JR香椎線には03年12月21日に乗車している。風がきつい寒い一日で、九州に来たとは思えない気候だった。九州は温暖な地域だけに車内暖房がゆるいのか?外に出ても列車に乗っても寒い状態で、寒さに震えながらの鉄活動になったのを思い出す。そんな中乗った香椎線は子供の頃に砂浜の中を走る写真を見ていたので、砂漠を走る路線というイメージがあった。写真で見ると確かに海の中道の砂浜を走っているように見えたが、実際乗ってみるとあまりその実感はなく、ちょっと砂っぽいかなという印象だけだった。想像が膨らみ過ぎて乗ってガッカリすることも多いが、香椎線の印象はまさにその通りだった。期待が大きいからそうなっただけで香椎線自体は観光路線というよりも都市近郊路線の印象が強く、電化されないのがおかしいぐらいという印象もあった。次回は乗るだけでなく、外から撮る方にもチャレンジしたいものだ。
JR博多南線には03年12月21日に乗車した。九州遠征のラストを飾る乗り潰しとして、博多南線に乗り、この後博多近辺で土産物を買って、地下鉄に乗って福岡空港へ行き、福岡空港からJALのバースデー割引を利用して飛行機で帰阪した。新幹線でも帰れたが、たまには飛行機に乗って新幹線と比較するのもいいものだ。
博多南線は在来線なので18きっぷでも乗れるのかと思っていたが、列車は特急列車扱いのため、18の使用は不可と思われる。このため、在来線改札をいったん出て、新幹線の切符売場で博多南までの切符を購入して新幹線ホームへ入場した。昼間でも毎時1本の運転があるので、乗るのにそんなに苦心はしない。早速0系こだまの回送を活用した博多南行きに乗車した。車内には私以外誰もおらず他の車両も1人か2人いるかどうかといったところで、余裕たっぷりに座席を倒して博多南線の道中を楽しんだ。普段見られない西鉄との交差などを楽しみほんの10分程度で終点博多南へ。将来九州新幹線の本線になる高架橋などが途切れていたり、博多総合車両所が広がり、ファンにはなかなか興味深い光景があちこちに広がっており、興味がある方は一度訪れてみるといい。駅はこじんまりとしており、自動改札もなく(今はあるのかな?)、次の折り返し列車に乗る直前まで改札は行われなかった。今は九州新幹線の建設で周囲は一変しているものと思われるが、私が訪れた当時はほんとに新幹線が走るのかなという状況だった。九州新幹線開業後も博多南線は残るようだが、260km/hで疾走する九州新幹線に混じってどのような走りをするのか興味深い。また、今後500系のこだま転用が予定されており、博多南線電車に500系の姿が見られる日も近いものと思われる。8両編成なので、博多南駅では500系の撮影ができるかどうかわからないが、500系博多南線が登場した際には一度乗りに行きたいものだ。
福岡市交箱崎線には2回乗車している。1度目は03年12月21日の九州遠征の時で、この時は九州新幹線開業前にお別れ乗車として鹿児島本線を2枚きっぷを使用してドリームつばめ、つばめで往復して、博多へ戻ってから、福岡県内の路線の乗り潰しをした。JR香椎線の乗り潰しをして、時間が余ったこともあり、箱崎線に乗って、西鉄宮地岳線にも少し乗った。2回目の乗車は前回中途半端に乗った宮地岳線の全線乗り潰しをするために、中洲川端から貝塚まで再度箱崎線に乗った。貝塚駅の構造を見る度に早く西鉄と相互直通ができればいいのにと思う。西鉄宮地岳線も西鉄新宮~津屋崎間が廃止され、スリムになり、地下鉄との直通が逆にしやすくなったように思う。西鉄貝塚線の今後を考えれば、地下鉄との直通により、福岡中心部へ乗り入れ活性化していくのがベストと思われる。福岡市交にとってもプラスになるはずだし、地下鉄側では大規模な改良はしなくてもよいように思う。是非とも実現して欲しいものだ。
