EXPRESS DIARY~鉄人日記~

鉄道に関することを日々徒然なるままに書いて行こうと思います。

井原鉄道

2007年10月02日 | 山陽

060218ibarairt35510  井原鉄道は03年3月21日に乗り潰している。3セクや私鉄の乗り潰しは二の次でJRの乗り潰しさえもままならない時期だったことを考えると3セクの割に早く乗ったものだと今更ながら思う。おそらくホームページの整理をしていて、中国地方の鉄道を先に潰しにかかろうと戦略を立てて、その第1弾として水島臨海鉄道とセットで井原鉄道を乗り潰すことを目論んだのだと思う。また、中途半端に乗っていた吉備線ともセットで乗ることにして、18きっぷを利用して日帰り旅行を楽しむことにした。

 吉備線で総社入りし、総社から井原鉄道に乗って、終点の神辺を越えて直通列車で福山まで出ている。まさに乗っただけで、途中井原で長時間停車があったが、特に何するでもなく、早起きで眠たいのを我慢しながら、コンクリートに覆われた高規格路線の単調な旅を終えている。新しい路線だけに結構速く走るし、気動車も乗り心地がいい車両だったように思うが、如何せん利用者は少なかった。総社で伯備線や吉備線に連絡して岡山方面へ直結しているが、どちらも結構時間がかかるし、神辺から福塩線で福山に出るにも時間がかかる。直通列車がもっとあればもっと便利なのだろうが、岡山と広島の県境を越えるので福山方はそれほど重要があるとも思えない。本来同じ気動車が走る吉備線と相互直通を行うべきなのかもしれないが、吉備線もあまり速くないので、直通してもその効果が如何ほどかは疑問だ。それでも岡山方面への直通効果は少なからずあるはずだからやってみる価値はあるはずだ。吉備線はLRT化される恐れもあるので直通運転が実現するかどうかわからないが、井原鉄道活性化には都市への連絡が必要と言える。


水島臨海鉄道

2007年09月21日 | 山陽

Mizusima5  水島臨海鉄道には03年3月21日に乗車している。井原鉄道の乗り潰しをして、福山からワンマン運転をするSUNライナーに乗って倉敷へ。先頭車に乗って空いているのをいいことに少しかぶりつきながら倉敷まで乗りました。確か運転士は岡山では珍しいと思われる女性運転士で、岡山地区でも女性運転士が活躍する時代になったかと妙に感慨に浸ったものだ。

 JR倉敷駅で通過する14系団臨などを撮影して乗り継ぎの時間を潰して、倉敷駅改札を出て駅前付近にある倉敷市駅から水島臨海鉄道に乗り込んだ。三菱自工前まで行く列車が少ないため、それに合わせて行程を組んでいたので、三菱自工前行きに乗って難なく水島臨海鉄道乗り潰しを達成した。水島臨海鉄道というと旧国鉄の旧型気動車が走る鉄道というイメージがあったが、私が乗った列車は新しい気動車ですれ違う列車もキハ20を使った列車はなかった。数両はまだ健在のはずなので、本数が多い時間帯以外は車庫で休憩しているのだろう。車両は新しいが、列車は非常に遅く、貨物が走るためしっかりした線路基盤なのに、勿体ないような走りだった。臨海鉄道だけに沿線は工場が多く、朝夕以外はあまり機能しない鉄道なのかもしれないが、もう少し速く走るように努力してほしいものだ。


JR芸備線

2007年09月19日 | 山陽

070630geibi58miyoshi  JR芸備線には02年夏に福塩線とセットで乗り潰しをしている。但し、乗ったのは三次~広島間で、それ以前に三次~備後落合間は三江線、木次線の乗り潰しの際に乗っていたので、備後落合~新見間は残していた。三次~広島間は普通列車で移動した。キハ47に乗ったが、途中キハ58急行みよしとすれ違うのは想定していたが、キハ120普通とすれ違うとは想定外だった。キハ120は輸送力に問題があるので、三次以遠でのみ使用されていると思い込んでいたので予想外だった。後で調べてみると広島運転所への入出庫を兼ねた運用のようで、常時運用されているわけではないようだ。それにしてもJR西日本は各所で国鉄車両を大事に大事に使用しているが、広島でも都市近郊で主要路線の一部と言える芸備線にいつまでもキハ47やキハ40、キハ58が走っているのは如何なものかと思う。今更気動車の新車を入れても何の新鮮味もないので、もうしばらく待って、環境にやさしいとされる燃料電池車両やハイブリット車両を投入して一歩進んだ非電化路線となってほしいものだ。

