フォンテーヌの家  わたしのつぶやき

横浜市南区で趣味の会[フォンテーヌの家」 

家庭科嫌いが洋裁好きになり、つたないその技を長女に伝授しているとは・・・。

2019-08-29 20:57:48 | 日記

久しぶりに雨の心配がない一日でした。九州の方は大雨で大変なのに、こちらは日差したっぷりの一日でした。このところ毎木曜日に長女がやってきてくれますので、洗面所でラジオを聴きながら洗濯物を干す準備をしているところに、「おはようございます」と長女が和室から声をかけてきました。

無心状態でしたし、物音が全く聞こえなかったので飛び上がるほど驚きました。この頃、このようなことが多くなってきています。年のせいなのか、ぼんやりしていることが多いせいなのか分かりませんが、わたしが驚いた声で長女が驚くのです。どうしたら良いのでしょうね。

 

いつもは10時ころなのに、今日はなんと8時だったのです。2階のベランダに絡みついた藤の蔓を切りたいし、洋裁をしたいから、早くやってきたと言います。このところ、彼女が中・高時代に着ていた浴衣を解いて、ワンピースを作り始めています。切りび付けが終わり、今日縫い合わせをしましたから、次回はミシンで縫い始められます。もう一息。

子供のころのわたしは家庭科は苦手でしたので、高校は家庭科のない男子校を希望しました。選択で家庭科はあったのですが、当然不参加。それなのに大学2年から洋裁を始めたのです。肩幅が狭い体型なので、既製服が着られず仕立てていただいていました。

1週間から9日間の合宿があり、それに参加するには、当然着替えが必要です。合宿の費用、その間家事の手伝いが出来ない負い目があるのに、その上着るものの補充です。女子には大学は不要という父でしたし、男女が一緒というのも父は嫌いました。

結局、自分で縫うことにしたのです。友人も自分で縫うと言うので、一緒に布を買ってきて頑張りました。洋服とは、”頭が出て手足が出せれば良い”という、とんでもない理念がすべてを優先。何とか着られるものを作り、合宿に参加。友人も自作の洋服を持って着ていました。お互いの洋服をチェック。婦人雑誌の付録を見ながら頑張ったのです。今では、結構良い思い出になっています。

 

今もその時の手探り状態で、洋服や袋を縫って楽しんでいます。模索の連続での洋裁でしたから、今でも模索しながら自己流です。”街の洋裁の先生”から、教えを乞うたこともありますし、ご近所の奥様から教えて頂いたことも。すべて感謝です。

長女にもこの楽しさを知ってもらいたいし、友人の形見で頂いた工業ミシンも使ってほしいと思っていましたら、彼女から”縫ってみたい”と言ってきたのですから嬉しかったです。教えるためには、わたしもキチンと縫えるようにしたいと思うようになり、今まで以上に頑張っています。

母と私のウールの着物や、裾がボロボロになってしまった大島紬の再生を終活にしようと思い付き、その手始めに母の浴衣で目下試作中。先日、ズボンの形見本にズボンを買ってきましたので、明日は型紙作りです。そんな目標が、わたしを元気にしているのでは?と思うようにいました。

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