宮島口から横川までJRで移動。18は使い果たしたので広島都市圏でも導入されているイコカを使う。広電でも使えるらしいが、1日フリーを使っているので、そちらでは使用していない。宮島口からは観光客などで結構な乗車があり、115系普通の車内も結構混み合っており、ここから先西広島まで利用者をどんどん増やしてかなりの立ち客を乗せて横川に到着。横川で可部線に乗り換える。可部線広島行きが停車していたが、広島での折り返しを考慮して横川で乗り換えたが、15分程度の乗り継ぎで来た電車はその広島行きの折り返しだった。こんなことなら広島まで行けばよかった。可部線は4度目ほどの乗車になる。一度は三段峡まで乗り潰しているので、もはや乗る必要はなさそうな路線だが、撮り潰しするために乗車する。元私鉄の可部線は箱庭鉄道的な光景が展開されるが、都市路線としても成長しており、沿線の需要に対して設備が貧弱な印象は拭えない。とりあえず可部まで行き、下車して廃線跡などを撮影して、再び可部線で大町まで戻る。ここでアストラムラインに乗り換え。アストラムラインにも一度乗車しているが、今回はもちろん撮り潰しのための乗車。とりあえず広域公園前まで乗り、折り返し撮り潰しにかかる。広域公園前までも道中は閑散としており、折り返しの上りもかなり空いていた。似たような駅ばかりでつまらないが、新交通としては珍しい地下線を走るなどそれなりに見所はあった。しかし、終始寂しかった車内は気がかりなところだ。本通からは歩いて紙屋町まで出て、再び広電に戻る。広電各線の撮り潰しはほぼ終了していたので、最終の白島線の撮り潰しのため八丁堀へと向かう。広島一の繁華街を本線で走り抜け、八丁堀に到着。ちょうど停車していた白島線電車に乗り換える。白島線も一度乗っている。単線でも行けそうな路線だが、立派に複線となっており、終点の白島電停のみが単線の構造になっている。白島からアストラムラインにでも乗り換えられれば便利だが、同線の白島とはかなり離れていて、仕方なくそのまま白島線で折り返す。八丁堀到着後は、広電の撮影でもしようかと思ったが、体調不良なので、諦めて早目の新幹線で帰ることにした。広島では乗車予定ののぞみの前を走るこだまが100系原色だったので、同車のお初の写真をGETできたのは収穫だった。
山陽遠征2日目。9月5日。この日は広電巡りがメイン。いずれも乗り潰し済みの路線のため、恒例の撮り潰しとなる。と言うように軽く書いているが、実際には体調不良と前日の酷暑での徒歩がたたり、予定をキャンセルしたくなるほど疲れ果てていた。予定では6時ごろにチェックアウトするといういつも通りの早朝チェックアウトを考えていたが、それもままならず、チェックアウトしたのは8時前。この時点では行けるところまで行って残った路線は今回撮りつぶせない呉線とセットでという思いでチェックアウトした。しかし、いざ乗り出すと鉄魂が燃えたぎり疲れと暑さを忘れてどんどんと予定を消化させてくれる。広電は本線系はある程度乗り撮りしてきたが、広島港方面や江波線などは雨にたたられてあまり記憶に残っていないので、じっくり乗りたいと思っていた。まずは比治山経由の広島港行きに広島駅から乗り込む。1日乗車券を購入しているので、当然ながら乗り放題だ。比治山経由は本数が少ないからか電車は満員で途中の広大附属学校前あたりまで混雑が続いた。久々の広島港に到着したものの、電車を降りると昨日以上かと思えるほどの猛暑。酷暑はまだまだ終わりなく続いていく。電車を降りるとたまらんので、再び電車に乗る。次は西広島行き。これに乗れば、紙屋町で西へ抜けるので、当初白島線を先に乗るつもりにしていたが、江波線へ向かうことにして土橋までこの電車を乗り通す。土橋からは夜の雨の中しか乗っていなかった江波線に乗車。江波車庫などを見物して、ここでも酷暑を感じてすぐい折り返し電車に乗り込む。土橋で再び下車して、続いて宮島線に入る。それまでグリーンムーバーMAXを何度も見かけたが、グリーンムーバーが来たので、それに乗り込む。運用がどうなっているのか分からないが、MAXは広島港の系統に入る傾向が強いのだろうか?グリーンムーバーは宮島線で見かけることが多かった。この日の傾向なのか、いつもの傾向なのか、機会があれば調べてみたい。宮島方面は結構観光客で混雑しており、席にありつけないので、最後部で立ちながら撮り潰しを行う。宮島線は軌道から通常の電車線を走るが、ホームが高床式になっているところがあり、時代を感じさせてくれる。今はグリーンムーバーを筆頭に低床車が圧倒的に多いものと思われる。宮島に着くといつもなら速攻アナゴ飯を食らいに行くところだが、前日からの腹痛が続いており、食欲は全くないので、宮島口からJRに乗り、可部線とアストラムラインの撮り潰しへと向かった。
