EXPRESS DIARY~鉄人日記~

鉄道に関することを日々徒然なるままに書いて行こうと思います。

07年近畿を中心に鉄道を振り返る

2007年12月31日 | 近畿

070326hkyky93007  2007年の近畿圏の鉄道は平穏無事という言葉が当てはまるのではないかと思うぐらい話題が少なかった。JR西日本に動きが少なかった(08年への動きは除いて)こともその要因の一つだろうが、私鉄の方も同様に08年や09年に向けての動きはあっても07年に大きな動きは少なかった。その中で大きな動きというかダイヤ改正があったのが阪急京都線で、未だに賛否両論が行き交うぐらい反響が大きな改正であった。一般の利用者がどう思っているのかはなかなか声が聞こえてこないので何とも言えないが、少なくとも特急が遅くてよく停まるという声は阪急の特急の車内ではよく聞こえてくる。阪急京都線の特急の停車駅増加は07年改正だけの話ではなく、01年改正時からの問題と言えるが、今回の改正で淡路にも追加停車し、実質的に快速急行や以前の急行と停車駅にほとんど差がなくなってきている…これで次回改正で西院、大宮に追加停車となるとまさに快速急行…以前の急行と同じ停車駅となる!!ノンストップ復活論などが出てきてもおかしくないぐらいの状況を作り上げたのは阪急自身と言えるが、今後車両も含めて阪急京都線特急がどうなっていくのかは興味深いところだ。休車中の6300系の処遇や9300系の増備があるのかなど車両面でも課題を数多く抱えており、老朽化している2300系との兼ね合いなど今後の車両施策の動向も気になるところだ。ただ、車両施策については今後の特急ダイヤの動向とも深く関わるところであるので、いち早くダイヤの方向性を決めていかなければ、現在のように車両とダイヤがミスマッチになり、利用者に迷惑がかかるという状況が続きかねない。阪急には会社本位ではなく、利用者本位の次回施策を期待したい。

070318kobesakurasyuku14  JR西日本では3月のダイヤ改正でさくら夙川駅が開業した。阪急・阪神に対して第3の駅として開業したこともあり夙川戦争勃発ということでマスコミにも取り上げられたりしていた。さくらの名所ということでさくら夙川という駅名を採用したり、ホームの着メロにコブクロの桜を採用するなど今までにない戦略でイメージを作り上げた感があり、開業時には鉄道ファンのみならず、一般の旅客も多く同駅を訪れて非常に盛り上がっていた。1年経ってどれだけ利用者が根付いているかに注目したいところだ。

 その他では南海本線と高野線が小規模なダイヤ修正を夏ごろに行っている。近年南海のダイヤ変更が多くなっており、2年に1回は大きな改正を行っているように思う。しかも改正ではなく、ダイヤ変更というような消極的なダイヤ変更が多く、減便が目立つのは気になるところだ。

071020hans12012  車両面では阪神に西大阪線難波延伸線(阪神なんば線)用の1000系が登場し、秋から運用を始めている。同車は昨年末に既に登場していたが、運用開始がずれにずれ込み今秋デビューとなった。デビュー後も2+2の西大阪線普通運用の付属編成については順調に運用についているが、6連の基本編成は不具合があったのか、運用につかない日が多く、おまけに山陽電鉄への貸し出しなどもあってあまり運用についていない。来年度は09年春の開業に向けて量産体制に入ると思われるが、第1編成の不調が長引けば、量産車の生産にも影響が出るのではないかと危惧される。

071007hky90013  阪急では9000系の第2編成が登場して、9001Fとして宝塚線に配置され、秋から運用についている。阪急の財政状況が悪いのは有名だが、車両の置き換えは急務という状況になってきている。今後は大量とはいかないだろうが、数編成ずつでも継続的に増備されていく予定だ。また、南海でも来春の営業開始に向けて新形式が登場しており、これまで動きが少なかった南海でも徐々に動きがみられるようになってきた。8000系と名付けられた新型車両は東急車輌製ということもあって、関東で増備が続いているE231系やE233系をベースにした標準車両に基づいた構造になっており、同車の関西進出が始まったと言える。今後他社にも普及していくのかどうか注目されるが、車両製造メーカがそれぞれ異なっており、南海以外の他社に普及するというのは現時点では考えにくい。

