人生50歳を超えると健康であるにもかかわらず子育てにも目処が立ち、自分にも知らぬ間に格付けのような物が出来上がり、燃え尽きてしまう人が多くいます。筆者も50才を軽く超えていますが、将来の年金など後ろ向きのダメ話は雑談でも聞かないようにしています。人間知らぬ間に自己満足・後ろ向き、同化されてしまうからです。フェイスブックなどの友達数を競う競争などは意味がなく同化・傷の舐め合い・人生を後ろ向きにさせるものです。生きている限りは下記の「50代は滑走路だと思っている」という考え方が重要で、十分な下準備の上で60歳を超えて、知力・体力・金力・人脈などの総合力で人生の頂点を目指し生きるのが正しい生き方であります。健康年齢を大切に、生きている限り、挑戦し続けましょう。
以下抜粋コピー
私たちは、キャリアは成長するもの、成長させるものだと考えている。ところが、多くの人は勘違いをしている。若い頃は夢ばかり見ている。夢だから当然根拠もなく、地に足がついていないから努力もしない。いわゆる青い鳥症候群に冒されている。
シニアになると今度は逆で、自ら自分の可能性を信じなくなる。「これもダメだった、あれもダメだった」と自問自答し、その先の選択肢をせっせと減らしていく。
そして、50歳を超えると、半径5メートルほどの世界にしか目がいかなくなる。心配事と言えば、家のローンと親の介護、それと年金くらいだろうか。
本当にそれでいいのだろうか。それは違うと私は思う。では、自分の人生に向かって、どう構えるべきなのか。若いビジネスパーソンは、将来の夢を追いかけるためにも、しっかりと今の仕事の意義を知り、必要な研鑽を惜しまず、今を積み重ねて行くべきなのだと思う。夢の前の足場固めに取り組むということだ。
そしてシニアになったら、未来のこと、社会のことをもっと考えるようにならなければいけない。
つまりは末広がりのキャリア、老いてなお成長させるキャリアこそが幸せなキャリアなのだということ。そのことを、年頭に当たって改めて皆さんと共有したい。
● 成長し続けられる人は 他人から期待される状態を自ら作る
成長するためには努力をし続けなくてはいけない。では、どうすれば努力を続けることができるのか。それは、「間違いなく努力は実る」という可能性を信じられるかどうかにかかっている。
達成すれば得られる見返りが魅力的で、しかもそれが、努力次第で得られる可能性が高い時に、人は努力できるものなのだ。これを動機付け理論の中では期待理論という。
だから、キャリアを成長させるためにはまず、自分はキャリアを成長させることができると信じなければいけない。ところが、最初は思い込みでもいいだろうが、自分一人の思い込みで可能性を信じ続けることは難しい。
周りの皆から「無理だ」と言われ続けたら、しばらくは頑張れても、長くはもたない。いつかは陥落する。「わかった。私には無理だ」と自分も思うようになってしまう。
逆はどうだろうか? 皆から「お前ならば大丈夫だ」と言われれば、何となく「できるかもしれない」と思えてくるだろう。努力すれば何とかなると思った瞬間に、人は努力できる、努力し続けることができるようになるものだ。
つまり、自分の可能性を信じるためには、周囲が期待してくれることが大切なのだ。ただし、ここで発想を転換することが求められる。ただひたすら周囲から期待されるのを待つのはいかにも情けない。他人に人生を委ねるようなことを、私は勧めない。
確実に人から期待される状態を自ら率先して作るべきなのだ。つまり、周囲の期待を集め続けられるように、組織の中で適切な立ち位置を取り続けなければいけない。これが私のキャリア成長論のベースだ。期待されるようにしたたかに振る舞うことが求められる。
● 言われたことをクリアして 「優秀」と言われる20代を過ごす
キャリア成長論はとてもダイナミックに変化する、20代の頃に周囲から期待される立ち居振る舞いと、30代のそれは違うし、40代、50代と当然すべて違うということだ。年代に合わせて立ち位置を変えていくことが求められる。
この、年代に応じて立ち位置を変化させるというのが実はとても難しい。20代のころに周りから期待されてちやほやされると、そのままの行動様式で30代も振る舞い続けてしまって、今度は周囲の期待を裏切り、過去の人になってしまうということが非常に多い。これは30代から40代、40代から50代でも同じだ。
だから、10年ごとに自分のキャリアを振り返り、その後の10年のキャリアテーマを決めていく必要がある。
もう一つ、若いうちのキャリアテーマは皆、似たり寄ったりであっても、経験を重ねるにしたがって、バリエーション、つまりは個人差が豊かになっていくものだ。だから、40代ともなれば、それこそ自分なりの、個性的なキャリアテーマを設定できないと、周囲の期待はもはや集められなくなる。その点は注意してほしい
さて、まずは20代から足早に振り返ってみよう。20代の場合、最初の3年間は型にはまるときだ。「石の上にも3年」。仕事の型を身に着ける。キャリアテーマは周囲、上司を「安心させる」こと。3年経ったときに言われたい評価は、「○□○□さんもうちの人らしくなったね」、だ。仲間として認められた証拠だ。そうなれば、相応の仕事が与えられるようになる。
その後のおよそ5年間のキャリアテーマは「優秀な部下であることを認めさせる」こと。30歳になる頃に何と言われるようになりたいかと言えば、ズバリ、「○□○□さんって優秀だね」である。何について優秀ということではない。ビジネスパーソンとして、部下として優秀といった意味でいい。
