フォンテーヌの家  わたしのつぶやき

横浜市南区で趣味の会[フォンテーヌの家」 

母の見舞いに行ったり、友人の車椅子介助で小椋佳のコンサートに行ってきました。忙しく濃い一日でした。

2009-05-23 22:51:59 | 日記
5月23日 土曜日 晴れのち小雨

母の事が気になり朝から落ち着かず、午前中のヨガにも出かける気力が有りませんでした。
それでもせっかくのお天気ですからベットのシーツなど大きい物を洗うことにしました。
お洗濯を干したり外を掃いたり家事が終わっても何か気持ちが落ち着きません。
集中出来ないのです。体調はまさに宇宙遊泳みたい、フワフワしてます。

月末で一瓶窯の仕事が有るのに次回いつもの仕事の日に伺えないので、明日伺うつもりでした。
でも今夜、友人の車椅子の解除を頼まれて居ますので、疲れてますます体調不良になり、
仕事が出来なくなってしっては大変と思ったのです。

荒療治ですがいっそ運転をして仕事に行って見ようと思いつき、急遽支度をして出かけました。
先生にお茶も入れずにまずは仕事を片づけ始めました。
出納簿もぴったり合いましたし、月末の支払いも済ましてホッとし、
それから皆さんにお茶を入れ、わたしも戴いて早めに帰宅。

これで気になっていることは母のことだけになりました。
帰宅して洗濯物も乾いていましたから、取り込みベットも作り母の家に向かいました。
仕事も家事も終了しても落ち着きません。それで母の所へ行ってみようと思ったのです。

幸いなことに車椅子の介助と母の家は同じ方向だったのです。
早めに出かけて母の所に行けば良いと思いついたのです。

母は寝室で眠っていました。昨日の顔と違って浮腫んだような、腫れっぽい顔をしていました。
これからどうしたいのかと聞いたのが悪かったようです。
呼吸が苦しくなって脂汗が出て来ると言います。実はお腹が空いて低血糖になっていたのです。
もうその時は3じすぎていましたが、昼食はまだだったのです。

こっそりと妹がわたしに聞いてきました。母のこれからの生活の私案が三つ有ると言います。
その① 大森の家に居て貰いヘルパーさん(家政婦さん)をお願いする。
その② 横浜のわたしの家に母を迎えヘルパーさん(家政婦さん)を頼む。
その③ 富士宮にヘルパーさんを頼む。と言います。

即座にわたしの家でヘルパーさんはお断りしました。
大森の母の家でヘルパーさんを頼んで住み、週末2泊3日か3泊4日ならわたしの家に来る程度にし、
完全に我が家に住みわたしがケアすることは出来ないとはっきり断りました。

母も希望しないでしょうし、わたしの身体も心も病気になってしまうと思うと伝えました。
何故って今までも、「あなたとは一緒に住めないわね!」と何時も母から拒否されています。

母の気持ちを聞いて弟と妹が母のこれからの生活基盤をどこに置くかなどは決めてくれるでしょう。
わたしも出来る限り応援するつもりですが、今日もわたしの言葉で「胸が苦しくなるから話さないで」、
と言われ本当に訪ねて来たことを後悔しました・・・。悲しいですね。

約束の時間に間に合うように実家を出て、車椅子介助も無事終了しました。
介助と言いましても一緒にコンサートに行くことでした。小椋佳のコンサートでした。
コンサートはとっても良かったです。

コンサート終了後、一緒に食事(?)して帰宅。10時45分帰宅。
忙しい一日でした。今夜はこの日記を書いて全てお終い。疲れました・・・。
コメント
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