 その他、全国規模でも今年は動きが少なかった年だったが、新幹線ではN700系が営業運転を開始し、東海道山陽新幹線の新時代の到来を告げている。それに伴い、500系が徐々に運用から外れていっており、来年度からは8連化されてこだまに運用されることが決定しているのはファンとしては残念なところだ。また、年末に発表されたブルトレの粛清もファンにとっては大きなトピックと言え、東海道筋からブルートレインが消える日が現実的になった年でもあった。また、北海道では781系の勇退、東北地区ではキハ110系の玉突き転配によるキハ52系・キハ58系の淘汰が行われ、JR西日本以外のJRでは国鉄型の淘汰が続いている。JR西日本でも遅ればせながらアーバンネットワーク内で国鉄型の淘汰への動きが始まっており、来年以降113系や103系の動きが注目されていくのではないかと思う。070708tokaidosn7003


南海高野線

2007年12月30日 | 近畿

060502koyagokurakubashi7  南海高野線には00年の夏に3DAYチケットを利用して乗り潰している。それ以前は南海本線や空港線には乗れど、高野線には全く乗っていなかった。南海は子供の頃から全く乗らない路線で、長らく未知の路線だった。幼少の頃にこうや号を見せてもらうために難波まで親に連れられたが、冬季で20000系が検査入場しているため運転していなかったのでその姿を見られなかったのを思い出す。高野線と言えばこうや号の印象が強いが、河内長野サイクルスポーツセンターへ行った時にクルマから見た銀色に輝くステンレスの電車も印象深かった。見るのは見たことがあっても乗る機会はついぞなく、漸く乗ったのが00年のことだった。難波から2000系急行で橋本まで行き、橋本で乗り換えて極楽橋まで行った。当時はまだ橋本での系統分割は主流ではなかったが、私が乗ったスジはちょうど橋本乗り換えを強いられるスジだった。橋本から先は気が遠くなるほど山を分け入って行き、急曲線、急勾配を走り、漸く極楽橋に辿り着いたというような道中だった。極楽橋から先、高野山へも3DAYチケットでケーブルカーに乗れるが、まだ一度も行ったことがない。高野山金剛峯寺は一度クルマで行ったことがあるが、機会があればケーブルの乗り潰しついでにもう一度訪問したい。

 南海高野線は以前はなんばから極楽橋直通の急行が毎時1~2本運転されており、これに特急が数本運転されるパターンのダイヤだった。当時30分サイクルで運転されており、曲りなりにパターンダイヤになっていた。泉北直通とダイヤがかみ合っていないなどの問題はあったが、極楽橋に向けて漸減していくダイヤとしては30分サイクルはよかった。現在は12分サイクルになり、河内長野以南で漸減するダイヤのパターンが狂いがちになっているが、林間田園都市・橋本までは運転本数が増えて、橋本以南は切り離したので、あえてパターン化しなくてもよいようになっている。それでも利用する方から見れば運転間隔は一定している方が有難い。京阪神の私鉄・JRでは等間隔ダイヤが当たり前になっているが、ミナミ(なんば・天王寺など)を起点とする私鉄・JRは昔から有料特急が走ったりするため等間隔ダイヤが崩れるケースが多かった。南海高野線も昔よりかはダイヤパターンが一定になってきているが、それでもパターンが一定していない面が目立つ。京阪神のような都市間輸送を行っていないので、パターンダイヤが崩れるのは仕方ないところもあるが、漸減ダイヤにするにしても、利用者本位で利用者がわかりやすいダイヤとして欲しいものだ。


