗路線も多かったため、もう一度乗り直したい路線が多い地区でもある。内房線乗り潰しの道中は113系だったため、途中トンネル区間に入ってからは全面的に目隠しされてしまったため、かぶりつきは途中までとなった。外房線よりはマシだったが、内房線も印象に薄い乗り潰しの道中だったように思う。内房、外房ともにもう一度リベンジに向かいたいものだ。


いい古都エクスプレス&221系新快速

2008年11月23日 | 221系新快速

081123hky5302_2  今日はこの3連休のみの運転の阪急京都本線のいい古都エクスプレスの撮影を中心に撮り歩いてきました。朝から0系の撮影に出向こうかとも思っていたものの、土曜も仕事でお疲れ加減のため早起きに失敗。とりあえずいい古都の一発目から撮るべくとりあえず高槻市へ。高槻市で遅めのブレックファストを食していざ撮影へ。いい古都一発目は梅田始発で、2発目までは単独、3発目で河原町始発との並びをGET。これにて高槻市からは撤収して、南茨木へ。去年は南茨木、茨木市、上新庄などで撮ったが今年は南茨木に腰を落ち着けて撮影した。いつもはホームからだが、今日は改札を出てホーム横の陸橋へ。高槻市や茨木市には結構な撮影者がいたが、南茨木にはホームに1人いるだけで、陸橋には誰もいなかった。ゆっくり撮影を楽しみ、茨木市に戻って午前中最後の河原町始発を撮って、阪急からは撤収。富田まで行って昼食を取り、とりあえずJRへ。

081123kyotoef6510593  摂津富田で大幅に遅れた日本海を望遠でも遠目になったが、とりあえず撮影して、トワイ目当てに島本へ。島本ではなぜか逆光の大阪方に撮影者が集中。京都方にも撮影者はいたがかなり少なめ。トワイはほぼ定時で通過。その後は特に目的もないので、ネタが来るであろうと大阪方へ向かったところでそのネタが通過。ネタはEF65‐1059。正直つまらん貨物列車だったが、“センゴク”は初撮影だったのでありがたく頂いた。もっとも出来はロクでもない。その後京都まで行き、少しブレイクして、大阪まで時間潰しと睡眠取りのため緩行で移動。良い時間になったところで梅田から阪急で西京極まで移動して、西京極から再びいい古都撮影行脚へと向かう。

081123hky93025  西京極ではサッカーの試合が行われていたようで、ホームは試合を見終えたサポーターで一杯。河原町方の撮影箇所も5人程度が集結。場所取りに負けた感があり、とりあえず一発撮って退散。続いて西向日で9300系いい古都を撮影。光線状態が良くない。もっと日当たりがいいかと思っていたので残念だ。さらに大山崎、水無瀬、上牧で一発ずつ撮って日が暮れたこともあり阪急からは撤収。水無瀬で500系も拝めたし、とりあえず満足いくいい古都撮影行脚だった。上牧からJR島本まで歩き、JR京都線へ。

081123kyoto221a53  JR京都線での目的は221系臨時新快速。JR宝塚線快速の送り込み回送のスジを利用した臨時列車で、時刻表には載らないが、春や秋の行楽シーズンには隠れた臨時列車として定着している列車だ。普段新快速運用に入らない元ミスター新快速221系が運用に入るので、時間が許す限り最近081123kyoto221a511は撮影に出向いている。秋シーズンは日が暮れてからの運転になるため走行中の画は押さえられないので、高槻で停車中の画を狙う。今回は高槻で撮って、それに乗って新大阪へ移動して、新大阪でも一発撮ることにした。久し振りに乗った221系新快速の車内は先頭車はかなり混み合っていた。毎日乗っている朝ラッシュ時の221系新快速と同じ走り なので、新快速!!という感じは乗っただけではあまり感じられない。新大阪では17番線に到着したのが、臨時設定ならではの貫禄といったところか。もっとも回送のスジなので新大阪も外側走行のまま走るのはいつもどおりなのかもしれない。高槻でも数人撮影者はいたが、新大阪には大量の撮影者が反対ホームに陣取っていた。221系新快速も昔は拍子抜けするほど撮影者が少なかったが、近年隠れたスジながらも臨時として定着した感もあり、ネット上などの情報を入手して撮影に出る人が多くなったようだ。さらには221系の本線撤退も先が見えてきた感があるので、221系新快速もそれこそ貴重な存在になりつつあるというところだろうか。


