フォンテーヌの家  わたしのつぶやき

横浜市南区で趣味の会[フォンテーヌの家」 

孫娘の舞台に感激した帰り道、川崎市の公共設備にも大感激

2018-04-29 20:27:30 | 雑感
朝の内は風も無く暖かくて良いお天気でした。
昨日からの体調不良が残っていて、ふらふら感が酷くなって居るのには、少々困りました。
今日は、孫娘のタップの舞台を見に行く事になって居ました。

孫娘は子どもの頃からタップを学び続け、大学時代はタップを習いながら、ラクロス部に所属し、
かなりタフでなければ続かない生活をしながら看護士の資格を取り、今は病院に勤務しています。
「4人の孫の中で一番男の子らしい孫娘」といつも言ってしまう立った独りの孫娘です。

孫娘は、今日も楽しそうに踊っていました。随分上達したような気がします。
ステージに立っている踊り手はオーディションに合格した者だけと言いますから、孫も凄いです。
発表会と違い、構成も照明も踊り手もプロとして扱われているような、そんな雰囲気でした。

昼の部で見ましたが、夜の部も有るので孫娘は今夜も遅くなるようです。
次女と一緒に会場を出て、京急川崎駅に向かいました。
学生の頃は母とこの辺りまで買い物に来ていたのに、変貌が酷く懐かしい景色は殆どありませんでした。

市役所通りを歩いて居ましたら、多摩川の橋の親柱が移設されている所がありました。
公園のようになって居ますたので中に入ってじっくり眺め、携帯カメラで写して来ました。
大森で育ったわたしには、六郷橋、多摩川と言う呼び名は、どちらも懐かしい響きです。

 





掲示板の説明書きを読んで、家康が橋を作らせたが、何度も大水で流されていたらしい。
移設した親柱は、大正時代に作られた物らしい。

親柱をさんざん眺めてから、駅方向に向かって歩いていた。再度、その道に驚かされました。
歩道がとても広いと思っていたら、歩道の半分は自転車専用道路になっていると言うのです。
自転車道も2つに区分けされ方向がきめられていたのです。

歩道と自転車道 

車道も広く銀杏の並木が立派でした。

川崎市の公共施設は充実していると聞いていましたが、始めて目にして感激でした。
高校姓の頃、友人と二人で、六郷橋から川上に向かって歩き、登戸の先まで行ったことがありますし、
戦後焼け野原だった頃、六郷の土手が大森の実家から見えたそうです。高い建物は皆無でしたから。
コメント
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