『名も無く豊かに元気で面白く』

読んだ本、ニュース、新聞、雑誌の論点整理、備忘録として始めました。浅学非才の身ながら、お役に立てれば幸いです。

死が問いかける!故西部邁氏『人はいかに最期を迎えるか』

2018-03-08 08:18:15 | 日記

人生の否定、矛盾を具体的に受け止め、個別的な主体性をもって思考せよ❞を実践された西部邁氏がお亡くなりになり2か月近く経ちましが、30年近く前に所属している協会の講習会でご教授いただいたことを昨日のことのように思い出します。評論家各氏の理論的支えとなっている西部氏に対して追悼の辞が各評論家から出されていますが、今回は宮崎正弘氏と佐伯啓思・京大名誉教授の追悼の辞を取り上げます。宮崎氏の追悼は分かりずらいですが、深いつながりがあったということでしょう。合掌

以下抜粋コピー

❶ 宮崎正弘氏   あちこちのメディアに各氏の西部遭氏への追悼の辞が聞かれた。 二点の指摘をした人がいなかったので敢えて触れる。
第一に西部さんからは「天皇陛下のために死す」という三島由紀夫的な言辞は一切聞かれなかったことである。
 ところが、酒場でカラオケが盛り上がると、「桜井の別れ」を唱った。
この話をすると「桜井の別れって、どんな歌ですか?」とよく質問を受けた。楠木正成・正行親子が、湊川の決戦を前にわかれる名場面で、昔は小学校唱歌、誰もが歌った。

 ちなみに歌詞は、

「青葉しげれる桜井の 里のわたりの夕まぐれ
 木の下かげに駒とめて 世の行末をつくづくと
   しのぶ鎧の袖の上に 散るは涙かはた露か」
 
 「正成涙をうち払い わが子正行よび寄せて
   父は兵庫におもむかん かなたの浦にて討死せん
 汝はここまで来つれども とくとく帰れふるさとへ」

 以下十五番まであるが、西部さんは五番目あたりまで暗記していた。
 息子の正行も四条畷の闘いで死んだ。親子して尊皇だった。西部さんの著作を貫く基調は「攘夷」である。しかし維新の志士たちのような尊皇攘夷ではなく、三島の「英霊の声」を評価した形跡はない。
▼短銃の入手を三回試みていた

 第二が不法な武器調達は合徳だという弁である。
 遺書とも言える『保守の真髄』(講談社現代新書)の中で、しきりに自裁の手段としてピストルの入手に三回失敗したと明記してある。
 もう一度、当該ページを紐解いた。

 「なお人生で三度目の述者(西部)の短銃入手作戦が、前二回と同じく入手先主の突如の死によって頓挫するというほとんどありえぬ類の不運の見舞われたことについてここで詳しく話すわけにはいかない。ついでに申し添えておくと、この述者は、道徳と法律が食い違うことの多い現代では合法にも不法にもそれぞれ合徳と不徳のものがあって、自死用の不法な武器調達はおおむね合徳に当たると考え、そして自分は合徳で生きようと構えてきたのである」(260p)

何気なく読み飛ばしそうだが、さて、これをわざわざ文字を持って明記したということは、(なにしろ西部さんは「言葉は思想だ」と言っていたのだ)何かのメッセージではないかと考えた。

そうか、ひょっとすれば野村秋介氏のように、朝日新聞本社へ乗り込んで社長と面会し、その場でピストル自殺とかの政治演出を伴った最後を企図していたかも知れないと思った。でなければ、なぜピストルのことなどを意図的に挿入しているのか、分からないではないか。

 さて西部氏が最も好んで引用も多かったホセ・オルテガ・イ・ガセットはキルケゴールの影響を激甚に受けた。
 キルケゴール(1813-1855)はデンマークにあって教会の形骸化を批判したが、その基本にはヘーゲル批判があった。