智頭急行

2007年12月29日 | 山陽

060211chizukyuhot7000  智頭急行には学生時代から何度か乗車している。最初に乗ったのは18きっぷで京都から山陰方面を回り、鳥取から因美線で南下して、智頭から18きっぷから一旦離れて智頭急行に入り上郡から再び18に戻って帰阪した時だ。この時は智頭から上郡まで普通列車で乗り通している。智頭急行は高規格路線として開業したというイメージばかりを持って乗車したが、普通列車はそれなりには飛ばすものの、“高規格路線”というイメージが大き過ぎたため、あまり速いという印象は受けなかった。スーパーはくとに初めて乗った時も同様の感想を持った。高規格路線というとどうしても湖西線のように連続して130km/hを出す路線をイメージしてしまうため、智頭急行も同じような路線だろうというイメージを持ってしまう。しかし、実際には湖西線のような新幹線規格に近い高規格路線は稀…というより湖西線以外にはなく、智頭急行は高速化改良された路線という区分けが正しいのだろう。振り子気動車が投入されているようにカーブの半径も結構小さいところがあるのはこのためで、湖西線と同じ尺度で見ると確かに物足りない高規格路線とも言える。それでも立派な高架線や築堤が続き、ほとんど踏切がない様は、まさに高規格路線であり、播但線や山陰本線と比べると格段に線路規格が高い路線と思える。智頭急行開業前までは京阪神から鳥取までは播但線経由のはまかぜがその主体となっていたが、スーパーはくとははまかぜの半分程度の所要時分で結ぶようになっている。まさに革命的なスピードアップが行われたと言える。表定速度に直すとそれほど速くはないものの、それまでがそれまでだっただけにスーパーはくと=速い列車というイメージを持たせるには十分だったと言える。

01kobehakuto1813  スーパーはくとには5回ほど乗車しているが、中間車でも前面展望が楽しめるようにモニターが備えられており、昼間の列車は中間車に乗っても全面展望が楽しめる。ただ中間車に乗ると前面展望と側面で流れる景色に時間差が生じるためおかしな感覚を持ってしまう。鳥取方面行きは先頭車が自由席となっているので、京都から陣取れば特等席を確保することもできる。ただ、先頭自由席は喫煙車となっており、嫌煙者の私にはきつい車両のため敬遠して乗車したことはない。

 智頭急行にはスーパーはくとの他にJRのキハ187系を使用のスーパーいなばがある。スーパーいなばにはまだ乗ったことがないが、キハ181系時代の特急いなばには一度乗ったことがある。上郡で進行方向が変わるため、上郡から鳥取までの道中は後ろ向きのままだった。キハ181系が120km/hで爆走する区間と言えば、今ではJR神戸線内のはまかぜしかないが、智頭急行内でのはくとでの爆走体験は今となっては貴重なものとなった。

 京阪神と鳥取を短絡する使命を受けて黒字経営が続く智頭急行だが、沿線では並行して高速道路の延伸工事が進んでおり、早晩鳥取まで全通する予定だ。スーパーはくとは現状最大限のスピードアップを行っており、姫路~上郡間ぐらいしかスピードアップののりしろは残っていない。08年3月のダイヤ改正では姫路での新幹線のぞみとの接続を改善するようだが、新幹線との連携の強化及びスーパーいなばを活用した利便性の向上を行っていく必要があるのではないかと思う。スーパーいなばは岡山・広島方面から鳥取への利用が多いが、上郡で山陽線電車と接続させれば京阪神からの利用も可能になる。思い切った増発を行うなら、キハ187系を増備して上郡で分割併合をすれば、スーパーいなばとスーパーはくとの併結運転ができる。現状でも鳥取まで2時間に1本程度のフリークェンシーが確保されているが、スピードアップされる高速バスやマイカーに対抗するには毎時1本の運転に増発するのも悪くはない。