JR唐津線は筑肥線などを乗り潰した03年12月20日に乗り潰している。筑肥線で唐津まで出て、唐津から佐賀まで唐津線に乗った。キハ47の2両編成だったと思うが、佐賀に近づくにつれて混雑していたのを思い出す。もっとも混雑してきたなというのは鍋島から佐賀までの長崎本線の中での話で唐津線内はそれほど乗っているという印象はなかった。途中長崎自動車道と交差するところがあり、立派な道路と貧弱な線路の対比が如何にもモータリゼーションの進行を表すようで興味深かった。唐津線乗り潰しの後は、佐賀で昼食を取って…というひまもなくおにぎりを買って長崎本線に乗り込み、帰宅の高校生で混み合う車内では何も食べられず、佐世保線に乗りついでから漸くおにぎりを頬張ることができた。
JR筑肥線には03年12月20日乗車している。朝からJR原田線の乗り潰しをして、桂川から電化後は初めての乗車となったJR篠栗線に乗って博多へ出て、博多でラーメンを食して体を暖めてからJR筑肥線の乗り潰しに挑んだ。博多から姪浜までは地下鉄なので18きっぷは使えないので、姪浜までの切符を買って姪浜からは18きっぷで筑肥線を乗り潰した。姪浜までは地下鉄車両の電車で、姪浜行きに乗り、姪浜で降りて、次に来た303系ではなく、その次の103系唐津行きに乗って唐津へ。確か快速からつライナーだったと思うが、快速とは思えぬ鈍足だった。筑肥線は虹ノ松原などが沿線に点在する案外風光明媚な路線で、都市近郊路線にしては景色のいい路線だった。
唐津でとりあえず下車して、唐津からは一旦筑肥線を離れ、唐津線~長崎本線~佐世保線~松浦鉄道と乗り継いで伊万里へ。伊万里から再び筑肥線に乗車して非電化区間の乗り潰しを行った。伊万里駅は松浦鉄道とは完全に分かれており、駅舎が対峙する形で配置され、松浦鉄道の方が規模が大きく、どちらがJRでどちらが3セクの鉄道かわからないほどだ。筑肥線気動車は朝乗った原田線と同じキハ125系で、レトロ気動車を使用した列車も走る松浦鉄道に対して、こちらもなんだか見劣りする感じだった。とはいえキハ125系も外装は派手な黄色で、内装もJR九州スタンダードとも言うべき内装が施され、一介のローカル気動車とは思えない車両ではあった。筑肥線非電化区間も鈍足で一体いつになったら着くんだろうかと思うほど唐津まで時間がかかった。唐津で西唐津行きに乗り換えて、西唐津までの乗り潰しを完了し、西唐津からは再び電車に乗って博多まで戻った。乗った電車は相変わらず103系で、この日は303系は見たものの乗ることはできなかった。
JR原田線ことJR筑豊本線の桂川~原田間に乗車したのは03年12月20日だ。HP作成を始めて、近畿圏からさらに手を広げて全国の鉄道を見て歩くのが習性となり、乗り潰しを本格的に行い始めた最初の頃に乗車している。あかつきのレガートシートで博多入りして、博多から普通列車で原田へ行き、原田から数少ない原田線の気動車で桂川まで行った。北九州でも雪が降るぐらいの寒い朝だったのを覚えている。キハ125系の単行でも相応しくない利用者の数で、終点の桂川近くでも高校生が数人程度乗っていただけだった。かつてはブルートレインあかつきも同線を経由して走っていたぐらいの幹線だが、炭鉱が衰退して、筑豊本線自体の衰退もあり、その末端の原田線はその中でも大きく衰退した区間と言える。
泉北高速鉄道には学生時代に初めて乗った。就職活動で和泉中央へ行く時に利用したのが最初で、昼間だったこともあり、和泉中央駅の閑散とした雰囲気が印象に残っている。その後は泉北高速とは縁遠い生活をしていたこともあり、HP開設後のネタ集めに03年12月6日に2回目の乗車を果たしている。泉北と言えば、泉北準急が主体で、朝ラッシュ時運転される中百舌鳥飛ばしの区間急行が印象に残っているが、線内運転の各停も少数ながら運転されていることに驚いた。上の写真も各停になっているが、いつも南海高野線内で見る5000系や7000系は準急の種別幕で走っているので、各停という種別幕を見て少々感動を覚えた。
