8月30日日曜日。本州最北撮影の旅を終えて、レンタカーを返して新青森近辺で最後の撮影を楽しみました。新青森駅直近の踏切でスーパー白鳥を待っていると何やら3灯のヘッドライトを輝かして秋田方から近づいてきました。583系がやってきました。まさかの583系の登場です。ホームに入って撮影しとけば…これぞ後の祭りです。
真夏のお年玉583系を踏切でお見送りです。こんなのが来るのなら、車を返す前に奥羽線に行ってたのになぁ…。
その後は、上り656M701系普通弘前行きを撮影。
さらに下りスーパー白鳥11号も撮影。前日にも撮影してますが、踏切からのカットなので全然違います。前日のカットの方がよかったかな・・・。
この後、入場券を買ってホームに入り、まずは貨物を撮影。EH500-64牽引の2077レです。前日撮り損ねたのでそのリベンジになりました。
続いては20分後にリゾートしらかみがやってきました。見たことない編成でしたね・・・こんな黄色いのは。改造車だと思いますが、知らぬうちに色も変わっているのですね。
そのあと、上り特急白鳥22号が到着。485系編成の白鳥です。おそらく朝に油川で撮ったヤツの折り返しですね。これを撮ってささっと土産物を買って新幹線で帰途につきました。帰りの新幹線は新
青森から混み合っており、結構息苦しい道中でした。東海道新幹線と比べると東北新幹線は狭いですね。東京から乗ったのぞみが天国のように感じました。とはいえ、のぞみの方も西へ行けばさらに快適な2列の指定席があるので、さらにそちらの方が快適…というか山陽区間ではなんでさくらよりのぞみが高いねん!ということにもなりかねないぐらいのアコモデーションの差がありますね。新青森から京都まで新幹線乗りっぱなしの旅行も無事に終了しました。京都からはいつも通り新快速で高槻までひとっ飛び…とはうまくいかず、新快速は遅延しており、その分帰りの待ち時間はロスが生じました。まぁ長躯新青森から無事に帰って来れて、改めて日本の鉄道が時間通り動いている(京阪神を除いて)ということを実感した次第です。
8月30日日曜日。青森遠征も佳境を過ぎて、帰途に就く段階となりました。蟹田からの帰途、とりあえず踏切で津軽線普通列車を一発撮ってから撤収することにしました。
踏切が鳴動して、てっきり下り普通が来ると思っていたら、ふと振り向くと上り貨物が来てました。EH500-63牽引の3062レです。11時21分頃蟹田通過。慌てて撮影。予断していたのでとりあえず撮りましたといったところですが、いい帰りがけの駄賃となりました。
そのあと、津軽線単行が来ました。こちらは来春…去就は今のところ発表されていませんが、廃止が濃厚なんじゃないでしょうか。三厩までは一度乗り潰しているので、もはや未練はありませんが、また機会があれば…たぶん時間と金がないので機会もないと思いますね。
あとは帰るだけと思っていましたが、12時前にスーパー白鳥20号があるので、それを件の海沿いにある桜町踏切で撮影して帰ることにしました。スーパー白鳥20号は789系6連で11時50分頃通過。
続いて11時55分頃EH500-53牽引の82レが通過。これを潮に撤収しました。途中どこかに立ち寄ってという構えでしたが、あまり時間に余裕もないので、新青森まで直行で帰ることにしました。
帰りは行きに通った旧道ではなく、バイパスを通って帰ったので、思ったよりも早く新青森駅に着くことができました。とりあえず無事戻れてよかったよかった。時間が余ったので、新青森近辺にて撮影して新幹線の時間までを過ごしました。~以下明日へとつづく~
8月30日日曜日。油川での朝練も485系撮影で終了。同列車は場所の選定をミスりました。どうせならかぶりつきでケツ討ちすればよかったか。多少後悔しながら油川もそろそろ飽きてきたので次へと移動しました。
とはいえ、瀬辺地あたりまで行かないといい撮影地はありませんね。スーパー白鳥2号と貨物1本を犠牲にして瀬辺地に移動しました。途中どこかで撮れないかと津軽宮田あたりに立ち寄ったのが間違いでした。時間ロスが発生したため、瀬辺地の海沿いの撮影地に着いたところで、カモレ1本が通過。やっちまったなぁ~