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広電本線・宮島線

2007年12月28日 | 山陽

060730hiroden51022  広電本線には03年8月30日に乗車している。ムーンライト九州で西下して、山陰本線仙崎支線乗り潰し、美祢線乗り直し、岩徳線乗り潰しを行い、宮島口まで戻ってきて、宮島口から広電の乗り潰しに取り掛かった。宮島口駅前であなご飯を購入して、できたてほやほやのアナゴ飯を食べてから広電の乗り潰しにかかった。宮島口駅で1日乗り放題の切符を購入して、グリーンムーバーで宮島線を乗り潰し、そのままグリーンムーバーで本線に入り、広島駅前まで一気に乗り潰した。低床車のLRVには鹿児島市交で一度乗車していたが、連接数が多いグリーンムーバーは見た目にも迫力があり、これぞLRTという印象を強く受けた。郊外線の宮島線は専用軌道、市街地に入る本線では併用軌道という本場のヨーロッパのLRT並の路線を持つ広電だが、並行して走るJR山陽本線と比べると遅いと言われるのがかわいそうなところだ。立派なLRT路線と言えるが、モータリゼーションとの対抗のみならず通常規格の鉄道であるJR山陽本線とも競合があるのは、厳しいところであり、単純に広島~宮島口間などの輸送だけ見れば、スピード面で見劣りするのは否めない。広島の中心地に乗り入れ、駅間距離が短いのでJRに比べてきめ細かなサービスを行えるという利点もあり、非常に健闘していると思う。軌道線内の宮島線ではそれなりのスピードで走るものの、併用軌道の本線に入ると広島市内の渋滞や自動車交通の信号待ちなどがあり思うように走れなくなる。とりわけ紙屋町などを通る相生通りを走るところは交通渋滞はもちろん、ピーク時間帯には電車が渋滞する光景も見られ、所要時分の延伸が問題となるところだ。一番いいのは市内中心部は地下に潜ることだろうが、私企業である広電が単独でできる事業ではない。030830hiroden50045


札幌市電

2007年12月27日 | 北海道

030814sapporosiden8512  札幌市電には03年8月の北海道遠征にて乗車している。昨日書いたJR札沼線に乗った後、札幌で宿にチェックインする前の一仕事として、札幌市電の乗り潰しを行った。地下鉄ですすきのまで出向き、すすきのから札幌市電の乗り潰しに取り掛った。札幌市電と言えば、竹箒を付けたささら電車が有名だが、さすがに夏には稼働している由もなく、普通に乗り回しただけとなった。途中電車事業所前電停で降りて車庫の隅っこにササラ電車らしき車両を確認したが、動いているササラ電車を見ることはできなかった。北海道には5回ほど訪れているが、そのうち4回は夏の訪問で、冬には一度しか訪れたことがない。この冬の一度もJRの未乗区間の乗り潰しに奔走したため、札幌市電を訪問することができなかった。次に冬の北海道に訪れる機会があれば、是非とも札幌市電や函館市電のササラ電車を見物したいものだ。

 札幌市電は半環状運転をしており、すすきの周辺や終点の西4丁目周辺に近付くに連れて利用者が多くなり、超満員の電車も走っており、終点では降車に時間がかかり、折り返し電車が大幅に遅れるという光景も見られた。利用者自体は多いものの、郊外部分では中心部へ遠回りとなるところもあり、モータリゼーションの波に逆らえない部分もある。札幌駅方面への延伸の計画などもあるようだが、なかなか話が前に進まないお決まりのパターンとなっており、札幌市電の復権もまだまだ遠い話となりそうだ。