 芸備線残りの未乗区間には04年8月28日の木次線訪問の際に、出雲坂根の3段スイッチバックを堪能して、おろち号に接続する形で設定されていた芸備線直通の臨時快速に乗り、芸備線乗り潰しを達成した。臨時快速はキハ120だったが、ヒバゴンが住むと言われる中国山地の奥深くを比較的快走した。

 その後芸備線はご無沙汰していたが、急行みよしの廃止が決まり、行くか行かぬか決めかねているうちに最終日が訪れ、一念発起して新幹線で広島に入り、片道は三次まで急行みよし2号に乗って惜別乗車として、折り返しは普通列車で途中下車しながら撮影を楽しんで本格的なキハ58系急行の終焉を堪能した。キハ58が原色でなかったのは残念なところだが、原色が走っていたら沿線はもっと混乱するほどの人出になっていたに違いない。ありのままで終焉を迎えた急行みよしの最後はファンには少し物足りないものだったかもしれないが、私はあれでよかったと思っている。


JR吉備線

2007年09月18日 | 山陽

060910kibi402049  JR吉備線には01年12月30日の中国地方遠征にて乗り潰しを達成している。姫新線を乗り潰し、伯備線を総社まで南下して、総社から吉備線に入り、岡山に出るというルートを辿った。冬場の遠征のため、総社に着いた時には既に夕暮れ時となっており、吉備線の車窓はほぼ闇の中という状態だった。昔ならそれでもOK乗った乗った!!ということで乗り潰しOKと思うところだが、最近は明るいうちに乗るのが基本という姿勢に変わってきている。この姿勢のためかどうかは忘れたが、井原鉄道乗り潰しの機会が訪れた時に、伯備線で総社まで行けばいいところをわざわざ吉備線に乗って、白昼堂々と吉備線の再乗り潰しを達成している。03年3月21日のことだが、この頃は遠乗りはあまりせず、近畿圏から出ても西日本エリアを出るところまで行くことはほとんどなかった。西日本を制覇して、これなら東日本に踏み入れても大丈夫かなと思いだしたのもこの頃だったように思う。近畿圏や西日本エリア限定でHPの方も作成を進めて、今よりも色々と苦言を交えた記述をしていたり、ダイヤ予想を積極的にしていたのもこのあたりの時期だったが、全国的に広く浅くと手を広めるようになってからは予想や記述がおざなりになってきている。さらに撮影に力を入れて楽な方に走っている感があり、我ながらもう少し原点に戻ったHP作りをしなければと反省し続けている毎日だ。

 吉備線は富山ライトレールのようにLRT化する計画が上がっており、岡山で元気な岡山電気軌道との相互直通も検討されており、富山で成功しているだけに2匹目のドジョウに選ばれる可能性は高そうだ。2匹目のドジョウはいなかったということにならないようにしてほしいものだが、富山港線に比べて沿線人口の密度が高い地区の割合が低そうだということ、路線距離が富山港線に比べて長いので、郊外区間では高速運転をする必要があるのではないかということなど課題は多いように思う。この辺りをクリアして成功を収めれば地方都市郊外路線で伸び悩んでいる路線の新しい可能性として見出せるのではないかと思う。是非とも成功してほしいものだ。


JR福塩線

2007年09月17日 | 山陽

03fukuen105f112  JR福塩線には02年夏に18きっぷを利用して福山から福塩線を乗り潰し、三次まで出て、三次から芸備線の三次~広島間を乗り潰して、広島からレールスターで帰阪した時に乗り潰しを達成している。その後03年3月21日に井原鉄道の乗り潰しを行い、総社から同鉄道に乗って、神辺から福塩線に入り福山まで直通する列車に乗っている。