車を止めて、とりあえず撮影地に入りました。先客1名あり。もはや上下スーパー白鳥が来るのみのため、とりあえずそれに集中です。まず上りスーパー白鳥がやってきました。来た来たキタァ785系改造の789系が先頭でやってきました。これはカモレ1本損した分を取り戻せましたね。前日新青森でも撮ってますが、走行写真はこちらも初めてです。
下りは反対方向のアングルでも撮影。逆光ですが、ここはここでいい感じですね。縦位置で撮ってみました。
当然ながらケツ討ちも実行。なかなかいい撮影地です。でも海が絡められないのが残念なところ。山から撮れば入りますけど…まぁ無理な相談ですな。
スーパー白鳥2本撮って、瀬辺地の有名撮影地からは撤収。海を絡めて撮りたいので蟹田寄りのポイントに移動。現場に行って唖然…立ち入り禁止かよ!仕方ないので下から…と思いましたが、下からはいまいちなのでポイントを変えて、踏切付近で撮影することにしました。あとで立ち入り禁止区域を外して山に登って撮っている人がいました。草ぼうぼうなので私は敬遠しましたが、やっぱり撮影するには自然と闘う気概がなかったらあきまへんなぁ。
下り貨物が立て続けにやってきます。まず10時25分頃EH500-9牽引の3067レが通過。
さらにあすなろもやってきました。色が悪いですが、バックに海も見えています。
10時45分頃EH500-77牽引の3065レが通過。こちらは蟹田駅寄りの踏切に移動してアウトカーブから狙ってみました。
同じ場所でスーパー白鳥1号を撮影。10時54分頃通過。ここも一応バックに海が見えてるんですけど・・・色が悪いですね。
津軽線北部のキハ40単行が蟹田駅での折り返しのため踏切付近までやってきました。折り返し作業のため時間がかかるとはいえ、この間踏切は鳴動したまま・・・引っかかっていたクルマの方はかわいそうでしたねぇ・・・列車が来ないのに踏切を渡れないと言う理不尽。
この後は、蟹田駅に向かい、駅前のコンビニで食料を調達して小休止です。
あとは新青森に戻り、車を返して帰途につくことにしました~明日へとつづく~
8月30日日曜日。急行はまなす撮影後も油川に残留。貨物撮影の朝練です。ED79重連の貨物も見たいのですが、どうやらもう運用からは外れているようですね。残念。来るのが遅かった。
6時14分頃EH500-73牽引の7066レが通過。東海道山陽筋が桃太郎なら東北筋は金太郎が主役ですね。
朝の時間帯のため、701系普通は走れど、特急はやってきません。6時29分頃325M普通蟹田行きが通過。朝一で撮ったN6編成の折り返しです。
6時39分頃EH500-66牽引の6092レが通過。私個人としては金太郎は物珍しい存在なので飽きませんが、慣れた人は見飽きた列車なんでしょうね。
7時11分頃EH500-1牽引の3059レが通過。こちらはお顔が違うトップナンバーでした。初めて見ましたトップナンバー!今度はくまいっつあんを見てみたいものです。
7時24分頃EH500-59牽引の3052レが通過。この時間帯になると多少太陽が出ていい感じになりました。
7時38分頃328M普通青森行きが通過。701系N6編成が行ったり来たりしてます。
7時51分頃EH500-34牽引の3050レが通過。これで金太郎貨物はとりあえず終了。場所を変えて485系白鳥を狙いました。
8時14分頃通過の329M普通蟹田行き。当然ながら使用車両は・・・701系N6編成。
8時25分頃草ボウボウの中、EH800-8牽引の上り貨物列車が通過。4094レと思われます。
8時34分頃485系特急白鳥93号が通過。485系定期特急列車最後の砦です。リニューアルされて面影はなかなかありませんが、走りは485系です。昨年の北海道遠征の帰りに乗った記憶が蘇ってきますね。あの時は日本海縦貫線特急乗り継ぎをやったもんです。それも今は昔ですね。
この後は瀬辺地方面へ移動して津軽線撮影のつづきです~明日へとつづく~