泉北高速は朝ラッシュ時に最大10両編成が走り、データイムも6両編成以上の電車が走る路線で、いわば南海高野線の屋台骨にもなる路線だ。同じニュータウンを走る古株の阪急千里線が阪急京都本線に与える影響よりもさらに強い影響を与えている路線と言える。ニュータウン路線も街の成熟及び衰退期を迎え変革期を迎え泉北高速鉄道も曲がり角にあるのではないかと思う。
琴電志度線には03年9月6日に乗車している。マリンライナーで四国入りして、讃岐うどんを食して高松築港から琴平線に乗り、瓦町で志度線に乗り換え志度まで一気に乗り通している。この時志度からの帰路はJR高徳線で高松に戻った。琴電志度線は高徳線と競合している路線だが、競合云々よりも並行して走る国道への流出を防ぐのがどちらの路線も第一と言える。ファンとしては終点まで行って、来た道をそのまま戻るよりも違う路線に乗って戻る方が楽しいが、鉄道会社としては競合路線があるというのは厳しいところだろう。とりわけ志度線のように沿線人口がそれほど多くなく、クルマ社会にどっぷり浸かっているところで、クルマ以外にも敵がいるというのは鉄道会社としては死活問題になり兼ねない。何とかJRと協調しながらクルマに対抗していきたいところだろう。
琴電長尾線には03年9月6日の四国遠征で初乗車している。昨日琴電琴平線で書いたように志度線を乗り潰して長尾線の乗り潰しにとりかかったので、昼下がりの時間帯に乗車している。志度線に乗って、志度からの折り返しはJR高徳線に乗って一旦高松に戻り、高松築港から再び琴電に乗って、長尾線乗り潰しにかかった。長尾まで乗った後は駅前の地図を見て、高徳線にアクセスできそうなら、そっちに回ってみようかと思ったが、かなり遠かったので、そのまま長尾線で折り返して、瓦町から琴平線に乗った。長尾線には元名古屋市交の車両が使用されており、京急や京王の車両に交じって第三軌条を走っていた地下鉄車両が活躍していた。
琴電琴平線には2度乗車している。1回目は1999年2月に四国遠征した折に高松での宿を瓦町に取っていたため、高松築港~瓦町間を往復で乗ったり、瓦町~琴平間に乗ったりして楽しんだ。このときは本格的に全部の鉄道を乗り潰すという強い思いを持たずにただただ乗っていただけなので、琴平線以外の路線は乗っていない。瓦町駅周辺に旧型車両が置かれていたのを記憶しており、それをコンパクトカメラで撮影したのを思い出す。
2回目の乗車は琴電全線に乗るつもりで四国入りして、日帰りで乗り潰した時だ。03年9月6日のことで、18きっぷの残りを利用して四国入りして、琴電乗り潰しをした。ちょうど213系マリンライナーの引退が決定していた時期なので、それの惜別乗車も兼ねて、岡山~高松間では奮発してグリーン車に乗った記憶がある。高松で讃岐うどんを食していざ琴電乗り潰しへ。琴平線はとりあえず一通り乗っていたので、志度線、長尾線の乗り潰しをしてから琴平線に乗ったため、琴平に着いた時には夕方近い時間だった。金毘羅さんに行く気力も時間もなく、琴平からは折り返し土讃線に乗って高松まで出て、マリンライナーで帰途についた。琴電は民事再生法などを適用して苦しい時代が続いたが、再建されICカードの導入など四国では一歩進んだ施策を行っており、今後の展開が注目される。また、旧型車を多く保有してファンを喜ばしてくれる鉄道としても有名で、動態保存の形で旧型車を保有している点では鉄道ファンとしては嬉しい限りだ。