JR札沼線

2007年12月26日 | 北海道

030815sassyoline201d103  JR札沼線は03年8月の北海道遠征で乗り潰している。8月13日に北海道入りして、夜にちょうど渡道していた友人と札幌ドーム見物などをして、札幌で宿泊する友人と別れて夜行特急利尻に乗って稚内へ向かった。翌朝とんぼ帰りで、スーパー宗谷2号に乗って滝川まで行き、滝川から新十津川まで歩いて、新十津川から札沼線の乗り潰しに取り掛かった。滝川から新十津川までは想像以上に遠く、途中道に迷いながら何とか1時間弱で歩き抜いて、這う這うの体で新十津川駅に着いた。新十津川まで来る列車は一日3往復しかないので、乗り遅れたら、また滝川まで引き返す羽目になるので、半ば小走りになるほど急いで歩いたのを思い出す。新十津川は秘境の駅というには少々周りに人家があり過ぎ、幹線道路なども走っているため、秘境中の秘境という駅ではなかったが、1日3本しか列車(おまけに列になっていない列車だ)が来ないということもあり、趣のある駅ではあった。新十津川ではあまり時間がなく、列車に乗り込むとしばらくして発車するという余裕のない乗継ぎだった。12時57分の列車に乗ったが、これを逃すと19時22分までないのだから贅沢は言ってられなかった。乗り継ぎ駅の北海道医療大学まで単行気動車に揺られるのんびりした道中を楽しみ、広大な石狩平野を延々と走り続けた。北海道医療大学からはそれまでの道中とは異なり、学生などの姿が目立ち、札幌都市圏に入ったことを実感した。途中のあいの里教育大~八軒までは複線で、八軒近辺は高架化され、すっかり都市圏路線の趣になっている。学園都市線の愛称が付けられているとおり、沿線には大学や高校が多く、学生の姿が目立つ路線だった。沿線人口は多く、札幌都市圏でも有数の利用者数を誇る札沼線だが、如何せんスピードに関しては物凄く遅かった。ダイヤ編成上、札幌から八軒までが単線となっているのがネックになっているのかもしれないが、とにかく気動車列車とは言え、もっと速く走れるのではないかと思える走りだった。将来的にも非電化のまま推移していくだろうが、ハイブリッド気動車の導入や、札幌までの複線化などを行い、是非ともスピードアップしてモータリゼーションの波に打ち勝ってほしいものだ。


神鉄公園都市線

2007年12月25日 | 近畿

041120shintetsu11514  神鉄公園都市線は神鉄有馬線、三田線とセットで乗車している。完全なニュータウン路線という印象の路線で、街はそれなりに成熟しつつあるのだろうが、モータリゼーションの進行で昼間時は閑散としていた。終点のウッディタウン中央は延伸に備えた構造になっていたが、今のところ延伸される計画はない。関西学院大学の三田キャンパスなどがあり、その先には工業団地も広がっているので、延伸する目はなくはないが、学生輸送はともかく、工業団地へは舞鶴若狭道のインターが近くにあるので、期待するほどの伸びは見られないと思われる。そういったことを考えると現状のまま推移していくというのが妥当なところだろう。ウッディタウン中央から東へ行くとJR宝塚線の新三田にぶつかる。競合していると言えば競合しているとも言えるが、公園都市線にとってJR宝塚線は三田で連絡する重要路線でもある。三田へは三田線の横山経由で入るためやや遠回りになるが、三田市の新興住宅地はJR沿いではなく、神鉄沿いに開けているので、神鉄からJRへの流入は多い。神鉄とJRの乗り換えはそれなりだが、チェック機能がうまくいくなら同一ホーム上での乗り換えができれば便利だ。さらに言うならJRへ直通する電車があればなおいい。神鉄とJRでは車両規格が違うが、公園都市線~三田間は神鉄特有の中型車である必要もなさそうなので、JRの20m級車両を公園都市線に乗り入れするようにすればよいのではないか。三田駅をJR、神鉄ともに大改造して、篠山口方面からの4両と公園都市線からの4両を三田で増結できるようにして、公園都市線とJR宝塚線の直通運転を実現してほしいものだ。