8月30日日曜日。前日は西田沢踏切付近でマルヨしました。クルマで止まってコストダウンというのは何度もやってますが、さすがに撮影現場でのマルヨは実は初めてです。何台から止まっていたので、そこに止めてマルヨしましたが、後からも何台か来て、車から下りて置きゲバする人が明らかに何人かいたので若干場所取りで心配になりましたが、眠いのでそのまま寝てました。時折通過する貨物列車の音を子守唄に…なんて詩的なことはなく、ただ単にうるさいだけでした。とはいえ、貨物列車の通過音で朝も起こされたようなもので、4時過ぎに目が覚め、周辺が明るくなってきていたので、4時30分ごろに車を出て、撮影場所を選定。かぶりつきのところもなんぼか場所はありましたが、定番位置の方がいい場所を取れそうだったので、そちらに決めて三脚を置きました。そのあと、少々早い朝飯を…。5時前から定位置について撮影体制に入りました。
まずEH800牽引の下り貨物2060レが4時49分頃通過。EH800初撮影です。ある意味青森に来て初収穫みたいなもんですな。
続いては上り貨物です。こちらはEH500-23牽引の3054レ。5時23分頃通過。まだ露出はなかなかです。
5時31分頃EH800-6牽引の上り貨物列車が通過。列番調べても不明でした。遅れカモレでしょうか。
さらに上り701系322M普通青森行きが通過。3両編成のN6編成でした。
そして真打ち上り202レ急行はまなすが通過です。いいですねぇED79。走行写真てこれまでまともに撮ったのは日本海のすれ違いシーンだけだったと思います。ある意味それの方が貴重なんですけどね。今回も後には貴重な写真になると思います。若干不満が残ったのは天気だけですね。青森は晴れ予報でしたが…朝は雲が多かったなぁ…。それだけが残念でした。
8月29日土曜日。昼の部が消化不良だったので夜の部で取り戻そうと思い青森駅へ。深夜練習です。急行はまなすはカマが前出しになる可能性大なので一つの賭けで、入場券でホームに入りました。
夜の青森駅は閑散としてますねぇ。トワイもなくなり、来る電車は701系か、青い森鉄道の701系もどきですね。
たまに来るのは到着するスーパー白鳥のみ・・・と思っていたら485系回送が来ました。魔改造の3000番台とはいえ、今や貴重な485系です。昨年函館~青森間で惜別乗車をしてますが、撮れるもんは撮りたいのが撮り鉄の性です。しかし、いつから撮り鉄になったんでしょうね。昔はこんなんじゃなかったのですが…。
スーパー白鳥の到着を見て、ホームを変えて急行はまなすの入線シーンを撮ります。
DE10が牽引する姿もなかなかなので、多少シャッタースピードを稼ぎながら流し気味に撮影。あまり出来は良くないですが、まぁ撮っといてよかったなと後で思えればこれ幸いです。カンが付いてりゃ最高なんですがねぇ・・・無理な相談ですね。
DE10は到着後さっさと切り離されます。切り離し作業は対面ホームの方がじっくり見られましたね・・・3セクの青い森鉄道のホームなのでホームに柵が出来てしまい、ホーム端は立ち入り禁止になっています。
カマの方に移動してみるとやはりカマ前出しでした。増結があったので、増結なしの7両ならカマも前に出てないのかもしれません。土曜の夜の便はやはり夏休みということもあって増結ありなんですね。
仕方ないので、駅を出て出発シーンが押さえられる陸橋へと移動。先客2名、後から1名が来てましたが、カメラの性能が上がり夜撮影ができるようになったとはいえ、ここはやはり撮影には厳しいですね。
最大限にシャッター速度を上げるため、ISOは通常使わないところまで上げました。ISO感度の性能が上がったカメラを使っていますが、眉唾なところもあるので、常用では3200までしか使っていません。今回は限界に挑戦した感じですね。まぁまぁですが、やはりヘッドマークが流れてしまいました。やっぱりシャッター速度をもっと稼ぐべきでしたねぇ。これも失敗に終わり、この日は昼も夜もあまり収穫なしで終わりました。
この後、新青森駅近くの青森健康ランドでマルヨするつもりでしたが、大湊線からの帰りに浅虫温泉の道の湯で一風呂浴びたので、風呂はもういいかということで油川の現場に直行することにしました。途中油川駅を見物。ここでマルヨする人もいるみたいですが、夜は無人で、駅の待合室は明かりが煌々と灯っていました。このままならマルヨもできそうですが、一晩中明かりがついたままなんでしょうかね。
