8月13日 水曜日 晴れ
10時から読書会でした。
以前は8月は暑いのでお休みしていましたが、ここ数年お休みしなくなりました。
メンバーの年齢が上がったことで、夏休みも関係が無くなったのです。
今日は中一弥著「挿絵画家・中一弥 日本の時代小説を描いた男」を読みました。
時代小説の挿絵の第一人者、1911年生まれと云いますから驚きです。
読売新聞の連載、乙川優三郎著「冬の標」の挿絵を描いていました。
平成14年、著者は91歳で連載ですから凄いことです。
この本は、著者が話すのを、聞き書きしてまとめ出版されたものです。
初めから話しかけるような文体ですから、導入もなく直ぐに引き込まれていきました。
幼い時から絵を描くのが好きで、看板やに奉公に出たり、目を患ったり苦労をしたようです。
著者はそもそも、小田富弥の挿絵を新聞で見て、この人の弟子になりたいと思い、
新聞社を訪ねて「小田富弥」の住所を教えて貰うのです。
今時そんなことでは住所は教えませんよね。
アポイントも取らずにその住所を尋ねていきますと、
小田富弥は仕事中で待たされましたが、ともかく会ってくれたのです。
著者が描きました「小田富弥風の絵」を持参し、それを見て貰うのです。
保護者と来るように云われ、後日再び訪問。そのまま、内弟子になるのです。
今の時代では考えられないことばかりです。
平和だったとつくづく思い知らされました。
メンバーの人たちも、同感だったようです。
そして、全編を通して、懐かしい作家の名前が次々と出てきますし、
挿絵画家や小説家の絡みが詳しく書かれ、知らない世界ですから、
ただただ、興味津々でした。
子育て、結婚、趣味と道楽等々、著者の生き様が見えるようです。
この所お名前が出ていませんが、お元気なのかしら・・・、と話が出ました。
多分97歳になられるのでは・・・。凄いです。
著者が「自分の絵の欠けているところが解っているのだが、
それを修正するためには一度自分の世界を徹底的にぶっ壊さなくてはならない。
それには、後5年や10年はかかるでしょう。
年齢から云っても何処まで行けるか解らない。」と言っています。
凄いですね・・・。
10時から読書会でした。
以前は8月は暑いのでお休みしていましたが、ここ数年お休みしなくなりました。
メンバーの年齢が上がったことで、夏休みも関係が無くなったのです。
今日は中一弥著「挿絵画家・中一弥 日本の時代小説を描いた男」を読みました。
時代小説の挿絵の第一人者、1911年生まれと云いますから驚きです。
読売新聞の連載、乙川優三郎著「冬の標」の挿絵を描いていました。
平成14年、著者は91歳で連載ですから凄いことです。
この本は、著者が話すのを、聞き書きしてまとめ出版されたものです。
初めから話しかけるような文体ですから、導入もなく直ぐに引き込まれていきました。
幼い時から絵を描くのが好きで、看板やに奉公に出たり、目を患ったり苦労をしたようです。
著者はそもそも、小田富弥の挿絵を新聞で見て、この人の弟子になりたいと思い、
新聞社を訪ねて「小田富弥」の住所を教えて貰うのです。
今時そんなことでは住所は教えませんよね。
アポイントも取らずにその住所を尋ねていきますと、
小田富弥は仕事中で待たされましたが、ともかく会ってくれたのです。
著者が描きました「小田富弥風の絵」を持参し、それを見て貰うのです。
保護者と来るように云われ、後日再び訪問。そのまま、内弟子になるのです。
今の時代では考えられないことばかりです。
平和だったとつくづく思い知らされました。
メンバーの人たちも、同感だったようです。
そして、全編を通して、懐かしい作家の名前が次々と出てきますし、
挿絵画家や小説家の絡みが詳しく書かれ、知らない世界ですから、
ただただ、興味津々でした。
子育て、結婚、趣味と道楽等々、著者の生き様が見えるようです。
この所お名前が出ていませんが、お元気なのかしら・・・、と話が出ました。
多分97歳になられるのでは・・・。凄いです。
著者が「自分の絵の欠けているところが解っているのだが、
それを修正するためには一度自分の世界を徹底的にぶっ壊さなくてはならない。
それには、後5年や10年はかかるでしょう。
年齢から云っても何処まで行けるか解らない。」と言っています。
凄いですね・・・。