38番金剛福寺には朝早くつきすぎて山門が締まっていて入れなかったことがあります。開く時間までと思い門の前で座り瞑想をしていると、門前の土産物屋のおじさんが「ここは7時にならないと入れてくれませんよ」とわざわざ教えてくれます。相当の時間、瞑想できました。7時になり門があき、中に入ると12万平方キロという立派な庭が太平洋の大海原を背景に目前に広がりました。
ここは大師が巡錫中に千手観音様を感得され、嵯 . . . 本文を読む
38番金剛福寺へは37番を出て町中を抜けていきます。37番岩本寺から38番金剛福寺までは90キロです。全て歩けば2泊3日の道のりです。いままでも全行程を歩けてはいません。最初の所だけ歩いています。17年の遍路の時は37番岩本寺から一時間余歩いて人気のない山中にさしかかりました。ゆるやかな峠に差し掛かり,つつじの灌木を薙ぎ払って進んでいる時、突然「おじちゃん」という声がしました。こんな人家もないとこ . . . 本文を読む
36番青竜寺から37番岩本寺は60キロくらいあります。ここは浦の内湾を挟んで二つのルートがあります。海沿いの横波スカイラインコースと、内陸側のコースです。いずれにせよ全部歩いてはいけません。順に回る時は途中で電車に乗ったりしています。しかしとあるご縁で途中の大坂遍路道に私が寄進した道標を立てていただいているのでいずれ歩いて回らなければと思っています。
37番岩本寺は行基菩薩の開基で、聖武天皇の勅を . . . 本文を読む
いよいよ36番青龍寺です。
土佐市内高岡町の喜久屋という遍路宿に何度か泊まりました。ここの老女将は熱烈な大師信者で夕食の後私を特に呼び止めて話し込んだことがあります。 それによると若い時には何度も遍路をしたということでした。 そしてお遍路仲間の宮崎の呉服店のおかみさん(長友すてさん)が一回の遍路でガンが治ったのでそのあと毎年2回ずつ35年間にわたり 計70回お礼の遍路をしたこと、その女将さんはの . . . 本文を読む
33番雪蹊寺から34番種間寺までは8キロです。2回目の時は途中で宿泊し朝4時頃甲殿というところにある34番奥の院に寄るつもりで遍路宿を出ました。ここは海辺でごうごうという海鳴りの音を足元に聞きつつ真っ暗な堤防を不安な気持ちで歩いているとタクシーが止まり、なかの中年の運転手さんが「すぐそこの会社にもどれば勤務明けになるので34番種間寺へ軽四輪で送っていきます」と言いました。心細かったのでありがたく好 . . . 本文を読む
31番竹林寺五台山から降りて下田川を渡り5キロ位いくと、目前に百㍍あまりの小高い山があります。ここが32番禅師峰寺で、寺伝によれば、聖武天皇の勅命を受けた行基菩薩が海上安全を祈願して堂宇を建立したのを起源とし、後にお大師様が八葉の蓮台に似ていることからここで虚空蔵求聞持法を修法、十一面観世音菩薩を刻んで本尊とし、現在の寺名「八葉山 求聞持院 禅師峰寺」を定めたといわれます。お大師様の作と伝えられ . . . 本文を読む
30番善楽寺から31番竹林寺までは7キロ弱です。30番からどんどん南下して高知市街地にはいります。竹林寺のある五台山への登り口はいつも迷います。逆打ちのときは特にわかりません。五台山の下の学校の周りを何度もまわったこともあります。
2回目の時です。細い登り道をやっと見つけて登ろうとすると近くの枇杷の木の何十匹もの蝉が驚いて飛び立ち一匹が眼鏡の中まではいりこみあばれます。びっくりしました。
あわて . . . 本文を読む
27番神峰寺から野市を経て28番大日寺までおよそ四十㌔あります。17年の遍路では神峰寺の麓で泊まった遍路宿「きんしょう」の女将さんがあとから車でおいかけて来て途中の野市まで乗せてくれました。おかげで1日分助かりました。予約していた遍路宿を過ぎてしまったので断りの電話を入れました。歩き遍路なのにこういう時ほっとするのはどうも修行が足りません。他のときは電車で行くことが多いのです。