とりあえず油川の現場近くでマルヨ。上りカシオペアがあるのはわかっていましたが、連日の車中泊となるため、速めに就寝。就寝直後の23時30分頃轟音と共にカシオペアが通過していきました。なかなか幻想的な姿でしたが、さすがにカメラに収めることはできませんでした。
8月29日土曜日。新青森でレンタカーを借用。事務所を出て1周して新青森駅前に出たところで狙おうか迷っていた2075レが通過。あれあれ幸先悪いなぁと思いながら、さてどこへ行くかとナビを設定。とりあえず翌日の下見のため津軽線沿線へ向かいました。特に目当てもないし、気づけば持参予定だった貨物時刻表を忘れてきたので情弱のまま現地に到着。油川駅近くの西田沢踏切付近です。早速置きゲバを目の当たりにして、さらには周辺に駐車しているクルマもあり、これは激パの可能性もあるなと多少頭の片隅に入れて、とりあえずここは翌朝の現場として、他所へと移動。しかし、あまりいい撮影地が見つからず、油川で何か撮っておけばなぁと後で後悔することになりました。いい天気でしたからね油川
は。
油川周辺では北海道新幹線の高架も見え、田園地帯に新幹線の立派な高架が走る光景が見られました。去年も同じような風景を北海道で見た気がします。新幹線では同じような風景しか見れませんね。
津軽線では奥沢付近まで走ったところでカモレとすれ違い撃沈。撮影どころか、さらに油川に戻った時には下り貨物のお尻だけを見るという大失態を犯してしまい、撮影せぬまま津軽線を去ることになりました。
津軽線はこの日の一大目的ではないので、この時点ではあまりショックは引きずらずに大湊線に移動しました。2時間近い移動時間ということでちょっと遠いですが、夕日がきれいな路線なので期待して向かいました。道中は浅虫温泉ぐらいまでは結構晴れていたのですが、野辺地に近づくにつれて雲行きが怪しくなりました。おまけに野辺地手前で交通事故のため対面通行の規制に出くわしました。4号線で正面衝突やられちゃぁ~なぁ…最近事故を多く見かけます。我が身に降りかからぬよう気を付けたいものです。渋滞のため到着は遅れましたが、もともと余裕をもってきたので、列車の時間には間に合いました。大湊線の撮影地もいまいち勝手がわからず、あちこち走り回りましたが、何とか車が止められるところを見つけて、一発目を撮ることにしました。残念ながら夕日もくそもないぐらいドン曇りでした。
もっと画になるところだと思っていたのですが、曇ってしまえば…どこで撮っても同じですね。
上下とも快速列車でしたが、下りはキハ110系、上りはキハ40系でした。キハ40の方は首都圏色ながらも側面にストライプが入った車両でした。
17時台の列車も撮影してと思っていましたが、露出が厳しくなり、さらにほかの撮影地を探していたものの、大きな水たまりなどに阻まれて線路際まで行けずに撤収しようかと迷って、有戸駅まで引き上げました。とりあえず有戸駅で下り普通を撮影。勾配を上ったり下ったりしながらやってくる列車を見ていると撮影魂に火が付きました。
上りはカーブを描いて勾配を上がってくるシチュエーションが撮れる踏切へ移動して撮影しました。露出があればもっといい画になるんでしょうがね。天気だけが残念でしたね。この4本のみがこの日の昼の収穫でした。ちょっと消化不良の半日でした。
8月28日金曜日。思い立ったが吉日ということで、ちょっとした思い付きで青森に遠征することにしました。もうちょっと早く思いついてりゃなあというのもありますが、今更それはなしです。今回は完全撮り鉄遠征です。地元茨木市駅から出る夜行バスツインクル号で旅立ちました。さすがに夜行バスでは青森まで行かないので、新宿までこれに乗って移動です。いやぁ阪急茨木市駅から移動できるって便利ですねぇ。1号車、2号車の2台体制での運行。27人乗りで満席だそうです。週末なので多少は遅れるかと思いましたが、時間通りに来てくれました。JR茨木で最終の乗車があり、満席で出発。名神から中央道を経由するようですが、途中は八王子までは休憩なしです。たびたび運転停車はしていたので、運転手の交代や時間調整