岡山電気軌道にはスカイレールの乗り潰しをした03年8月31日に乗車している。朝から広島でアストラムライン、スカイレールと鉄道としては異端児の路線を乗り潰して、瀬野八を越えて、岡山まで延々と普通列車に乗り通した。18きっぷを利用した鉄旅行だから仕方ないが、山陽本線の普通列車の旅は道中がかなり長いので疲れる。岡山到着後は速効、岡山電気軌道の乗り潰しに取り掛かった。ちょうど電停に同鉄道のエースMOMOが停まっていた。低床車のさきがけとも言うべき車両に早速乗車して東山へ。地を這うように走るという表現がぴったりなMOMOは走行音は静かで快適だったが、如何せん座席は座りづらいものだった。各地の路面電車にLRVが投入されているが、どの車両も短距離利用が主体のためか座席は必ずしもいいとは言えない。中には広電のように長距離乗車がある路線もあるので、座席定員の確保と座席の改良がLRVの今後の課題なのではなかろうか。終点の東山には車庫があり、電停近くには岡山電気軌道の資料館があったので、どんなものかと立ち寄ってみたが、日曜日は休館ということで中には入れなかった。今は1階にあったバッティングセンターが閉鎖となったため休館になっているとのこと。今度東山を訪問したときにはぜひとも資料館が開いていて欲しいものだ。
折り返しはMOMOではない普通の路面電車に乗り柳川へ。ここで清輝橋線に乗り換えて同線を乗りつぶす。清輝橋到着後は折り返し岡山駅前まで戻った。このあとは前日にダイヤ改正を行っていた阪急宝塚線の快速急行を見たいという欲望から新幹線に乗って新大阪まで戻り、十三で宝塚線初の快速急行を撮影したのを思い出す。
岡電は広電程の規模はないが、市街地を走るためたいていの区間は活気がある。今後JRが二匹目の鰌を狙って吉備線をLRTにする計画があり、それと岡電が相互直通することも考えられている。市内のネットワーク拡充などの計画もあり、今後広電並みとまではいかないものの、岡電も発展の可能性を秘めている。今後にも期待したい。
スカイレールはロープウェイとモノレールを組み合わせたような新交通システムで、全国でこの方式を採用しているのはJR瀬野駅から出ている広島短距離交通瀬野線のみだ。この世にも珍しい乗り物に初めて乗ったというか最初で最後の乗車が03年8月31日だった。早朝からアストラムラインに乗って、広電の撮影などを行ってから広島駅から山陽本線で瀬野へ行き、瀬野からスカイレールに乗車した。丘陵地への住宅と瀬野駅を結ぶだけの目的で造られたため、必然的に片輸送になっており、日曜の朝から駅から住宅地へ向かう人など一人もいなかった。運賃は入場時に支払、降りるときはラッチフリーの形式になっており、ここでも終点のみどり中央で何もすることはないので、折り返し電車?で引き返した。ループ形式でゴンドラ?が終点で折り返してプラットホームに入線してくる様はさながら遊園地のようだった。乗り心地はロープウェイというよりモノレールに近いのかもしれないが、あまり強い印象は受けなかった。急勾配に強い交通機関のようだが、正直普及型の交通機関になるとは思えない。
今日からまた、つまらぬ私の鉄跡を記していきたいと思います。今日はアストラムライン。乗り潰しでなければ乗らないような路線とも言えるが、広島に来たついでにがっちり乗り潰した。私が乗ったのは03年8月31日で、早朝からブルトレを撮るか、アストラムラインに乗るかどちらにするか迷いながら格安のビジネスホテルを出て、ブルトレ撮影は断念して早朝からアストラムラインの乗り潰しをした。広電に乗って紙屋町まで行き、付近にある本通まで歩いて地下のアストラムラインの駅へ向かった。広島では珍しい地下駅とずらりと並ぶ自動改札を見て、大阪に帰った感覚になったが、ここは広島。当時はまだJRはアーバンエリアで自動改札が整備されて間もないころで、広島地区に自動改札はなかった。