神鉄有馬線・三田線

2007年12月24日 | 近畿

060604shin3003  神鉄有馬線、三田線は学生時代にぶらっと乗り鉄をした際に乗り潰しは達成している。JR宝塚線とセットで乗車した記憶があるが、三田から新開地までかなりの時間がかかったという印象しかない。粟生線ほど遅いというイメージはないものの、決して速いとは言えない。さすがにJRで尼崎乗り換えをするよりは速いとは思うが、ストレス的には大差ないようにも思える。有馬線は乗り潰したとはいえ、有馬温泉への乗り入れはホームページを始めてからで、公園都市線などとセットで乗っている。最近は3DAYチケットを利用する時にしか神鉄は乗らないという感じになってきている。そんなに遠出するわけではないのに、遠出した気分になるのは電車が相対的に遅かったり、山岳地帯を走るからだろうか?有馬線にはかつて秘境と言われて普通でさえ通過する列車があった菊水山があったが、05年3月のダイヤ改正で休止となっている。一度だけ訪問したことがあるが、とても神戸市内の駅とは思えないところだった。源平の時代で有名な鵯越あたりも神戸市内とは思えないところだが、六甲の山岳地帯を走る神鉄らしい景色が展開されて面白い。ファンには面白いが、毎日利用する人にはこの山岳地帯がネックになって電車はゆっくり走るので迷惑だろうし、鉄道会社としてもトンネルを貫いて神戸の市街地に直結する道路と対決するにはこの鵯越がまさにネックとなっている。有馬線、三田線は谷上から三宮方面へ短絡する北神急行と連絡しているので、そちらのルートを使えば、神戸の中心部への所要時分も短くなるが、何分軌間が異なるため、直通運転できないのがネックとなっている。北神急行とは将来合併する計画もあったが、割高な運賃などで北神急行が不振を極めたり、神鉄自体もモータリゼーション、少子化や震災の影響などで利用が落ち込み合併どころではなくなっているため、合併の話はいつの間にやら聞かれなくなっている。どちらも阪急系なので、合併する必要もないが、運賃のシームレス化やフリーゲージトレインの導入などで直通運転をなんとか可能にして北神急行との関係を強化していくことが神鉄有馬線・三田線の生き残っていく道なのではないかと思う。


神鉄粟生線

2007年12月23日 | 近畿

071117shintetsu30176  神鉄粟生線に初めて乗ったのはHPを始めるようになってからだ。何度も書いているが、近畿圏の鉄道をネタにHPを広げていくために、未乗路線を優先的に乗りに行っていた時期に、神鉄粟生線にも乗っている。当然ながら3DAYチケットを利用して乗車している。3DAYチケットは非常に有難いチケットであまり用もないのに購入してしまうのは鉄のサガというところだろうか?3DAYチケットが学生時代にあったらもっと早いうちに乗れていたのに…と思うが、それと同時にデジカメ隆盛の時代が学生時代に訪れていたらよかったのにとも思う。歴史にタラレバは禁物だが、個人的な思いだけなのでこの場合のタラは許されるということにしておこう。最初に乗った時は、新開地から粟生まで乗ってグロッキーで、帰りもあれに乗ると思うと気が遠くなり、違うルートで帰ろうかと画策してみたが、どこから帰っても同じように“だるい”ということで安い粟生線で延々と新開地まで我慢して乗った。HP初期の頃はとりあえず乗って写真が撮れたらいいということで適当に活動していたが、その後心を入れ替えて?HPの充実を図るため、沿線を撮り歩き、乗り歩きするようになった。そうなってから粟生線には3回ほど乗っている。慣れても遅いのは同じで、帰りもまたこれに乗るのか・・・というイメージは変わらない。これは準急であっても普通であっても同じで、結局のところ粟生線内で通過運転をするのは急行だけなので、ラッシュ時に乗らない限り、粟生線のイメージは延々と同じイメージしか持てないだろう。


ニュートラム

2007年12月22日 | 近畿

030711otsatc  ニュートラムの初乗りは学生時代に就職活動で南港方面を訪れた時だった。就職活動では何度か南港方面を訪れており、ちょうど開業したてのOTS線と使い分けてニュートラムに乗ったり、中央線経由で行ったりしていた。OTS時代は大阪港を境に暴利な運賃を請求されるため、貧乏学生には痛い出費だった。住之江公園廻りでも時間はかかるし、それなりの運賃がかかるので、南港方面にはできるだけ行きたくなかったから、交通費が貰える就職セミナーなどを優先して、その他はこれといった企業以外は行かなかったのを思い出す。世は不況の嵐が吹き荒れるというか吹き荒れ狂うような時期だったが、私の財布も万年不況…今でもあまり改善されていない…だった。

 ニュートラムにはその後も何度か乗車しており、卒業旅行で九州へ向かう時にもフェリーターミナルまでニュートラムに乗って、南港から志布志へ向けてフェリーに乗っている。社会人になってからも当初南港に馴染みのある会社に就職したこともあり、何度か足を運ぶ機会があったが、その後職を替えてからは、南港へ行く機会もニュートラムに乗る機会もほとんどなくなっている。その後WTCに大阪市の主要機関の一部が移って、そこに行くため、ニュートラムに乗る機会がなんぼかできたが、仕事上ではOTS線経由でコスモスクエアからトレードセンター前までニュートラムに乗るだけで、トレードセンター前~住之江公園間は久しく乗っていない。そのうちプライベートで再乗車したいと思う。