ベースとなるのは、与えられた仕事を手際よくこなせること。その上で、その会社なりの優秀の定義は違うから、その癖を早く知り、その会社なりの優秀さを体現するのがいい。そのためには、ロールモデルとなる先輩を見つけて、真似をするのが近道だ。
ここで「優秀」と思われれば、さまざまなチャレンジングな仕事を任されるようになるはずだ。
● ただの「器用貧乏」にならない “プロ”になれる人の30代
ところがこのままで30代も過ごすと、ただの「器用貧乏」になる。ここが一番辛いところだ。周りから期待されるままに、何でも言われたことを器用にこなす。皆から感謝されて、優秀だと評価される。当然、そういった状態を続けて行きたくなるのだが、30歳を超ええるとそれだけでは周りが認めなくなってくる。
今度は、「○□○□さんって、優秀だけど、なんていうか、要するに器用貧乏だよね」と言われるようになってしまう。周りに期待されるままに何でもこなしてきた人にとっては、理不尽極まりない評価の豹変。しかし、これが現実だ。
では30代のキャリアテーマは何かというと、「プロフェッショナルになる」だ。組織の中で、自分なりの旗印を掲げられるようにならなければいけない。その結果、40代になる前に言われたい言葉は「××と言えば、○□○□さんだね」だ。こうなれば、周囲の期待も膨らむ。
ここで「××」に当たる領域であるが、これは何でもいい。技術領域であったり、商品領域であったり、経理や人事といったファンクションであったりするだろうが、むしろ、そうした専門領域だけでなく、もっとヒューマンスキル的なものもあったほうがいいし、そちらの領域に特化しても構わない。
たとえば揉め事を仲裁させる力とか、部下の面倒見の良さとか、組織を活性化できる力とか、そうした才能だ。
● 40代という「出世の10年」を経て 会社の内外で認められる人材に
いよいよ40代であるが、この年代は、会社の中で自分の運命を大きく変える、極めて重要な10年だと思う。私はこの10年間を「出世の10年」と呼んでいる。
「出世かよ? 」と思っただろうか。出世の亡者になる、と考えたならそれは早とちりだ。私の言う「出世」は仏教用語のそれだ。仏教用語の出世には二つの意味がある。一つは「俗世の煩悩から解脱して悟りを得る」こと、もう一つが「諸仏が衆生を救うためにこの世に現れる」ことだ。
私なりに、この二つの意味を合わせてビジネスの言葉に変えてみると、次のようになる。「会社の枠を超えて、世の中に価値を生むような仕事をすること」である。
つまり40代になったら、会社の中だけに留まっているのでは足りない。会社の外から見て、「どこどこ会社に誰々さんあり」と言われるようにならなければダメだ。そのためには当然、自分が中心的な役割を担って、会社の外からも見えるような仕事をしなければいけない。そうなれば、会社の内外から期待される存在になり得る。
会社の外からも見える、それだけの仕事をするために絶対に欠かせないのがリーダーシップだ。さらに巻き込んだ人々をチームとしてまとめてあげ、成果を出すためのマネジメント力である。そうした力を使って、会社内の役職とは関係なく、社の内外のメンバーをオーガナイズしなければ、広く認められる仕事を成し遂げることは絶対できない。
そして、40代の終わりまでに「どこどこ会社に誰々さんあり」と言われるようになる。転職しなくても、独立しなくても、会社の外の人から認知される存在になることが必要だ。
そうなって初めて、正当なマーケットプライスもついてくる。当然転職もしやすくなるし、独立もしやすくなる。しかしここでは、それでもなお、会社に留まるとしよう。
● 50代はそれまでの場所を空け 新しいことにチャレンジする10年
次に50代。この10年間は60代以降を幸せに過ごすための助走期間だ。会社ではどういうことを期待されているかといえば、役員になって上に行くか、そうでない場合は、横や子会社に行くなども含めて、自らそのポストを降りるということになる。
つまり、いずれの場合でも後進のために、その場所を空けることが求められる。そこに居座ってはいけない。40代と同じように、自分が主役を張り続けていたのでは、しまいには周囲から疎まれることになってしまう。だから、50代は、自らのポストを空けることが一つの大切な目標、キャリアテーマとなるわけだ。
では自分はどうなるのか。新しいことを始める。執行役員になったとしても、社外に出たとしても、関連会社に行ったとしても、別の部署に行く、新規の部署を立ち上げるにしても、周囲から「誰々さんが、また新しいことを始めた」「すごいね」と期待されることになる。
それがなく、ただポストを追われる、役職定年になるのとは大きく違う。自らの成長戦略として、いつまでも同じ場所に留まらない。そのための道の一つが、転職でもあり、独立でもあるのだ。あるいはそれに似たことを同じ会社の中、そのグループの中で始めて、新たな価値を生む。それは素晴らしい成長戦略だと思う。
私は、50代は滑走路だと思っている。上に行く場合も含め、自分の今までの仕事を後進に譲るために、組織に一体何を残すのかをしっかりと考えなければいけない。さらに、そこから先の自分のキャリアをこれまたしっかりと描くことが重要だ。
それができれば60歳以降のいいスタートが切れる。そこまでのイメージを、今から持っておいてもらいたい。その上で、バックキャストして、50代、40代、30代というふうに、その時々の自分なりの、より詳しいテーマ設定をすべきなのだ。
最後に一言。一番いけないことは絶望だ。絶望とは、哲学的に言えば、すべての可能性が失われることを言う。その可能性を作り続けるのは自分自身だ。あなたの可能性はあなたが作る。その覚悟をもって、今年も1年を過ごしてほしい、そのためのアドバイスをこれからも続けていきたいと思っている。
野田 稔