JR外房線

2008年11月22日 | 関東

050403sotobo255wakashio  JR外房線には05年4月2日と同4月3日に乗車している。房総遠征の2日間に乗車したわけだが、どちらも半端な乗車となった。というのもかぶりつき派の私にとっては房総地区の昼間でも運転室のカーテンを閉める慣習にやられた道中ばかりだったからだ。外房線では半島を走るためトンネルも数か所あったので、その部分で閉められるのも仕方ないと思うが、トンネル区間を抜けてもまだ閉めたまんまで全く前かぶりができない状態だった。車掌室はさすがに閉めないだろうから後ろかぶりをすればよかったのだが、当時はなぜか前面かぶりつきに拘っており、後ろかぶりでもよいという感覚がなかった。4月2日はいすみ鉄道帰りに大原から大網まで乗り、4月3日は安房鴨川から千葉まで全線完乗している。安房鴨川から勝浦までは255系普通列車に乗車できた。特急ならかぶりつきもできそうかなと思っていたら大間違いで、255系もトンネル区間のためか、全面的にカーテンを閉めた状態で全く前が見える状況ではなかった。勝浦から乗り継いだ113系もほぼ同様で、仕方ないので座って眠りにつく詰らない道中となった。房総ではまだまだ113系が幅を利かしており、カーテンを閉める口実を作らせる車両ばかりとなっている。新型のE231系のような車両でもなおカーテンを閉めるのかどうかわからないが、早く房総にもJR型の新車を投入してかぶりつきができるようにして欲しいものだ。そうなればもう一度リベンジに訪問したいと思う。


いすみ鉄道

2008年11月21日 | 関東

050402isumi2063  小湊鉄道を乗り潰して、終点の上総中野からいすみ鉄道に乗り換えて外房線大原を目指す。小湊鉄道ではぐっすり眠れたので、いすみ鉄道は目をぱっちり開けてかぶりつきの道中を楽しめた。上総中野では小湊鉄道といすみ鉄道はほぼ同一構内での乗り継ぎとなっているので、直通運転も簡単にできそうな気がした。内房と外房を短絡する路線として活用していく手はありそうだが、その需要はあまり多くないので、今後も直通運転は実現しないだろう。いすみ鉄道気動車にはなのはなの愛称が付けられているが、沿線はその名の通り、なのはな街道となっており、線路際の各所に黄色いなのはなが咲く光景が見られた。


小湊鉄道

2008年11月20日 | 関東

050402kominatogoi2  05年4月2日房総遠征。ムーンライトながらで東京入りしてJR久留里線の乗り潰しをして、木更津から五井へ向かい、五井から小湊鉄道の乗り潰しに取り掛かった。内房線からの乗り換え時間が少なく、車内は既に席が埋まりつつある状態で、かぶりつきのポジションにもつくことができず、とりあえず席についた。前日夜行移動の影響で道中の大半を目を閉じた状態で過ごしてしまった。特に見るべきものはなかったようにも思えるが、近年小湊鉄道の写真や映像を見かける機会が多くなり、首都圏近郊のローカル路線として一般にも人気が出るようになってもう少しよく見て回ればよかったと後悔している。小湊鉄道はもう一度じっくり乗りにいきたいというか乗らなければならない路線の一つと言える。


JR久留里線

2008年11月18日 | 関東

050402kururi3062  JR久留里線には05年4月2日に乗車している。長年手付かずで置いていた房総遠征の際に乗車したもので、房総には後にも先にもこれ1回しか行っていない。近いようで遠いというイメージがあり、関西で言えば紀伊半島のイメージがあり、遠征に時間がかかる印象があるためあまり足を踏み入れないといったところだ。この時も乗り潰しテンコ盛りにして、2日間で房総半島のほとんどの路線を乗り回して、後に残さないようにしている。久留里線にはムーンライトながらで東京入りして、早朝千葉まで移動して、早々に乗車している。初乗り入れの木更津で、あれが有名なアクアラインかなどと少々田舎者じみた感激を思いながら久留里線に乗りこんだ。こんなところでキハ30に初乗車するとは夢にも思っていなかったが、オリジナルとは異なる様相のため、当初はキハ30とは気付かなかった。首都圏からすぐそこのこんなところにまだキハ30が…と思いながら久留里線の道中が始まった。やけにのんびりした道中で非常に足が遅い列車だった記憶があり、キハ30系どころか道中でタブレット交換をするのにはさらに驚いた。こんなところでこんな光景が展開されているとは夢にも思っていなかった。予習せずに現地に行くと驚きが連続することがあるが、その分じっくり見ることもできない。久留里線には往復乗ったのでじっくり見ることができて大変満足することができた。房総では他の路線があまりじっくり見れていないので、唯一満足できる乗り潰しができた路線とも言える。


