乗り潰し足跡シリーズ第3弾は阪急今津線。この路線に乗ったのはおそらくこれまた幼少の頃、宝塚ファミリーランドの帰りに親がサービスで西宮北口経由で帰ってくれたことで乗れた路線だ。さすがに今津経由では帰ってくれなかったので、今津線の西宮北口~今津間はそのまま乗らずに放置されてしまい、初めて乗ったのは学生になってからだった。だから西宮北口にダイヤモンドクロスがあった時代には今津線でダイヤモンドクロスを通過していない。神戸線側からは体験済みだが、今津線側から乗れなかったのは今から思えば残念だ。
今津線の初乗りの思い出としては、親に駄々をこねて昨日書いた旧型車(形式までは覚えていない)に乗せてもらったことだろうか。宝塚からは座って行けた記憶があるが、西宮北口から乗った神戸線の特急が大混雑だったのをよく覚えている。あの頃に比べると阪急神戸線は大きく没落したなと感じてしまう。
今津線は幼少の頃は仁川ピクニックセンターへ行く際に利用するぐらいであまり他に乗った記憶はないが、後に競馬をするようになって、阪神競馬場へ行くのによく利用するようになった。仁川駅前は今では競馬場まで直通の地下通路が完成して便利になったが、私が最初に訪れた時には信号を渡って競馬場への陸橋へたどり着くという感じだった。京都競馬場ほどではないが屋台のような店も出ており、競馬場への最寄り駅という雰囲気があったが、その雰囲気もなくなりつつある。京都競馬場も淀駅の高架化により、競馬場とまさに直結するのでかなり便利になる。その反面昔ながらの競馬場の駅前の雰囲気がなくなっていくのはある意味寂しいものがある。
現在今津南線と呼ばれる西宮北口~今津間は先述したとおり学生時代に暇潰しに乗った。それ以後撮影をするようになって、阪神から阪急へ移動する際の短絡線として何度か乗っている。最初に乗った時から既に今津駅は高架化されていたと思うが、ワンマン運転までしていたかどうかは定かではない。6000系3連がワンマン運転をしている光景を見ると自分が歳を食ったことを感じてしまう・・・阪急沿線の世代交代はよそに比べてかなり遅いので、あまりそういうことを実感するのは逆に困難な面もある。
将来的には今津線を高架化して、かつてのように南北統一がなされる計画もあるようだが、なかなか計画が進んでいないようだ。最近今津南線の高架化が具体化したようだが、北線の方はいつになるのやら・・・。北線の高架化時には、短絡線も高架化して、神戸線の上下線と立体交差できるようにすれば、直通電車の設定が容易になるのだが、おそらくそこまでするつもりはないだろう。