は行っていたようですが、乗客のトイレ休憩などはなしです。JRバスは土山で休憩があったので、そこは運行会社によって違うようですね。まだまだ夜行バス慣れはしてません。今回は運転席直後のトップ下といういい席をもらい、若干寝にくいところもありました。もっとも首を保護するクッションを購入してから夜行でも体のだるさがなくなったのはありがたいところ。クッションさまさまです。JR八王子での降車がなんぼかあった以外は新宿以外での降車なしということで八王子から新宿まではノンストップとなりました。都内での渋滞があるかと思ったら意外に空いており、定刻よりもかなり早く新宿駅西口に到着しました。渋滞があるなら八王子で降りてJRで…という考えもありましたが、杞憂に終わりました。
新宿に着いても特にやることもないので、朝飯を食って東京駅に移動しました。新宿駅は昔。小汚い立ち食いがあり、よく利用してましたが、立ち食いはあれどもすっかり小奇麗な立ち食いに変身してました。思えば新宿に来るのも久々かもしれません。東京駅まで中央線で移動しました。新宿から東京まで中央線に乗るたびに、皇居のお堀のあたりや御茶ノ水で撮影したいなと思いますね。一向に実現しませんけど…。
東京駅到着後は、しばらく時間があるので、前回に続いて上野東京ラインを撮影。今回は朝の時間帯ということで常磐快速線からの直通電車を撮ることができました。昼間は交直流のE531系ばかりですが、朝夕はE231系の乗り入れもあるんですね。
東京駅での撮影はそこそこに新幹線ホームに入り、新青森への移動に備えます。時間に余裕をもって動くのは昔からの性ですね。田舎もんなんで旅行の時に時間に余裕がないと落ち着きません。新幹線ホームでもしばし撮影。
東京からははやぶさ9号に乗車。窓側の席が取れましたが、3列シートで満席のため仙台まで身動きが取れない状況でした。仙台で隣が空き、そのまま新青森までは余裕の道中でした。思えば去年も同じくはやぶさに乗って新青森まで来てますね。あのときは渡道しましたが…。今回は青森止まりのため終点です。
新青森到着後は、とれんたくんです。ここまでは乗り鉄でしたが、ここからは撮り鉄のため、乗りは車です。とれんたくんで新幹線料金も多少割安になったので、多少はお得感もあります。
このあとはJR大湊線撮影編~明日へとつづく~
05年北海道・東北遠征にて弘南鉄道弘南線を乗り潰した。この時弘南鉄道大鰐線には乗車できなかったので、同線は後回しとなった。弘南線はJR弘前から出ており乗りやすいということで、05年夏の遠征で乗ることにした。終点の黒石ではかつて黒石線が連絡しており、JR川部方面へ抜けることができたが、残念ながら98年に廃止されており、05年では時既に遅すぎで、黒石からそのまま折り返すしかなかった。終点の黒石で元南海の1521系が見れたのが幸いといったところで、北海道、東北と関西とかけ離れたところを乗り歩いていたので、ふるさとを思い出したかのように思えた。もっとも1521系の現役時代に乗ることもなかったので、その存在をただ単に知っていたに過ぎなかった。弘南鉄道の列車は元東急の7000系で最近のトレンドともいえる地方私鉄の車両となっており、十和田観光鉄道といいあまり面白みのない車両と言える。
JR五能線には05年7月18日に乗車した。同線乗車だけで半日かかりとなる長大ローカル線だけに手付かずのままほったらかしにしていたが、北海道東北遠征で漸く乗り潰すことができた。JR津軽線を早朝から乗り潰して、青森へ戻り、青森から奥羽線を南下して弘前へ。弘前で弘南鉄道に乗車して、午後からJR五能線乗り潰しに取り掛かった。弘前で青森行きのリゾートしらかみを撮影して、弘前始発の五能線列車に乗り込む。川部で進行方向が変わり、奥羽線から五能線に入る。列車は編成が長いせいもありガラガラだった。途中五所川原で津軽鉄道を見て、この鉄道にも乗らねばと思いながら通り過ぎ、りんご畑が目立つ沿線を進んで行く。途中鯵ヶ沢で編成を分割して短くなったが、県境へ向かうためか旅客は益々少なくなっていった。終点の深浦では少し時間待ちがあったが、手持ち無沙汰でリゾートしらかみなどを駅で撮影して時間を潰した。東能代までの道中は雨が降り出し、夏場ながらも荒々しい日本海の荒涼とした景色が展開されて五能線らしい道中を堪能できた。東能代からは特急かもしかでワープして秋田から今はなき日本海2号に乗車して帰阪した。