名鉄岐阜市内線

2008年11月17日 | 東海

050320gifushinai782  名鉄岐阜市内線には廃止間際の05年3月20日に乗車している。18で岐阜まで出向いて岐阜市内線を乗り潰して帰るプランを考えていたが、18を消化する暇がなかったので18利用は断念して名古屋までぷらっとこだまを利用することにした。こだま利用のため朝の時間帯は遅めとなるため、名古屋入りは9時過ぎ頃になったと思う。名鉄名古屋…かつての新名古屋駅で1日フリーきっぷを購入して、早速名鉄岐阜(新岐阜)へと向かう。急行だったか快速急行に乗車したと思うが、とりあえずかぶりついて新岐阜までのわずかな時間を楽しんだ。新岐阜に着いて、右往左往しながら路面電車の発着場所を探し、市内線に乗車する。廃止間際なので車内は閑散としているわけもなく、鉄道ファンを筆頭に、お別れ乗車の地元の方などで大混雑だった。さらに沿線では写真撮影のファンがあちこちにおり、旧型車(車番などはわからない)の運転などで大いに盛り上がっていた。もっとも道路交通の妨げになるような行為も見られ、相変わらず鉄道ファンのマナーの悪さも目立った一面もあった。じっくり見て回りたかったが、乗るだけで精一杯で撮り鉄はほとんどせずに乗るだけで市内線のミニトリップは終わった。案外乗車距離が長いので撮り鉄する暇がなかったのと、帰りのこだまは17時頃で押さえていたので、時間に制約があったので、乗り潰しを終えると市内線からは早々に退散した。もう少しじっくり見てみたかった気がするがそれも後の祭りだ。


JR日田彦山線

2008年11月14日 | 九州

050102hitahikosan1471854  JR日田彦山線は城野と夜明を結ぶ路線で、運行系統が小倉~日田間の列車が多いため、小倉と日田を結ぶ路線とも言える。同線には05年1月2日に乗車している。ムーンライト九州で九州入りして、小倉から日田彦山線気動車で夜明まで乗り通している。九州に上陸して雪が積もっているのには驚いたが、北九州の冬は寒いという話を聞いていたので、雪も降るのかなと思いながら日田彦山線の道中を楽しんだが、雪が積もるどころかところによってはかなり深く積もっているところもあり、道中が九州でも有数の寒冷地であることを感じた。雪に見舞われると温暖な地域の鉄道はダイヤが乱れるが、このときは雪の量がそれほどでもなかったこともあり、定時運行は確保されていた。利用者は小倉発車時点では早朝にも関わらず結構な乗り具合だったが、夜明に近づくにつれて利用者はどんどん減っていき、夜明に着く頃には空席が目立つ状況だった。田川後藤寺以北と以南では輸送量に格差があるようだが、以南でも路線が維持できるように頑張ってほしいものだ。


JR後藤寺線

2008年11月13日 | 九州

050102gotoji4081262  JR後藤寺線は、JR日田彦山線の田川後藤寺とJR福北ゆたか線(筑豊本線)の新飯塚を結ぶ路線で、同線には05年1月2日に乗車した。筑豊の各路線を乗り歩きした時に乗車したが、平成筑豊鉄道を乗り潰して、直方から福北ゆたか線で新飯塚まで出て後藤寺線で田川後藤寺へと出た。キハ40系列が使用される路線だが、将来的にはキハ125系などが投入されるのだろう。輸送量としてはあまり多くなさそうだが、筑豊地区のフィーダー路線として今後も存続していくものと思われる。列車本数はそれなりに多いが、これは西日本各地のローカル線に共通するところで、よっぽどのローカル線出ない限りは毎時1本程度の運転は確保されている。東日本では需要があるようなところでも運転本数が極端に少ないケースも見られる。このあたりは会社の方針や人間の気質によるところが大きいと思われる。雪が残る田川後藤寺に着いて、ここから日田彦山線で小倉まで出て、小倉で富士やいそかぜの撮影をした。ほんの3年ほど前の話だが、廃止された列車の名前が出てくると懐かしい思いになる。


JR若松線

2008年11月12日 | 九州

050102wakamatsuorio  JR若松線ことJR筑豊本線若松~折尾間には05年1月2日とそれ以前の九州遠征で1度乗車している。いずれも夕方以降の乗車で、日がどっぷり暮れてからの乗車だったので、沿線がどんな景色だったのかよくわからない。工業地帯の路線というイメージだが、海が近接しており、開けた景色が展開されるのかもしれないが、いずれも闇の中の道中なので、どのような路線なのかいまいち想像がつかない。またの機会があれば日がある時間帯に乗りたいものだ。