以前の四国遍路の記録を追加修正してこれから書いていきます。 . . . 本文を読む
カリフォルニア大学のフリシチョフ・カプラは「タオ自然学」のなかで述べています。「「相対性理論の時空の世界は本質的にダイナミックな世界であってここでは物体は「過程」である。(これは諸行無常にあたります)。現在無数の素粒子が知られているが今日これらの素粒子は「粒子」と呼べなくなった。「客観的実在は消滅してしまった(ハイゼンベルグ)(諸法無我にあたります)。」
万物は他のすべてとつながっておりすべての自 . . . 本文を読む
ラッセルは第二次大戦直後「人類の将来・・人類に害を与えてきた諸思想(1946年)」でいっています。「さまざまな人間の災難は次に二種類に分けることが出来る。第一に非人間的な環境から蒙る災難であり、第二には、他の人間から蒙る災難である。・・・今後の事については次のように考ええいいだろう。すなわち人類が考慮すべき最も重大な弊害は人類が愚かさや悪意、あるいはその両方によって互いに他の上に生じさせる弊害な . . . 本文を読む
・医経に「衆生病を得るに十因縁あり。一には久しく座して臥せず、二には食貸すことなし、三には憂愁、四には疲れ、五には淫逸、六には瞋恚、七には大便を忍ぶ、九には上風を制す、十には下風を制す。」
・涅槃経に「一切衆生に四毒箭あり。貪欲、瞋恚、愚痴、驕慢なり。もし病因あらばすなわち病生ずるあり。いわく、寒熱肺病、上気吐逆、皮体しゅうしゅう、その心悶乱、下痢噦咽、小便淋漓、眼耳疼痛、腹背脹満 . . . 本文を読む
どちらかといえば平穏な一生をすごすひともいる一方、世の中には悲惨な出来事に遭遇する人もいます。
事件事故にまきこまれ或は病苦にあえぎ苦しんでいる人々と平穏な人生を送っている人々のあいだにはどういう関係があるのか?遍路道で出会った障害者を連れた家族の方々を思い出すにつれ考えこまざるをえませんでした。
(病気についてのお経の文句があります。大智度論巻八「病に二種あり、先世の業病と今世の不摂生病なり。 . . . 本文を読む
明治14年の「四国遍路道所記」には「それ四国遍路一度巡拝の輩は病苦またはよろずの難を除き、未来成仏うたがひなし。
遍路に道ををしへ、一夜の宿をかし、一粒一銭を施すものは寿命長久にして諸願成就すべきものなり。」とあります。
なお、お蔭をすぐには受けられないこともあります。
福聚講にきている松田京子さんが「お蔭の出方について」という投稿をしてくれています。紹介します。
「人それぞれにお蔭の出方は違 . . . 本文を読む
私の頂いた霊験を再度書きます。
1、毎年入退院を繰り返していた縁者の重度うつ病が治り家族ともども幸せな家庭生活を送っていること。
2、遍路の途中で深い草むらに落とした時計を偶然一ツ橋の学生が拾い、更にその学生と焼山寺山門でばったり会うことができ時計を渡され、その後の遍路を続けられることになったこと。
3、血圧が25も下がる等健康体になったことと
4、身内が望みどおりの就職ができたり、不動産の贈与 . . . 本文を読む
以下今回の遍路で体得したことをまとめてみます。
その1、お蔭は厳然としてあるということ。
四国はお大師様の誓願を信じそのお蔭を頂くべく巡礼するところです。お大師様は千数百年にわたりさまざまな霊験を現してこられました。真言僧は古来お大師様の霊験のあまりのありがたさにお大師様の本地佛が大日如来、弥勒菩薩、如意輪観音、不動明王、愛染明王、訶梨帝母、日光菩薩であるとしてお大師様を拝むときは必ず一緒に拝み . . . 本文を読む
大体いつも帰りは88番大窪寺からバスでもう一度87番長尾寺まで戻り、電車で高松、岡山経由で高野山に登ります。徳島からフェリーで和歌山にでることもありますが、岡山経由の方が早いのです。
高野山には数えきれないほど登っていますが遍路姿は17年のこのときが初めてでした。衣とは別の雰囲気です。
遍路姿も高野山の霊気にピッタリあっています。いいものです。
参道では遍路の人と何度か行きあい挨拶をしまし . . . 本文を読む
奇跡というかお蔭というか弘法大師和讃にいう「不思議は世々にあらたなり」ということは体験しなければわかりません。
この遍路の不思議・霊験こそ千数百年のあいだ四国88所が続いた理由です。
山道を30分歩いけば胎蔵が峰の奥の院もおまいりできます。
山道は故郷の山と同じ匂いがしました。ここまで来る人はめったにいないのでしょう。肌を刺す霊気がありました。
まだ高野山御礼参りがのこっているので「終った」とい . . . 本文を読む
遍路のみでなく写経、滝行やお寺で拝むときもじつは拝むたびに即身成仏しているのではないかと思います(当然密教修法をするときはその都度、即身成仏してご本尊そのものになるわけですが)。そしてそういう縁に出会ったことそのものがすでにお蔭をいただいたことになるのだと思い至りました。
四国遍路では何度泣いたかわかりません。
「なにごとの おわしますかは しらねども かたじけなさに 涙こぼるる」。
こ . . . 本文を読む
85番八栗寺参道はケーブルカーを横目につま先上がりの急坂になっています。 280mの屋島から下りてすぐ230mの八栗山にのぼることになります。
八栗を含む五剣山はお大師様が求聞持法を修された時、五柄の利剣が虚空より降りてきたので名付けたといわれています。参道にも霊気が漂よっています。
途中「霊徳洽三界(霊徳三界にあまねし)」「慈恩潤衆庶(慈恩衆庶をうるおす)」との石碑がありました。
お大師様 . . . 本文を読む