28番大日寺は小 . . . 本文を読む
27番神峰寺の霊験と成功者の信仰
26番から27番神峰寺は34kmあります。歩くと9時間はかかるといわれています。大体途中バスに乗ってします。麓の遍路宿に泊まり朝早く27番神峰寺にのぼります。朝はご住職みずから納経してくださると遍路宿でききましたがそのとおりで、朝早く行くとご住職がおられ、自ら納経していただきました。
ここは神功皇后が三韓征伐の戦勝を祈願して、天照大神を祀った社として創建され、 . . . 本文を読む
25番津照寺は24番最御崎寺から海岸沿いを六㌔ほどいった町中の小高い山の山上です。何回目の時か忘れましたが人っ子一人見当たらないさみしい漁師町をファッション雑誌から抜け出てきたような婦人が歩いていて一瞬東京にいるのかと錯覚したことがありました。遍路道では時々不思議なことがあります。
ここは参道右に大師堂と納経所があり、本堂へはなおも百八の急な石段を登ります。ご本尊は大同二年、弘法大師が巡錫された . . . 本文を読む
別格4番鯖大師には午後4時前に着きましたが、以前どこかで老人が、鯖大師ははやく着くとおいだされますよ。と教えてくれていましたが今回は追い出されはしませんでした。
「空性法親王四国霊場御巡行記」では「八坂坂中鯖一箇、行基に呉れて駒ぞ腹痛、と詠ぜし茲は所なり」とあります。この歌は鯖大師の縁起を詠ったものです。「四国遍路(平幡良雄)」によると椿堂は行基菩薩の開基で、大師がここの行基菩薩御手植えの松の根 . . . 本文を読む
いよいよ土佐の国にはいります。
24番最御崎寺までは90キロ近くあります。17年の時は番外札所鯖大師に泊まる事にして歩きはじめました。途中牟岐町というところではテントを張った接待所がありました。
女性が三人出てきて私のポンチョ合羽をまっすぐになおしてくれました。以前どこかの札所で土地の古老が「鯖大師は早く着きすぎるともっと先まで歩けと追い出されますよ」等と親切に教えてくれていたのを思い出したの . . . 本文を読む
22番平等寺から23番薬王寺までは約20キロです。海沿いと山沿いの2つの遍路道がありますがいつも海沿いの道をいきます。この道はドドーンという地響きのような海鳴りが絶え間なく聞こえます。遍路道の途中には風化した古い道標が青い海を背に立っています。 19年春は23番薬王寺までの途中でシャツからはみだすくらいの全身刺青の20才の若者と一緒になりました。此の青年は21番薬王寺でタクシーから降りてきた倶利伽 . . . 本文を読む
20番鶴林寺から21番太龍寺は11キロくらいです。歩いて 3時間位だったと思います。太龍寺山も「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」といわれるように阿波三大難所の一つとされます。 お大師様の「三教指帰」に「阿波太龍嶽にのぼりよじ土佐室戸崎に勤念す谷響きを惜しまず明星来影す。」とあります。これは求聞持法という密教最高の行をお大師様がここに行じられたことを記してあるわけで、真言行者の聖地ともいうべき . . . 本文を読む
19番立江寺から10数キロ歩いて第20番鶴林寺につきます。第20番は正式には霊鷲山宝珠院鶴林寺といいます。ご詠歌が「しげりつる鶴の林をしるべにて大師ぞいます地蔵大釈」というようにご本尊は地蔵菩薩(おん かかかび さんまえい そわか)です。八十八ヶ所で二番目に難所と言われるだけに、急勺配坂が続いたあと鬱蒼とした木立ちの中にあらわれる仁王門は、実に堂々としています。境内には樹齢千年の老杉がそびえて . . . 本文を読む