9月4日、5日は18切符最後の1枚を利用して山陽方面へ遠征してきました。前週は山陰でしたが、それに続いて山陽方面への遠征となります。4日は茨木6時11分の快速を皮切りに岡山方面の私鉄撮り潰しがメインです。前日より腹痛を覚え体調が悪い中の出陣となりました。最近クーラー病なのか、酷暑の中にありながらも車内など空調の効いたところでは寒さを感じる贅沢病になっており、今回は長袖を持ちこんでの道中となりました。早速長袖をはおって姫路までひと眠り。ぐっすり眠って、続く山陽線でも竜野で偶然にも席にありつけたので、岡山までもひと眠りしました。それでも体調は良くならず岡山に着いても少々ふらふらした状態でした。とりあえず行程消化だけを考え、まずは岡電へ。岡電は既に乗り潰し済みですが、初期のころに乗り潰しているため撮り潰しが不十分のため乗り直しです。前回は偶然にもMOMOに乗ることができましたが、今回は普通の路面電車に乗車。東山まで乗り通し、帰りは柳川で乗り換えて清輝橋にも足を延ばしました。イコカが使えるのが目新しいところで、1日乗車券を使うまでもないためイコカで全て済ませました。東山に以前はバッティングセンターだったかに併設して電車関係の記念館みたいなのがありましたが、今はコンビニに建て替わっておりなくなったようです。
岡電撮り潰しを終えて、予定より少し遅く岡山駅に戻り、予定よりも1本早い電車で倉敷へと移動。今度は水島臨海鉄道の乗り直しです。予定では三菱自工前へ行く列車に乗ることにしてましたが、1本前の水島行きに乗り、今回は三菱自工前へは徒歩で移動することにしました。これも以前乗り潰しているからなせる業です。しかし、水島臨海工業地帯をこの酷暑の中歩くというのは自殺行為だと歩いてから後悔しました。体調不良に最悪の酷暑の中、三菱自工前どころか、その先の倉敷貨物ターミナルまで歩き、キハ20を撮影。半ばやけになって、帰りも水島まで延々と徒歩。半分熱中症になりながらの道中をなんとかアクエリアス1本で耐えて、水島に到着。帰りの道中はグロッキー状態。この後倉敷から伯備線に入り、清音で井原鉄道に乗り換えるも、ふらふらの状態でなんとか車内の冷房で持ちこたえる状態で撮り潰しを完了して神辺に到着。ところが乗り換え時間が30分近くもあり、酷暑のホームに放り出された…と思っていると井原鉄道の職員さんから神の声が…“暑いから車内で涼んでいっていいよ”と発車待ちの列車を開放してくれました。私の他にもありがたく涼にあたらせて頂いた利用者もいて、この酷暑には最良のサービスを頂きました。ありがたく礼を言い、福塩線で福山へ出て、後は山陽線を西下して広島へ向かうだけです。
福山からの山陽線の道中はまさに睡眠のための時間でした。糸崎での乗り換えでも席が確保できたので、じっくり熱中症と睡眠不足を補う睡眠タイムに充てました。さすがに熱中症気味とあって持ち込んだはずの長袖はバックの中で眠ったままでした。というより115系の弱冷車に乗ったので、幸いにもそれほど寒くなかったというのが要因と思われます。広島到着後は宿へ直行。予定では18の残りで可部線を踏破するつもりでしたが、如何せんあまりにも疲れ果てていたので、さっさと広電に乗って宿を取っている銀山町まで向かい、宿で速攻眠りにつきました。
特急はまかぜを城崎温泉で降りて、早朝の城崎の街を歩く。歩くというより風呂探しである。温泉目当てでとりあえず降りたと言っても過言ではない。駅前の温泉が昼から営業と言うことで落胆して、駅近くを歩いて、地蔵湯というのが駅チカであったので、ここで手を打つことにした。次の普通列車まで40分程度時間があったので、ここで温泉を楽しんで…と目論む。しかし、温泉に浸かるとのんびりしてしまうもので、と言うよりも次の列車の時間を読み違えており、さっさと温泉から上がって駅へ向かったつもりで駅に着くと既に列車は行った後。5分ほど時間を間違えていた。次はさらに1時間程度の待ちとなる。もう1件温泉と言う気になるには少々朝から暑過ぎる天候が災いして、待合室で涼み、城崎温泉の情景として有名な踏切付近で列車の撮影をしたりして時間を潰した。2時間近くあれば、温泉巡りもできたが、先にも書いたように温泉に浸かる以前に暑過ぎる。ここはもっと涼しい季節に来るべきだったと少し後悔する。