05年7月17日の北海道遠征を留萌本線乗り潰しで終えて、深川からスーパーホワイトアローで札幌へワープ。新札幌近くの銭湯で入浴して、2晩連続となる急行はまなすで本州へと戻った。はまなすには新札幌から乗車したが、増結されていたこともあり何とか席を確保して青森まで爆睡した。早朝の青森駅で息つく間もなく、津軽線乗り潰しに出向く。津軽線蟹田~三厩間は列車本数が異様に少ないので、このチャンスを逃すわけにはいかない。485系使用の普通列車で前夜の睡眠の続きを取り、蟹田へ到着。三厩行き気動車を待つ間に貨物が1本通過して行き、701系電車は通学の高校生を多く乗せて出発していった。青森方面への電車が出て行き、蟹田駅は閑散となってしまった。ホームには三厩へ向かう如何にもファンと思われる人々(当然ながら私も含まれる)が目立つのみとなっていた。
三厩行き普通はまさにファン専用列車という感じだった。途中津軽海峡線と並行して走るあたりはファンとしては興奮してしまう(なんでかはわからないが)区間だったが、それ以外は平々凡々とした景色が展開されるだけで、夏にしては肌寒いという印象しか残っていない。終点の三厩も最果ての地というところで降りてどこかへ行こうにも折り返し列車がないので、そのまま折り返すしか手はないと言ったところだ。これでは観光客など呼べるはずもなく、鉄っちゃんと沿線の高校生のためだけに数本列車を走らせているという路線といっても過言ではない。実際ローカル線の大半が高校生のために運行されているというところが多く、高校生が休みに入る時期には利用者が減るので、その補填として18きっぷが発売され、客寄せをしていることは有名な話だ。それからすると18きっぷではないにしろ、JRの戦略にまんまと引っかかり、わざわざ西から東へ出向いて乗り潰しをするために大枚を叩いている自分っていったい・・・と思ってしまう。もっとも私のような鉄っちゃんは1回きりの乗車が多いので、このような人間が年間何十人、何百人、何千人いても、さして腹の足しにはならない。さすがに何万人規模でいればそれなりの腹の足しにはなるだろうが、そこまで鉄道ファンもいてないし、いても乗り潰しをする人はそこまでいない。また、乗りつぶしに来ても安い企画切符利用が大半なので、決して儲かる旅客ではない。そう考えると何でこの路線は存続しているのだろうか?と疑問に思ってしまう。
JR大湊線と言えば本州最果ての地を行く路線というイメージで、冬に乗る路線という感じがするが、私は夏に乗っただけで、周囲の風景が本州のそれとは少々異なるという印象以外、最果ての地というイメージはあまりなかった。十和田観光鉄道の乗り潰しをして、東北本線で三沢から野辺地へ移動・・・というか八戸直通の大湊線快速でそのまま大湊へ。3連休初日とあって結構な乗り具合で、十和田観光鉄道とは違う車内の様相だった。もっとも列車本数が少ないため、来た列車に利用者が集中するため混雑しているというのが東北のローカル線の特徴といえる。西日本や四国、九州のローカル線は本数がそこそこ確保されているので、ローカル線らしく空席が目立つ車内になっているが、東日本や北海道では列車回数が少ないため、列車自体は混雑している傾向があるように思える。もっとも列車回数が少なくても利用者が少ない路線もあるので、一概には言えないが、列車本数については西高東低のような気がする。大湊から先、かつては下北交通が延びていたが、05年の時点で既にその姿はなかった。途中きらきらみちのくとすれ違ったが、見ただけに終わっているので、機会があれば乗車または撮影をしてみたいものだ。