030329fukuenirt35503  全線乗り潰した時は福山から105系普通に乗り、府中まで行って府中からキハ120普通に乗り換えている。中国地方には同じように電車から気動車に乗り換える路線として可部線があったが、雰囲気としては何となく似たようなところがあった。可部線の非電化区間は廃止されてしまったが、福塩線の非電化区間の方も利用者は少なく、廃止になってもおかしくない路線と言える。キハ120が投入されているからと言って安泰というわけではなく、キハ120などはどこの路線でも配置転換できる車両なので、時勢が廃止へ向かえば簡単に廃止になってしまう可能性もあるだろう。逆に非電化ながら井原鉄道との直通に関しては結構需要があり、運転本数を増やしていってもよいのではないかと思える。井原鉄道開業以来、福塩線との直通はあまり増えていないが、増発して直通列車の強化を図ってもよいのではないかと思う。


JR津山線

2007年09月08日 | 山陽

Jwtuyama4  JR津山線には01年12月31日に乗車している。前日姫新線、吉備線などを乗り潰して大阪に戻り、その夜の急行だいせんで再び山陰へ旅立った。篠山口まで普通乗車券と急行料金で乗車して、篠山口から米子まで31日から利用可能なフリーきっぷを使用した。夜も明けぬ暗闇の中の米子駅に降り立ち、山陰本線未乗区間の宍道~江津間の乗り潰しをすべく、朝一のスーパーおき2号に乗り込み江津まで行って、折り返しスーパーくにびきで倉吉まで戻っている。倉吉からスーパーはくとに乗り換えて、智頭まで乗り、智頭から別料金となる智頭急行を避ける形で、因美線に入り、因美線智頭以南の乗り潰しをして津山に着いた。前日通り過ぎた津山からは津山線に乗って岡山へ出た。津山線に乗ったのはこの一度きりで、この時は快速ことぶきに乗ったので、津山線用のキハ120にはまだ乗ったことがない。快速ことぶきはさすがに快速だけにそこそこ停車駅があり、ゆっくりした道中だったのを覚えている。この頃はまだ急行つやまにキハ58が使われており、半室グリーン車も健在だったが、今は快速ことぶきと同じキハ47が使用されている。急行マニアとしては急行として存在し続けている急行つやまを一度見に行きたいものだ。ただ、急行の代名詞と言えるキハ58でないのは残念なところだが…。


JR宇部線

2007年06月30日 | 山陽

050731ube1234105u2   JR宇部線は98年夏の中国地方遠征の際に制覇している。この時は小郡で一泊して、早朝から宇部線に乗って、宇部新川まで行き、宇部新川から小野田線に乗ってクモハ42に乗っている。クモハの後に、雀田から宇部新川まで戻り、宇部線で宇部まで出ている。この時は時間の都合で宇部線を選択したため、小野田線の雀田~小野田間は乗り残している。その後宇部から山陽本線で厚狭へ行き、厚狭から美祢線で長門市まで行って、長門市から山陰本線を北上して行き、江津から三江線に乗って三次で一泊というルートを辿っている。だから宇部線に乗ったのはこの早朝のクモハに乗るための1度だけだ。

 宇部線に乗る機会はその後はなく、クモハを再度訪れた時にも宇部線には乗らず、小野田線経由で雀田に入り、小野田へ戻るルートを辿っているため、宇部線のお世話になることはなかった。久々に乗ったのは05年7月31日の山口・北九州遠征の際で、この時はクモハ42から置き換わったクモハ123が走る本山支線に乗るために、以前同様新山口(小郡から改称)駅前のビジネスホテルに泊まり、朝一の宇部線に乗って、クモハ123に乗りに行くと言うことをしている。以前乗った時と同様結局は本山支線目当てで宇部線についでに乗っているという感じである。この時は朝から大雨が降っており、激しく雷が鳴り響き、一時はどうなるかと思うほどの悪天候だった。悪天候は宇部線内の道中ずっと続き、本山支線でも激しくはないが雨は降っていた。その後小野田線経由で小野田へ出て、はやぶさ・富士の撮影を試みたが、この時は小降りになっており、ブルトレ撮影は何とか成功している。このように宇部線には乗るには乗っているが、乗車機会2度とも本山支線のついで乗りとなっている。次回訪れる時は専用貨物などを撮影して、宇部線を訪問するという目的で乗りたいものだ。


