シーボルトの娘 楠本イネ(1827-1903)日本人女性初の産科医、現代でも美人女医としてテレビなどで十分通用するはずです。
豪商とはいえ庶民レベルでも江戸時代にこのような現代でも通用する祝い料理を食べることが出来たのには驚きです。筆者の江戸時代のイメージは映画7人の侍や当時のテレビ時代劇で見た飢饉であり、治安の悪さ、年貢の取り立ての過酷さでした。しかし、治安も安定しており庶民レベルでも決して裕福ではありませんが生活を楽しんでいたようです。最大の難点は平均寿命が50歳と短いということでしょう。筆者の年齢では既にあの世ですが、健康法を知って精進していたか、いなかったでかなり寿命に差が出ていたようです。正に知識は力なりです。これは現代でも通じます。インターネットの普及で為政者からの都合のいい情報だけでなく、真実が知らされるようになりこれを拒否するか受け入れ利用するかで人生が大きく変わります。大切なのは真実を見分ける力と行動力です。
(以下コピー) 京都市の老舗呉服商の自宅から、江戸時代に行われた婚礼や法事で提供された料理について記載した献立表3点が見つかっていたことが3日、分かった=表は一部を判読したもの。江戸時代の商家の献立表が見つかることは珍しいといい、精進料理や京都の名物料理ハモなど現在もなじみ深い品々が記されていた。国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に和食が登録されるなか、京料理の源流を探るうえでも貴重な史料だ。
献立表は、享保2(1717)年に創業した老舗の呉服商の市田吉寛さん(68)方=左京区=で見つかった。市田家には江戸時代からの資料が多く残されており、平成25年11月から、京都府立大の臨時職員、水沼尚子さん(35)が調査していた。
献立表3点はいずれも天保15(1844)年のもので、11月に市田家で行われた婚礼の際の献立表には「吸物 鯛ひき 白ほね」などと料理が提供された順に記載されていた。料理方法ではなく食材が記されていることが特徴だという。
このほか、9月の結納では、京都の名物料理ハモが振る舞われたことがうかがえるという。いずれも、次の冠婚葬祭などのときに参考にするため、市田家の人が書き留めたとみられる。
和食の歴史に詳しい静岡文化芸術大の熊倉功夫学長は「江戸時代の献立は珍しく、京料理の源流がここにあるといえる。豪商の町家で盛大に行われた当時の婚礼の様子がうかがえる貴重な史料だ」と話している。