05年7月16日。IGRで八戸入りして、八戸で列車待ちの間に駅前の出店で海産物を頂いて時間を潰す。東北本線普通で三沢まで行き、十和田観光鉄道に乗車する。レトロな、悪く言えば寂れた駅舎の三沢駅から発着する元東急7000系の十和田観光鉄道に乗り込む。土曜の昼間だったので利用者は少なく閑散としていた。地方鉄道にしてはそれなりの町並みの中を走るので、やりようによっては利用者が付くかもしれない。もっとも三沢へ出ても、青森までは時間がかかるし、第1次産業が多い町で電車を利用する人自体は少ないかもしれない。そうなるとお決まりのように高校生と通院のお年寄り頼みの鉄道となってしまう。クルマ社会はクルマ社会なのだろうが、社会構造に鉄道がマッチしていないところでは利用促進を行ったところで無理があるところもある。十和田観光鉄道に未来があるのかどうかはわからないが、車社会からの脱却だけでは生き残っていけないような気がする。
IGRいわて銀河鉄道と青い森鉄道には05年7月16日に乗車した。前身となるJR東北本線にはついぞ乗車することなく、3セクに転換してしまった後での乗車となった。学生時代から北海道や九州、四国などの3島は周遊券などを利用して乗りつぶしに出かけていたが、東北に関してはワイド周遊券がなくなってしまい、周遊きっぷではあまりメリットを見出せないため、北海道よりも近いのに遠い地域となってしまい、ほとんどの路線に乗っていない状態だった。このため主要幹線である東北本線さえ全線完乗していなかった。東北新幹線延伸により盛岡~八戸間が3セクに転換され、ついぞ東北本線の完乗は果たせずじまいとなっていまった。仕方ないので3セク転換後の両鉄道に乗車したわけだが、東北地方は相変わらず乗りにくいところで、この時には東日本と北海道の普通列車が乗り放題となり、さらに急行はまなすの自由席に限り優等に乗れるきっぷを活用した。関西では入手が難しいきっぷで、わざわざ京橋のツインクルプラザまで出向いてきっぷを購入したのを思い出す。
当日は当初の予定とは違う予定で東北入りをし、IGR、青い森ともに予定外の乗車で初乗りを果たした。日本海で東北に入り、五能線などを乗りつぶして、はまなすで北海道入りして、北海道の路線を乗りつぶして、はまなすで東北に戻り、東北本線~青い森鉄道~IGR~花輪線と乗り潰して日本海で帰阪するルートを考えていた。しかし、不慮の事態で日本海に乗り遅れて、急遽18シーズンではないため空席があったムーンライトながらで東上して、東京から新幹線で盛岡までワープしてIGR~青い森と乗り継ぐ行程に変更した。盛岡からはIGRの7000系快速に乗って、青い森鉄道を通り越して八戸まで乗り通した。IGR7000系とは名ばかりで外観上は701系と全く同じ代物だ。車内がセミクロスシートになっているところが目新しいが、走りは701系と全く同じで、それなりに全速力で走るので車内はとにかくうるさい。
今後東北新幹線が新青森まで延伸されると東北本線八戸~青森間は3セクに転換するものと思われる。盛岡~青森間の都市間輸送を担うとまでは行かないだろうが、盛岡都市圏、青森都市圏の2大都市圏を持つ路線となるため、3セクとしてはそれなりに恵まれた路線となるものと思われる。
04年夏東北遠征続編。福島まで阿武隈急行にて南下して、続いて東北本線を南下していく。福島~郡山間はこの遠征の行きで既に乗車済みだが、郡山~黒磯間は初乗りとなる。さらにはその先の黒磯~大宮間の初乗りとなった。福島から郡山まではもう見飽きた乗り飽きた感が充満していた701系に乗車。帰省から東京へ戻る人たちで701系は混み合っていた。郡山で455系黒磯行きに乗り換える。ここも帰省客で混み合っている。かつては特急街道として北陸とともに名を馳せた東北本線も新幹線開業後はすっかりローカル主体の路線へと変貌してしまっている。かつての栄光は知る由もなく、雑誌などで見るだけの華やかな世界だったが、485系や583系が闊歩していたのが信じられないような状況だ。18ユーザーが大半を占めているせいか、郡山~黒磯間の直通利用がかなり多かった。東京に近い地域ながら普段の利用率がどれほどなのか気になるところだ。