JR小野田線

2007年06月28日 | 山陽

020720onoda428  JR小野田線に初めて乗ったのは98年夏の中国地方遠征の時だ。この時はムーンライト九州で門司まで行き、山陰本線で益田まで行き、益田から山口線で津和野へ行き、津和野で観光して、津和野から小郡(現新山口)へ行って、小郡で泊まって、翌朝宇部線に乗って宇部新川まで行って、宇部新川から小野田線に乗って、雀田で本山支線に乗り換えて、クモハ42の体験をしている。クモハ42は噂に違わぬ古き良き時代を思わす電車ですっかりファンになった。保存鉄道としての価値が見出せる存在であったと言っても過言ではないと思う。終点の長門本山は何もない駅だったが、クモハ42が存在する時間帯は息を吹き返したような感じがした。クモハ42の車内にはノートが置かれ、旅人達が色々な書き込みをしていたのが思い出される。クモハ42を堪能して雀田に戻り、雀田から宇部新川に出て、宇部線で宇部に出て、宇部線の乗り潰しを達成したが、小野田線の雀田~小野田間は乗り残してしまった。

050731onoda12352  乗り残した区間は02年夏の遠征で、ムーンライト九州で厚狭まで行って、厚狭から山陽本線で小野田へ向かい、小野田で富士を撮影して、小野田から小野田線で雀田まで行き、雀田からクモハ42の惜別乗車をしている。この時小野田線の全線制覇が叶ったが、それよりも引退前のクモハ42にもう一度乗れた喜びの方が大きかった。その後クモハ42の引退後にも小野田線を訪れており、この時はあまり感動のないクモハ123に乗って、雀田~長門本山間を往復している。雨が降っていたこともあってあまりゆっくり楽しむことはできなかったが、クモハ123も貴重な電車となってきているので、もう一度天気のいい日に訪れたいと思う。


JR山陽本線岡山~下関間

2007年04月20日 | 山陽

060218sanyo115n17 JR山陽本線岡山以西は1997年3月2日からの九州初遠征の際に全線乗り通している。岡山以東は既に乗り潰していたので、岡山以西乗り潰しで山陽本線は完乗となった。岡山からは福山以西広島方面へ直通する広島都市圏内で快速となる普通電車があったが、SUNライナーの初乗りを果たすため、岡山~福山間ではSUNライナーに乗った。岡山で祭り寿司を購入して車内で食べた記憶がある。福山から先は広島近辺で快速運転を行う電車に乗り、広島まで乗り通した。広島から先は下関行きに乗ってずっと西下して行ったのを思い出す。広島までは比較的早いものの、それ以降はずっと同じ列車を乗り通したこともあり、非常に疲れた記憶がある。

030329sanyo117e22  山陽本線岡山以西へはその後は98年夏の山口遠征でムーンライト九州で素通りするまで乗っていない。学生時代は今よりもむしろ比較的楽をする傾向があったので山陽本線や東海道本線を乗り通すということはあまりしなかったように思う。今は結構苦にならないようになって返って昼間の東海道や山陽筋を好んで乗り通したりしている。

 広島には2002年の正月にJR西日本の正月恒例のフリー切符を使って訪れ、広島駅構内で写真撮影だけを行っている。この時食べた牡蛎飯は非常に美味で、いつも食べたいと思っているが、牡蠣の季節に広島を訪れていないこともあり、広島へ行ってもなかなかありつけない。2002年7月20日には18きっぷを利用して山口、広島地区の乗り潰しをしている。この時はムーンライト九州で西下して、小野田で富士の撮影を行い、2度目となる小野田線のクモハ42に乗りに行って、山陽本線で徳山まで戻り、徳山から岩徳線の初乗りを行い、広島へ出ている。広島では可部線を乗り潰し、今はなき三段峡まで行った。この時は広島から18きっぷを捨ててひかりレールスターで帰阪したので山陽線は広島止まりとなった。

 次に岡山以西を訪れたのは2003年3月21日で、この時は岡山から吉備線に乗って総社へ行き、総社から井原鉄道の初乗りをして神辺から福塩線に乗って福山へ出て、福山からSUNライナーに乗っている。SUNライナーを倉敷で降りて、水島臨海鉄道の乗り潰しをして岡山で鉄三昧の日帰り旅行をした。この時乗ったSUNライナーの運転士が中国地方で初めて見た女性運転士だったのを覚えている。SUNライナーのワンマン運転も印象的だった。