叡山電鉄

2007年12月21日 | 近畿

061123eiden8153  叡山電鉄は本線の宝ヶ池までと鞍馬線には京福電鉄時代に乗車している。幼少の頃、鞍馬寺へ連れられた時に2回ほど乗っている。天狗が出てさらっていくと父親に脅されてびくびくしながら寺にお参り?したのを思い出す。鞍馬寺が運行しているケーブルカーにも乗っているが、鉄活動では寺詣りはしていないので、最近ケーブルカーには乗っていない。京福時代の鞍馬線はきららのような車両はなく、旧型の電車が走っており、旧型好きの妙な子供だった私には面白い鉄道だった。

 学生時代に久しぶりに鞍馬線を訪問した時には京福から叡電に変わっており、きららが走っていて、幼少の頃訪れた時とは隔世の感があった。鞍馬線には乗っても本線の宝ヶ池~八瀬遊園(現八瀬比叡山口)間にはなかなか乗らずにいた。同区間に初めて乗ったのはHPを始めてからで、これで漸く叡山電鉄の乗り潰しを達成した。八瀬比叡山口から出ているケーブルカーにはまだ乗ったことがない。次に八瀬比叡山口まで行った時にはぜひともケーブルカーやロープーウエイの乗り潰しもしたいと思う。


JR予土線

2007年12月19日 | 四国

040718yodo5433  JR予土線には学生時代に乗車している。学生生活最後に四国征伐に出かけた時だった。ムーンライト高知で四国に入り、午前中のうちに土佐くろしお鉄道中村・宿毛線を乗り潰して、午後から予土線に乗って宇和島~松山経由で高松へ出て、高松に泊まっている。土佐くろしお鉄道から予土線へ乗り換える時に、窪川で小1時間ほど時間があったので、駅近く(といってもかなり離れていたが)のスーパーで寿司を購入して、駅のベンチで食した。これが災いしたのかどうかわからないが、夜になって腹痛を起こし、次の日の予定を変更して牟岐線を征伐することができず、四国乗り潰しの野望は藻くずとなってしまった。

 予土線は軽便鉄道並にひ弱な線路区間と鉄道建設公団が造った立派な高規格?の線路が混在する路線で、大半の区間はひ弱な線路が多かったので、非常に長い乗車時間だったのを思い出す。宇和島に着くころには日が暮れていたが、それ以上にへとへとでもう1度乗れと言われても即座に嫌だと答えるぐらい全線乗り通した後は疲労困憊だった。2度と乗るかと思いながらも、再度乗り直してしまうのが鉄の悲しきサガで、04年7月18日に今度は私鉄も含めた再度の四国征伐へ出かけた際に、乗り直しとして予土線にも乗車している。途中沿線を車中から撮影をしながらの道中だったが、途中でデジカメの調子が悪くなり、電源が入ったり入らなかったりしてしまい、デジカメの復旧に時間を費やして、道中の半ばまで乗った気がしない状態だった。前回に続き窪川側から乗ったが、四万十川沿いを行く沿線のハイライト区間をデジカメの不具合で見逃したという感じで、あまりいい思い出は残っていない。途中からは撮影を諦めて、眠りこけてしまい、前回の道中同様疲労困憊で宇和島に着いている。宇和島に着いてから、駅撮りをしたが、デジカメが快調に戻っていたのが幸いだったと言える。