城崎温泉からは昨日来た道をほぼそのまま帰る形となる。キハ47系で豊岡まで出て、豊岡からは223系で福知山へ。福知山で多少ブレイクタイムがあったので、駅下の食堂で遅い朝飯と早い昼飯を食す。650円のチキンカツ定食はうどんもついてかなりのボリュームで美味しかった。かつては福知山には大江の鬼そばの立ち食いがあったが、高架化でなくなってしまっている。豊岡も駅の中には立ち食いがないし、城崎と和田山でちょろちょろ営業しているだけとなっている。出石そばなどそばどころでもある北近畿だけに駅そばにはもう少し頑張ってほしいところだ。もっとも駅そば好きではあるもののチキンカツ好きの私としては福知山に来たらまた650円のチキンカツ定食を食べたくなったのもこれまた事実である。福知山から綾部まで223系でショートトリップして、綾部で特急列車の分割併合シーンを見物。485系まいづるとたんばの併結シーンだったが、特急まいづるが入線時に前面扉を開けて現れたのには少々驚いた。287系になれば金沢で行われているような分割併合シーンとなるのだろうが、183系での分割併合もしばらくは継続していくことだろう。綾部から山陰線を進んで京都を目指す。昨日は福知山、今日は山陰と言うのが違うところで、あまり目新しい光景はないところを進んでいく。園部から先は複線化時に見物済みなので、ここは睡眠タイムとなる。京都到着後はそそくさとJR京都線快速に乗り帰宅した。向日町ではいつものように京都総合車両所に目を向けるが最近225系の姿がやたらと目立つようになっている。網干所属となる前の仮住まいが京都といったところなのだろうか。
8月28日朝5時50分。特急はまかぜに乗るべく鳥取駅ホームに入る。鳥取から城崎温泉と言う多少中途半端な切符を購入している。キハ181系はまかぜで最初で最後の新餘部鉄橋を渡るというつまらん企画を立てた。新餘部鉄橋を渡るキハ181系はまかぜを撮るということも考えたが、やはりここは乗っておくべきと思い、18を使いつつもここは別料金を支払いキハ181系の旅を楽しむことにした。鳥取駅は早朝ながらも…といいたところだが、人はまばらで後のスーパーはくとを利用する人が大半と思われ、特急はまかぜに乗り込む人はそれらしき人を含めて数えるほどだった。キハ181系はまかぜには今年の正月に乗り放題切符を利用して乗っているが、それ以来2度目の乗車となる。その時は姫路~豊岡間の乗車だったので、キハ181系はまかぜでは初の餘部鉄橋踏破となる。残念ながら旧鉄橋では鉄橋を渡るはまかぜは撮ったものの、はまかぜに乗って旧鉄橋は渡ったことはなかった。昨日来た道を辿るが、さすがに特急だけに苦しいエンジン音をたてながらもそこそこ速いスピードで駆け抜けていく。浜坂~鳥取間では唯一の優等だが、早朝の1本では有難みもないのか、利用者は少ない。浜坂からはそこそこ乗車があり、新餘部鉄橋に差し掛かるとその手の人を中心にカメラを向けたり、感嘆の声を上げる人が多く見られた。さすがに餘部に停まるわけではないので、餘部駅付近の工事の都合による速度制限を除いてあっと言う間に過ぎ去ってしまったといったところで、今後キハ189系が運用されるとさらにその感じが増すのではないかと思われる。香住からは結構な利用者が乗ってきて、寂しかった車内も多少は活況を増した感があり、その先の竹野でも多少の入りがあり、多少の賑わいを感じながら城崎温泉へと到着。降りる人は数名で、当然ながら乗る方が多かったようだ。