030830sanyoef66asakaze3_1  2003年8月30日には再び山口、広島方面の遠征をしており、このときもムーンライト九州で門司まで行って、山陰線普通で長門市まで行き、長門市から仙崎支線に乗り、美祢線に乗って山陽線に戻っている。仙崎支線も美祢線も既に乗りつぶしていたので、この時は乗り直し旅行となる。厚狭から山陽線を延々と東上して行き、宮島口で山陽線を降りて今度は広電の乗り潰しにかかっている。この時宮島口で食したあなご飯が非常に美味しくて非常に気に入り、その後広島を訪れた時は必ずあなご飯を食している。今度広島を訪れるときはあなご飯と牡蛎飯の両方を食したい。広島で一泊して次の日は山陽線を東上して行き、瀬野でスカイレールの乗り潰しをして久しぶりの瀬野八越えを経験している。初めて見るに等しいようなEF67のオレンジ色が非常に新鮮だった。福山でSUNライナーに乗り換えて岡山で山陽線を辞して岡山電気軌道の乗り潰しを行い、岡山からは新幹線に乗って帰阪している。この時はちょうど阪急宝塚線のダイヤ改正が行われており、新登場の快速急行をいち早く撮りたいという鉄根性丸出しの精神で惜しげもなく新幹線を利用してしまっている。全く鉄というか私はバカなものだ。2003年のその後年末に九州遠征の折に岡山からあかつきに乗車しているが、当然ながら山陽線内は夢の中であった。

 2004年は夏に九州遠征をしているが、この時は往復とも山陽夜行を利用しており、行き帰りともムーンライト九州に乗っている。当然ながら山陽本線内は夢の中であった。2004年は中国攻めがほぼ終わったこともあり、山陽本線を通して乗るのは夜行ばかりだったように思う。8月28日には芸備線乗り潰しの帰りに倉敷から山陽線に乗っているが、これは伯備線電車で通っている。

030831sanyo115n4 2005年の正月に九州遠征をした時にまたもやムーンライト九州を利用し、2004年夏と違い帰りはムーンライト九州の指定が取れなかったので下関からムーンライト山陽に乗っている。ムーンライト山陽は2006年シーズンから運転がなくなっているので、後にも先にも同列車に乗ったのはこれっきりだ。2005年7月30日には久しぶりに山陽本線西下の旅を楽しんでいる。この時にも宮島口で降りてあなご飯を食しており、岩国から錦川鉄道の乗り潰しをして岩徳線で徳山へ出て、徳山から新山口へ行き、ここで一泊している。翌31日には雨の中宇部線に乗って、クモハ123置き換え後初めて本山支線を訪れている。小野田ではやぶさ・富士を撮影し、下関から九州入りして、筑豊電気鉄道や北九州モノレールの乗り潰しをして、小倉競馬を楽しみ小倉からひかりレールスターで帰阪している。

060729sanyoef66433  2006年は2月18日に出雲追っかけの一環として伯備線経由で山陰本線へ向かったときに岡山~倉敷間で山陽本線を利用している。その後は姫路~岡山間では何度か乗っているが、岡山以西は夏まで乗っていない。2006年7月29日には岡山からムーンライト九州に乗り、下関まで乗り、下関から山陽本線で戻っていき、小野田で降りて通称オノアサと呼ばれるブルトレなどの有名撮影地まで暑い中30分ほど歩いている。30分歩いて撮ったのは実質はやぶさ・富士のみという効率の悪さだが、さすがに有名撮影地。いい画が撮れたように思う。暑い中の徒歩でかなり疲れて、一旦下関へ戻ってふくうどんなどを食して小倉まで行ったが、睡魔に襲われ、予定を切り上げて宮島口まで延々山陽本線を東上して爆睡した。宮島口では恒例のあなご飯を食して元気を取り戻して、夕方近い時間だったが、広電の撮り歩きを楽しんで広島で一泊した。翌日は久々の呉線に乗り、瀬戸内マリンビューの撮影で、また歩き倒して疲労困憊になって、三原からの山陽本線でまた爆睡している。私にとって2006年夏の山陽本線は爆睡街道だった。

