JR山陽本線岡山以西は1997年3月2日からの九州初遠征の際に全線乗り通している。岡山以東は既に乗り潰していたので、岡山以西乗り潰しで山陽本線は完乗となった。岡山からは福山以西広島方面へ直通する広島都市圏内で快速となる普通電車があったが、SUNライナーの初乗りを果たすため、岡山~福山間ではSUNライナーに乗った。岡山で祭り寿司を購入して車内で食べた記憶がある。福山から先は広島近辺で快速運転を行う電車に乗り、広島まで乗り通した。広島から先は下関行きに乗ってずっと西下して行ったのを思い出す。広島までは比較的早いものの、それ以降はずっと同じ列車を乗り通したこともあり、非常に疲れた記憶がある。
山陽本線岡山以西へはその後は98年夏の山口遠征でムーンライト九州で素通りするまで乗っていない。学生時代は今よりもむしろ比較的楽をする傾向があったので山陽本線や東海道本線を乗り通すということはあまりしなかったように思う。今は結構苦にならないようになって返って昼間の東海道や山陽筋を好んで乗り通したりしている。
広島には2002年の正月にJR西日本の正月恒例のフリー切符を使って訪れ、広島駅構内で写真撮影だけを行っている。この時食べた牡蛎飯は非常に美味で、いつも食べたいと思っているが、牡蠣の季節に広島を訪れていないこともあり、広島へ行ってもなかなかありつけない。2002年7月20日には18きっぷを利用して山口、広島地区の乗り潰しをしている。この時はムーンライト九州で西下して、小野田で富士の撮影を行い、2度目となる小野田線のクモハ42に乗りに行って、山陽本線で徳山まで戻り、徳山から岩徳線の初乗りを行い、広島へ出ている。広島では可部線を乗り潰し、今はなき三段峡まで行った。この時は広島から18きっぷを捨ててひかりレールスターで帰阪したので山陽線は広島止まりとなった。
次に岡山以西を訪れたのは2003年3月21日で、この時は岡山から吉備線に乗って総社へ行き、総社から井原鉄道の初乗りをして神辺から福塩線に乗って福山へ出て、福山からSUNライナーに乗っている。SUNライナーを倉敷で降りて、水島臨海鉄道の乗り潰しをして岡山で鉄三昧の日帰り旅行をした。この時乗ったSUNライナーの運転士が中国地方で初めて見た女性運転士だったのを覚えている。SUNライナーのワンマン運転も印象的だった。
2003年8月30日には再び山口、広島方面の遠征をしており、このときもムーンライト九州で門司まで行って、山陰線普通で長門市まで行き、長門市から仙崎支線に乗り、美祢線に乗って山陽線に戻っている。仙崎支線も美祢線も既に乗りつぶしていたので、この時は乗り直し旅行となる。厚狭から山陽線を延々と東上して行き、宮島口で山陽線を降りて今度は広電の乗り潰しにかかっている。この時宮島口で食したあなご飯が非常に美味しくて非常に気に入り、その後広島を訪れた時は必ずあなご飯を食している。今度広島を訪れるときはあなご飯と牡蛎飯の両方を食したい。広島で一泊して次の日は山陽線を東上して行き、瀬野でスカイレールの乗り潰しをして久しぶりの瀬野八越えを経験している。初めて見るに等しいようなEF67のオレンジ色が非常に新鮮だった。福山でSUNライナーに乗り換えて岡山で山陽線を辞して岡山電気軌道の乗り潰しを行い、岡山からは新幹線に乗って帰阪している。この時はちょうど阪急宝塚線のダイヤ改正が行われており、新登場の快速急行をいち早く撮りたいという鉄根性丸出しの精神で惜しげもなく新幹線を利用してしまっている。全く鉄というか私はバカなものだ。2003年のその後年末に九州遠征の折に岡山からあかつきに乗車しているが、当然ながら山陽線内は夢の中であった。
2004年は夏に九州遠征をしているが、この時は往復とも山陽夜行を利用しており、行き帰りともムーンライト九州に乗っている。当然ながら山陽本線内は夢の中であった。2004年は中国攻めがほぼ終わったこともあり、山陽本線を通して乗るのは夜行ばかりだったように思う。8月28日には芸備線乗り潰しの帰りに倉敷から山陽線に乗っているが、これは伯備線電車で通っている。
2005年の正月に九州遠征をした時にまたもやムーンライト九州を利用し、2004年夏と違い帰りはムーンライト九州の指定が取れなかったので下関からムーンライト山陽に乗っている。ムーンライト山陽は2006年シーズンから運転がなくなっているので、後にも先にも同列車に乗ったのはこれっきりだ。2005年7月30日には久しぶりに山陽本線西下の旅を楽しんでいる。この時にも宮島口で降りてあなご飯を食しており、岩国から錦川鉄道の乗り潰しをして岩徳線で徳山へ出て、徳山から新山口へ行き、ここで一泊している。翌31日には雨の中宇部線に乗って、クモハ123置き換え後初めて本山支線を訪れている。小野田ではやぶさ・富士を撮影し、下関から九州入りして、筑豊電気鉄道や北九州モノレールの乗り潰しをして、小倉競馬を楽しみ小倉からひかりレールスターで帰阪している。
2006年は2月18日に出雲追っかけの一環として伯備線経由で山陰本線へ向かったときに岡山~倉敷間で山陽本線を利用している。その後は姫路~岡山間では何度か乗っているが、岡山以西は夏まで乗っていない。2006年7月29日には岡山からムーンライト九州に乗り、下関まで乗り、下関から山陽本線で戻っていき、小野田で降りて通称オノアサと呼ばれるブルトレなどの有名撮影地まで暑い中30分ほど歩いている。30分歩いて撮ったのは実質はやぶさ・富士のみという効率の悪さだが、さすがに有名撮影地。いい画が撮れたように思う。暑い中の徒歩でかなり疲れて、一旦下関へ戻ってふくうどんなどを食して小倉まで行ったが、睡魔に襲われ、予定を切り上げて宮島口まで延々山陽本線を東上して爆睡した。宮島口では恒例のあなご飯を食して元気を取り戻して、夕方近い時間だったが、広電の撮り歩きを楽しんで広島で一泊した。翌日は久々の呉線に乗り、瀬戸内マリンビューの撮影で、また歩き倒して疲労困憊になって、三原からの山陽本線でまた爆睡している。私にとって2006年夏の山陽本線は爆睡街道だった。
翌週2006年8月5日には連ちゃんでムーンライト九州に乗り、下関で降りて今度は小月付近の橋梁へ行き、はやぶさ・富士の撮影をしている。この時は前週撮れなかった117系の撮影も目論んでおり、とりあえず目的を達成して、九州入りしている。この後は九州遠征となり、帰りは新幹線を利用したので山陽線は5日の朝だけの活動であった。