米子でそばを食ってパワーアップして境線の撮り潰しに挑みます。以前一度乗り潰していますが、その時は半端な乗り方だったので、今回はいつも通り各駅を撮り潰して行きました。後藤の車両工場など見所がある境線ですが、大山も遠く望むことができ、結構車窓もなかなかいい路線だということに気づきました。但し、大山は下りでは後ろでバックに流れる形でしか見られません。米子空港に近いところを走る境線では米子空港との関わりが色々な意味で強く、滑走路の延長の際には廃止論争まであったりということで、結局は空港アクセス路線として米子空港駅が設けられることになり、今では協調するようになっています。ただ、米子空港とはJR西日本としては競合しているので、今後フリーゲージトレインの導入などがあれば、再び争いが勃発するかもしれません。終点の境港は以前からそうでしたが、鬼太郎一色と言った感じでした。各駅とも妖怪にちなんだ愛称が付けられていますが、境港はさすがに本家だけあって力の入りようが違います。また、NHKの朝ドラの影響もあってか観光客がかなり多く、帰りの列車は驚くほど混雑していました。まさにゲゲゲさまさまと言ったところでしょうか。米子到着後は暑さに参っていたので、とっとと鳥取の宿にチェックインしたいので、乗り継ぎ列車に乗り込みます。キハ47系の各駅停車です。さすがに行きの快速とは違いのんびり感があり、途中特急追い抜きや列車交換がやたら多く、鳥取まで爆睡してもまだ足りないぐらい時間がかかりました。
遅まきながら8月最終週に北近畿と山陰方面へ18旅行に出ておりました。目的は新餘部鉄橋の踏破と境線の撮り潰し。まずは8月28日は福知山線経由で山陰を西下していきます。大阪駅を5時55分に出る普通福知山行きに乗り込むべく、阪急の始発で茨木市を出て梅田へと出ます。朝一の福知山線電車は113系4連での運転と言うこともあり車内は立ち客も出るほど の盛況ぶり。三田あたりまでかなりの利用がありました。三田を過ぎても18きっぱーを中心とした長距離客で賑わっていましたが、18シーズンが過ぎると閑散とするのでしょうか。中にはゴルフバックを抱えた人もいたので、福知山まで乗り通す人は少ないにしろ、篠山口までの需要はそこそこあるように思えました。途中駅で北近畿との列車交換をカメラに収めながら、単線区間でPC枕木への交換がやたら多いことに注目しました。287系投入に合わせて曲線通過速度などを見直す機運があるのでしょうか。来春の287系投入が楽しみです。福知山到着後は西へ向かうべく、113系豊岡行きに乗り換え。223系天国となりつつある北近畿地区もまだまだ113系の姿が見られます。この日は米子、さらには境港まで足を延ばし、鳥取まで引き返すという無謀な行程を組んでいたので、乗り継ぎ時間の少ない乗り鉄となってしまいました。豊岡からはこの日のメインイベントの一つ餘部鉄橋の踏破があります。キハ47系は片方が国鉄色と言うか単色化された状態で、もう一方は従来通りの北近畿地区の塗装となっていました。餘部鉄橋は新橋になっても人気があるらしく、餘部で降りる人がかなりいました。新餘部鉄橋の感想は…悪くはないけどトンネルを出てS字カーブをしているところがストレートの旧鉄橋よりも魅力に欠ける気がすると言ったところでしょうか。全体の印象は車中からしか撮影していないのでわかりません。
メインイベントの一つを通り過ぎ、浜坂で鳥取行きに乗り換え、鳥取まで昔ながらの山陰線の旅を楽しみます。かつては特急はまかぜはもちろん、特急あさしおやさらに古くは特急まつかぜなどが行き交った山陰線ですが、浜坂~鳥取間では今や優等は特急はまかぜ1往復が残るのみとなっています。そういった事情もあるのか行き違い駅は片方の線路が閉鎖されている駅が多く見られ、衰退の一途を辿っているという印象が強く感じられます。昔あったスイッチバックの信号所なども完全に草むらの中に葬り去られた感があり、山陰線の栄枯盛衰を感じさせてくれます。鳥取到着後はこれまた無駄のない乗り継ぎでキハ126系の快速とっとりライナーで米子へと向かいます。キハ58系時代から何度かお世話になっている快速とっとりライナーも少し鳥取地区での停車駅が増えた感がありますが、相変わらずの快速を披露してくれ、米子まであっという間(特急だったらもっとあっと言う間ですが)に着きました。ここで少し乗り継ぎ時間があったので、朝からパンを食しただけということもあり、改札を出て構内にあるそば屋でそばに食らいつきました。昔は駅構内に立ち食いがあったはずですが、近年地方駅で立ち食いそば屋が成り立たないのかその姿がどんどん少なくなっているのは気がかりです。駅そばファンとしては少し残念なところです。