060805sanyoef210111  翌週2006年8月5日には連ちゃんでムーンライト九州に乗り、下関で降りて今度は小月付近の橋梁へ行き、はやぶさ・富士の撮影をしている。この時は前週撮れなかった117系の撮影も目論んでおり、とりあえず目的を達成して、九州入りしている。この後は九州遠征となり、帰りは新幹線を利用したので山陽線は5日の朝だけの活動であった。


JR山陽新幹線

2007年03月11日 | 山陽

060910sanyos500w73  山陽新幹線に初めて乗ったのは小学校の修学旅行で広島へ行った時だ。行きは0系ひかり、帰りは当時ひだまと呼ばれた山陽区間各駅に停まるひかりだった。JR発足直後だったので、100系がまだ珍しい時代で、まだまだ0系全盛の時代だった。東海道新幹線に初めて乗った時と謝恩フリー切符で東京~新大阪間を乗った時以来の新幹線だったが、さすがに修学旅行では鉄な気分を存分に味わって乗ったというものではなかった。

050320sanyoshinkansen0r10hikari4 それ以後はしばらく山陽新幹線に乗ることはなかった。そのため広島以西には乗ったこともなかった。学生時代に500系のぞみに乗るために、九州周遊の帰りに、学生としては痛いのぞみの指定席料金をわざわざ支払って500系に乗り、このときに山陽新幹線乗り潰しを達成している。300km/hで爆走する500系のぞみは速く、あっと言う間に大阪へ戻ってきたという感じがしたものだ。

  次に乗ったのはJR西日本が発売している正月の乗り放題切符を初めて使用した時だ。2日間用だったかを使って、大晦日に伯備線の初乗りなどをした後、サンダーバードで北陸入りして、金沢から能登に乗って、直江津で折り返し急行きたぐにに乗るという強行軍で新大阪に戻り、新大阪からなんでか高額な別料金を支払って500系のぞみに乗って博多へ。この時も朝の用を足しにトイレへ行き、席へ戻る頃にはもう岡山の手前だったということに驚き、500系のぞみの速さを改めて実感した。ただ、この点に関しては自分のトイレの時間が長かっただけということも言えなくもないが・・・(^^;)

060910sanyos700e162  その時は500系で博多入りして、折り返し山陽新幹線三昧道中で、小倉まで0系こだま、小倉~広島間100系ひかり、広島~新大阪間でレールスターに乗っている。自由席利用だったのでレールスターの指定を味わっていないが、山陽新幹線を存分に楽しんだ1日だった。正月のフリー切符はその後も2回ぐらい使っている。いずれも自由席用で、山陽新幹線も当然行程に入っており、その度にレールスターなど普段乗れない新幹線を存分に楽しんでいる。この当時は漸く乗り潰しを本格的にやるようになっていたので、山陽筋や四国、九州へ向かうときに何度となく新幹線を利用するようになっている。500系のぞみが以前より遅くなったのは残念だが、レールスターの指定は素晴らしいし、東海道新幹線にはない空気が山陽新幹線にはある。東海道直通を中心に画一化された列車が多く走るようになっている面はあるが、0系から始まる新幹線世代を全て見られるのは山陽新幹線ならではの楽しみだ。0系や100系はダイヤの足を引っ張るようになってきているが、定期列車から退くのは仕方ないとしても、国鉄及びJRにおける功績は輝かしいものがある。是非とも動態保存して欲しいものだ。そう思うと100系の2階建て車両を簡単に廃車にしてしまったのは悔やまれる。0系もフル編成動態保存してもおかしくない車両だ。せめて300系や500系は同じことを繰り返さないよう、その功績を称えるような形で保存して欲しいものだ。