キルケゴールはデンマーク語では「教会の庭」もしくは「墓地」を意味するそうだが、実存主義の魁と言われる所以は概念的抽象的な人間ではなく、具体的で個別的な人間の存在を思考の対象としたからであろう。代表作『死に至る病』は、人間は死ぬけれども、その絶望を神の救済の求める教会の考え方から逸脱した論理を立て、ヘーゲルの弁証法的な思考を批判した。

主体性は真理である、が同時に主体性は非真理である、と矛盾した論理を建てたように見えるが、人生の否定、矛盾を具体的に受け止め、個別的な主体性をもって思考せよ、というのである。このあたりに西部遭氏は大衆批判の原点があると踏んだ(『思想の英雄たち』、ハルキ文庫)。

 死に至らない病が希望であるとすれば、絶望は自己の喪失であり神との関係の喪失であるとする。東洋の哲学はいずれ人間は死ぬのであり、極楽往生をとげることが人生の至福であると教えるのが日本的仏教であるから、キルケゴールの対処法は「絶望を逃れるにはキリスト教への信仰」をあげ、神の前に自己を捨てるのが本物の自己に至ることだとしているから似ていないこともない。

▼オルテガは「ロシア革命は人間的な生の開始とは真逆だ」と言った

  スペインの思想界にミゲル・デ・ウナムール(1864-1936)と並び立つオルテガは大衆を識別し、ものを考えない人を批判した。 

 ホセ・オルテガ・イ・ガセット(1883-1955)は前世紀半ばまで存命したスペインの哲学者で、日本でも著作集がでるほど人気がある。彼はマドリッド生まれ、ドイツへ留学し最初はカント哲学から入った。

オルテガが際立って自由主義を鼓吹したのはソビエトのボルシェビキ革命を『野蛮状態への後退」であり、「原始主義」だと非難した本質を突いた言辞によるだろう。

 オルテガは『ロシア革命は人間的な生の開始とは真逆」であり、これを礼賛する無知な大衆とは「欲求のみを抱き、権利だけを主張し、義務のことを考えない」、したがって「自らに義務を課す高貴さを欠如させた人間」であるとし、その中には科学者などのエリートも加えた。自由とは、科学的心理ではない。自由とは運命の真理だとオルテガは説いた。

 この箇所も西部思想に強い影響がある。
西部氏はスマホの効用など、コンピュータシステムの到来を産業の効率でしかなく、人間の英知に役立ちはしないと否定的だった。

 西部氏は、こう言っている。
 「テクノロジー(技術)をいう一方向にのみ特化していくのは文明の病理以外の何ものでもない。嘗てシュペングラーは、文明の秋期から冬季にかけて、『新興宗教への異様な関心と新技術への異常な興味が高まる』と指摘した。今、世界のとくに先進各国にみられるのは、新技術が新宗教となって人々の精神世界を占拠している」(中略)「スマホという名の小さな薄い箱に精神を吸い取られてらちもないゲーム事に明け暮れする男女の群れを眺めていれば、文明は紊乱の段階を過ぎて没落に到っているのではないか」(西部前掲書。20p) 

❷ 佐伯啓思・京大名誉教授

西部さんの最期は、ずっと考えてこられたあげくの自裁死である。彼をこの覚悟へと至らしめたものは、家族に介護上の面倒をかけたくない、という一点が決定的に大きい。西部さんは、常々、自身が病院で不本意な延命治療や施設で介護など受けたくない、といっておられた。もしそれを避けるなら自宅で家族の介護に頼るほかない。だがそれも避けたいとなれば、自死しかないという判断であったであろう。

 このような覚悟をもった死は余人にはできるものではないし、私は自死をすすめているわけではないが、西部さんのこの言い分は私にはよくわかる。いや、彼は、われわれに対してひとつの大きな問いかけを発したのだと思う。それは、高度の医療技術や延命治療が発達したこの社会で、人はいかに死ねばよいのか、という問題である。死という自分の人生を締めくくる最大の課題に対してどのような答えを出せばよいのか、という問題なのである。今日、われわれは実に深刻な形でこの問いの前に放り出されている。


コメント (3)
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