前日はムーンライト九州で下関入りして、山口県内のJRを乗り潰して、広島まで戻り、午後の遅い時間は広電の乗り潰しをしていたので、自動改札と関わることがほとんどなかったので、アストラムラインで見た自動改札は妙に新鮮味があった。アストラムラインの駅は大阪や神戸にある新交通システム同様ホームドアが備えられ、地下駅では電車の姿がほとんど見えない。地上に上がってからは高架線を走るため、電車の姿を外から見ることができる。大阪や神戸では自動運転を行っているが、アストラムラインは運転士付のワンマン運転を行っていた。終点の広域公園前まで行って、朝からサッカーをやっているわけでもなく何もすることもなく折り返して戻って行った。折り返しは本通まで行ってもつまらないので、大町でJR可部線に乗り換えて広島へ戻った。
15日は島本駅訪問後、一気に神戸まで足を延ばして須磨海浜公園まで行きました。こちらの人出は着いた時間が昼過ぎだったこともあるでしょうが、島本ほどではありませんでした。何よりもファンの数が島本より少なかったのは撮影ネタが少ないということが大いに影響しているでしょうね。駅の北側に小さな駅前広場があるものの、南側には広場はなく、駅前の道を真っすぐ海の方へ抜けると須磨海浜水族園に行けるようです。ファンの数は少なかったものの、地元の方の注目度は高いようで、改札付近は人で一杯でした。電車に乗らずとも駅見学に来る人も多かったようです。北側には山陽電鉄が並行して走っており、月見山と競合することになりますが、運賃やダイヤの利便性などを考えると神戸三宮、大阪方面ともにJRに分がありそうです。山陽は今のところ対抗策を打ってませんが、開業後に手を打つのは明らかに後手に回るという感じがします。考えられる手立てがないというのも正直なところで、ダイヤをさわることも必要でしょうが、運賃体系の見直しも早急にやらないと根こそぎJRに利用者を持っていかれるのではないかと危惧します。
15日には開業したての島本駅を訪問しました。昨年のさくら夙川に続いて2度目の新駅訪問となりますが、昨年同様訪問だけで記念切符の購入などはしませんでした。あかつき・なはの撮影を終えてから、日本海4号をどこで撮ろうか思案して、島本に行ってから考えようということで、島本駅に行きました。上下線とも撮影できそうなホームの端っこを持っており?、どちら側もカメラを持った怪しい軍団が入れ替わり立ち替わり撮影をしていました。駅までの広場では記念式典が行われており、駅前広場がなかったさくら夙川と違い、広々とした駅前広場で大勢の人を集めて記念式典が行われていました。人の多さは場所が広いだけに島本の方が集まっているようにも思えましたが、ファンの数は入れ替わり立ち替わりという感じで、他にも目当ての行事が目白押しということもあって、島本にファンが集中するということはなかったように思います。さて利用者の方は…こちらもおおさか東線同様、開業フィーバーが覚めなければわからないというのが実情です。ただ、こちらの方は近隣の高校生の姿も見られ、地元の利用は阪急からの転移も含めある程度の見込みはありそうな気がしました。JR、阪急ともに主要駅ではないため、どちらも決定打がない戦いになりそうですが、定期券の安さでJR、運賃の安さで阪急という具合に、ラッシュ時はJR、データイムは阪急という棲み分けができそうな感じがします。さくら夙川に続いて2匹目のドジョウを狙った着メロは、少々うるさいと印象を受けました。上下列車が同時到着するということもあり、ウイスキーの曲がくどいほど流れるという感じがしています。これはさくら夙川でも同様のことが言えますが、あちらがポップなコブクロの桜ということで、若者や女性向きというイメージがあるのに対し、島本のウイスキーの着メロはいかにもおっさん向きという印象を受けます。悪くはないですが、華やかさに欠けるのは否めないですね。まぁ、夙川と比べると島本は地味かもしれませんが・・・。