JR山陽本線姫路~岡山間

2007年02月28日 | 山陽

010812sanyo115a1  山陽本線の姫路以西初乗りは高校時代唯一の18旅行で、四国初上陸した時だった。行きはムーンライト高知の自由席で素通り、帰りは岡山から普通で地を這うように帰って来た。今でもそうだが、帰り便は岡山からでも何とか座れる状態だった。上郡で建設中の智頭急行(その当時は智頭鉄道)が見えたぐらいで後は単調な景色が続くばかりであまり面白い路線ではなかった。それは今でも変わらず、18シーズンには大混雑して地獄の区間となることもあり、個人的には避けたい区間ではある。これは18ユーザ共通の悩みというべきものかもしれない。同じように東海道線の米原~大垣間が関西からの18利用ではボトルネックとなる区間だったが、JR東海の意気込みにより増発や増結が盛んに行われた結果もあり、こちらはネックとは言えなくなって来ている。それに比して山陽線の方は姫路~岡山間直通電車の減便により、上郡乗り換えが主流となり逆に後退した感がある。

010812sanyoinaba2  かつての山陽線姫路~岡山間は115系の天下だったが、近年は115系N30~40の登場に始まり、117系、213系など多種多様な車両が見られるようになった。姫路~上郡間だけ見ると221系、223系の乗り入れもあり、キハ187系やHOT7000も見られるなど鉄道ファンとしては飽き飽きする路線ではなくなってきている。もっとも上郡~三石間の有名撮影地でカメラを構えるファンのお目当ては上記の列車ではなく、貨物列車という人間が多い。ブルトレが壊滅状態の今、機関車牽引列車として注目を浴びている貨物列車が多数走る路線として山陽本線はファンに注目されていると言っても過言ではない。

 2005年春のダイヤ改正から新快速の播州赤穂直通がデータイムでも始まり、それに加えて姫路以西で運転される山陽線電車のほとんどが相生から赤穂線に乗り入れ播州赤穂まで運転されるようになり、相生以西へ山陽線を利用するには相生で乗換えを強いられるようになってしまった。相生では山陽線、赤穂線が同時進入、同時発車を行っているので乗り換えによるロスタイムは最小限に留まっているが、18シーズンを中心に岡山方面へ普通列車で移動する人には不便になってしまった。実際の旅客流動は播州赤穂の方が断然強いはずだから現行ダイヤでも問題はないはずだが、岡山方面直通需要や上郡で連絡する智頭急行沿線と姫路の間の需要に対しては不便を強いている。県境を越える山陽線上郡以西への直通便はともかく、上郡までの電車に関しては姫路方面へ直通させて兵庫県内の輸送の利便性を確保して欲しいものだ。智頭急行ローカル列車を姫路まで直通させるのも一考かもしれない。060326sanyoef2007


広電2日目

2006年09月16日 | 山陽
 7月29日に広島入りして広電撮影巡りの繰り広げ、同夜は広島のビジネスホテルに宿泊。広島駅から近いところに宿を取って夜のはやぶさ・富士を撮影しようという魂胆だったが、オノアサの疲れが抜けきれるわけもなく敢え無く爆睡。気がつけば夜も明け、これまた早朝から撮影しようかと考えていた下りはやぶさ・富士も遠の昔に発車済み。仕方なく7時ごろ宿を出て、朝の光を浴びて走る広電を撮影。とりあえず広電撮影に満足して、太田川橋梁で可部線も撮って、広島駅まで戻りました。

市民球場前

2006年09月15日 | 山陽
 広島カープの本拠広島市民球場の前を行くグリーンムーバーMAX。球場の反対側には原爆ドームがあり、広島を象徴するにはふさわしい場所と言える。カープの本拠地は将来的には広島駅付近に建設される新球場へ移る予定で、観客輸送という大口の顧客を失う広電にとっても頭の痛い問題である。

広電イベント電車

2006年09月14日 | 山陽
 オノアサでの撮影は列車密度が低いこともあってはやぶさ・富士通過後すぐに撤収となった。同列車を含めて3本程度しかまともに撮っていないとは・・・30分も歩いたのに疲れ果てながら小野田まで歩いて戻り、山陽線で再び下関へ。暑いさなかだが、名物のふくうどんを食して、予定外の九州へ上陸。門司で小1時間ほど撮影しても81貨物が1本通過しただけ・・・300番台ステンレス無塗装とは巡り会えず大した収穫もなくまた折り返し下関へ。ここから宮島口まで普通でロングラン。ぐっすり睡眠をとって、宮島口で名物あなご飯を食す。ここから広電の撮影めぐりを繰り広げ、十日市町にて出会ったのが上の画像の76形。ビール電車だったかなんかのイベント電車として運転されていたようだ。