南海和歌山港線

2007年12月16日 | 近畿

Nan710025  南海和歌山港線には4回ほど乗車している。一度目はここ数日で書いているとおり、高師浜線から始まる南海本線系の支線乗り潰しで乗車しており、この時は土砂降りの中水軒まで行っている。帰りに和歌山港からサザンの指定席に初めて乗ったのもこの時だった。和歌山港線は雨に祟られる道中が多く、中間駅廃止前に訪問した時も冬なのに大雨が降って、台風並みの風が吹いていたのを思い出す。水軒には2度行っており、2回目に訪問した時は、廃止が決定してからで、惜別乗車のファンに紛れて乗車したのを思い出す。さらに廃止日にも和歌山に行っているが、この時は和歌山港線はファンで物凄い混雑となっていたため、乗車は諦めて和歌山市での撮影のみにとどめている。その後、水軒廃止後、和歌山港まで一度乗車しており、この時も帰りにサザンの指定に乗っているが、最初の訪問と同じく雨が降っていた。

 和歌山港線は和歌山市~和歌山港間の中間駅がすべて廃止され、フェリー連絡の機能を持つ特急サザンと一般特急、急行のみの運転となり、線内運転の普通はなくなっている。和歌山港から出るフェリーも本四架橋開業の影響で利用者を減らしてかなり減便されており、先行きが怪しい。今後フェリーの動向次第では和歌山港線の存続自体も危ぶまれるのではないかと思う。


南海加太線

2007年12月15日 | 近畿

031206kata71956  南海加太線にも他の支線同様3DAYチケットを利用して2回乗っている。1回目はコンパクトカメラを持っての初乗り、2回目はデジカメを持っての乗り直し撮り直しの道中となっている。加太線は非常に遅いのと行き違い待ちの時間が非常に長かった印象がある。加太線には紀淡海峡にトンネルを掘って淡路島、徳島方面を結ぶという壮大で途轍もない話があるが、今のままでは加太線はそのアクセス路線とは使い物にならない。こんな計画が実現するとも思えないが、淡路島及び鉄道を通せる構造になっている鳴門大橋に鉄道を造るには明石大橋が鉄道併用橋とならなかった今、紀淡海峡ルートが淡路島経由で四国に至る鉄道を造る最後の砦とも言える。高松、松山、高知方面は瀬戸大橋ルートで十分と言えるが、徳島へは瀬戸大橋経由では遠回り過ぎて使い物にならない。道路があればそれで十分とも言えるが、新幹線までは必要ないので、在来線程度の鉄道を通しても罰は当たらないと思う。紀淡海峡を越える鉄道となると南海単独のプロジェクトではとても考えられないので、国家プロジェクトの一部となるため、南海のみならずJRも絡んでくると思われるが、四国方面へはJR四国が主体となり、和歌山側は南海が主導権を持つようにして、できる限りJR西日本を排除すれば、大阪南部から淡路島、徳島方面への輸送を南海が独占できるようになる。


南海多奈川線

2007年12月14日 | 近畿

031206tanagawa2203  南海多奈川線は3DAYチケットを利用して高師浜線、加太線、和歌山港線などとセットで乗車している。高師浜線のところでも書いたとおり、2回乗っているが、道中の天気はどちらも良くなかった。写真を見て頂ければ地面が濡れているのがわかるだろう。この写真は2回目の乗車の時のものだ。多奈川線乗車時はたまたま晴れ間が顔を覗かせていたのは幸いだった。多奈川線はかつて本線からの直通急行が運転され、深日港から出るフェリーと連絡する機能があったが、今はそれも廃止され支線にしては長めのホームが残るのみとなっていた。深日港から発着する定期便がなくなった今直通急行復活の望みもなく、多奈川線は現在の姿のまま推移していくものと思われる。岬町役場への足となっているので、近々に廃止される可能性は低いが、将来的に考えれば廃止も視野に入ってくるのではないかと思われる。多奈川から先、多奈川発電所方面まで線路を延ばして、同発電所や大阪岬マリーナへのアクセスを改善して利用者を増やす方向も考えられなくはないが、投資に対して利用者の絶対数が少ないだろうし、クルマ社会にどっぷり浸かっている地域だけに線路を延ばしただけで利用者増を望むのは無理があるだろう。多奈川線における積極策としては沿線に大阪、和歌山方面から客を呼べれる施設を造るぐらいしかないだろう。しかも、その施設はどうしても多奈川線を利用しなければならないというような条件がつけなければクルマに利用が流れるだけということは言うまでもない。