ジャン・ロンドーのチェンバロ・リサイタル(10/31王子ホール)。
2017年の初来日は聞き逃したが、NHKで放送された「ゴルトベルク変奏曲」を聴いて、次回は必ずとチェックしていた。
プログラムは、副題に "In the Italian Taste" とあるように、イタリアのスカルラッティと、イタリア様式に学んだ同い年のバッハの作品を交互に並べる。
80分休憩なし、随所に即興を交えなが . . . 本文を読む
このところハマっているブルーレイがある。
ダニエル・バレンボイムとマルタ・アルゲリッチが2014年にベルリンのフィルハーモニーで行ったライブ映像。
2台のピアノによるモーツァルト、連弾でシューベルト、そしてラストはまたピアノ2台でストラヴィンスキーの「春の祭典」。同じブエノスアイレス出身で幼馴染の二人。息もぴったり、などと言うレベルではない、当代随一のピアノ芸術がここに揃って輝く奇跡。幕間や . . . 本文を読む
バッハ・コレギウム・ジャパン、第130回定期演奏会は「クリスマス・オラトリオ」。
音楽監督の鈴木雅明さんが書き下ろすプログラムの巻頭言はいつも抜群に面白いのだが、今回も、どうして "I go to you." とは言わず "I come to you." と言うのかとか、キリストはあなたのところに「来て」心のなかにいるのだ(というキリスト教の教え)とか、なるほどと膝を打つことばかり。
その道 . . . 本文を読む
中学では個性的な先生に何人も出会ったが、音楽のK先生もその一人。「銀色の道」でジャズを語り、「知床旅情」のレコードを爆音でかけて教頭に「演歌」と言われた時は「違いの分からんやつ・・・」と吐き捨てる。部活の顧問だったこともあり、高校を含め六年間大変お世話になった。
そのK先生の授業で初めて聴いて度肝を抜かれたのがホルストの「惑星」。それは同時にスコア(総譜)を通してその仕掛けを覗く楽しさを知るき . . . 本文を読む
色々なことを次から次へと忘れる一方で、一度耳に残ったフレーズがどうにも抜けず、気づくと仕事中に鼻歌か、ひょっとしたらいま口ずさんでいたかもと、向かいの同僚にこっそり尋ねる始末。まるで西武の優勝記念セールで松崎しげるの歌が頭から離れないのにも似て(あ、いや、わかる人だけでいいです )
このところ、これがそれ。ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番の冒頭部分。弱音で揺れるような弦の前奏が2小節、その後ピ . . . 本文を読む
アルテュール・グリュミオー(Arthur Grumiaux, 1921-1986)という名前を初めて知ったのは、サン=サーンスのヴァイオリン協奏曲。「何て甘ったるい音を出す人なんだろう?」と思いつつなぜか耳に残り、FMから録音したそのテープを繰り返し聴くうちに、この曲がすっかり好きになった。毎度古い話で恐縮だが、それは恐らく高校に入ったばかりの頃。
そのテープがカセットデッキとともに手元を去っ . . . 本文を読む
音楽は大好きだが普段はクラシックばかりで、ジャズは全く不案内。
なので人から教えてもらう曲やCDは常に大歓迎。
キース・ジャレットのこの『ソロ・コンサーツ』もその一つで、地元の文泉堂師匠からいただいたもの。このアルバムを聴いて、音楽にクラシックやジャズというジャンルの名前を貼ること自体、そもそも限界というか無理があることを思い知った。
そのキース・ジャレットが、リコーダーのミカラ・ペト . . . 本文を読む
映画 『アマデウス』 のラストシーン。
死の床にあるモーツァルトをサリエリが訪れ 『レクイエム』 を楽譜に起こすのを手伝うのだが、結局曲は完成せず、雨のなかモーツァルトの遺体は共同墓地に放り込まれる。
この曲を初めてナマで聴いたのは1998年、フランス・ブリュッヘン指揮、18世紀オーケストラの演奏だった。
長身痩躯のブリュッヘンがステージに現れて指揮台にあがると、まるで衣桁がスーツを着たよ . . . 本文を読む
バッハ・コレギウム・ジャパン、第119回定期演奏会。
初台駅の北口を駆け上がり「加賀」のかき揚げ蕎麦で腹ごしらえをしてからオペラシティに向かう。
今日の演目はフェーブス(アポロ)と牧神パンの歌合戦を描いた音楽劇。
パンフルートでお馴染み、葦笛の名手パンがフェーブスの竪琴に勝負を挑む。裁定したのはトモーロス山で、勝負はフェーブスの勝ち。パンに肩入れしたミダス王は、耳をロバの耳に変えられて . . . 本文を読む
中学・高校と吹奏楽部だったのだが、中3の時に吹いた金管五重奏曲が忘れられない。
当時私はテューバが担当で、トランペット2本、ホルンの代わりにテナーのトロンボーン、そして1つ下の後輩がユーフォニアム、計5本という編成。
「3つの小品」というタイトルだけ覚えていて長らく特定できなかったのだが、今回ようやくマウラー(Ludwig Maurer, 1789-1878)という作曲家の名前と、CDも発見 . . . 本文を読む
バッハゆかりの聖トーマス教会合唱団とライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団で「マタイ受難曲」を聴く (3/9サントリーホール)。
特にその弦(楽器)の音色と響きは独特で、そこに少年たちの合唱が加わると、あたかもホール全体が鳴っているかのような、上から下まですさまじくメロウな響き。
キリストの受難をなぜ 「苦く辛く、けれど甘美」 と表現するのか、少しだけ分かったような気がする。
休憩をはさん . . . 本文を読む
バッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)第116回定期演奏会。
今日のプログラムは、ザクセン選帝侯アウグストゥスを讃えるカンタータが2曲(「汝の果報を称えよ、祝福されしザクセンよ」BWV 215、「静かに流れよ、たわむれる波よ」BWV 206)。
人民のみならず、領地の川がそれぞれ擬人化して皇帝を讃えるという祝祭曲。
外ではひどい花粉症が、ホールのなかで華やかなカンタータを聴いているうちにぴ . . . 本文を読む
かつて「リコーダーの妖精」と呼ばれ、一度はどうしても生で聴いてみたかった演奏家の一人。
雅楽で笙は天の音、篳篥は地の音、そして龍笛は空の音と言うらしいが、彼女のリコーダーはさながら妖精がガラスの階段を飛び回るかのよう。
押入れのどこかに昔のリコーダーがあったはず、と懐かしさに駆られた人が、私以外にもきっといたはず。
ミカラ・ペトリ リコーダー・リサイタル
2015年12月17日
白寿ホール . . . 本文を読む
カルミニョーラとヴェニス・バロックの日本公演、今日の紀尾井がツアー最終日。
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朝靄のなかから湧き出るようなピアニッシモから、いかづちが弾けるようにキックの効いたフォルティッシモまで、緩急取り交ぜ変幻自在。
アンコールの最終曲、ヴィヴァルディの「夏」から第三楽章を弾き終わったカルミニョーラが「これで終わりだよ」と譜面台から楽譜を取って両手を広げると、会場は割れん . . . 本文を読む
ジュリアーノ・カルミニョーラ(バロック・ヴァイオリン)とヴェニス・バロック・オーケストラの日本公演。
本当は来週の紀尾井の後でまとめて書くつもりだったのだが、無理。
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ヴィヴァルディの協奏曲を5曲、さらにアンコールでもう1曲。大柄なカルミニョーラの右の肩から長い腕、肘、そして手首。速く、強く、そしてしなやかな弓さばきは圧巻。
鳴りやまぬカーテンコールにアンコールが続くな . . . 本文を読む