「この世には三つの誤った見方がある。
一つ目はすべて運命でるとするもの。
二つ目はすべて神の御業とするもの。
三つめ目はすべて因も縁もないものであるとするもの。
(一つ目の)もしすべてが運命であるとするならこの世で善いことをするのも悪いことをするのも皆運命であり、幸不幸もすべて運命となって運命の他には何もないことになる。したがって希望も進歩もないことになる。
(二つ目の)神の御業とする説も
(三つ . . . 本文を読む
1、昨日、不瞋恚戒を破ってしまうことになりました。行動でなく意識の中で破ったのです。尤も不瞋恚戒どころか十善戒全体を何度も破っている身ですからいまさら不瞋恚戒を何度目かに破ったからと言ってそれほど大騒ぎするほどの事でもないのかもしれませんが・・。しかし僧籍をもって日頃経典やお大師様のお言葉をかみしめている身としてしかも古稀を迎えている身としてはかなり情けないことではありました。
2、以前から理論 . . . 本文を読む
「・・しかれば兼愛(自他平等の愛)は受楽の因、大悲は脱苦の本なり。三世の如来はこれによって成道し、十方の薩埵はこれを行じて滅を証す。(大師の性霊集八、三島大夫、亡息女の為に法華経を書写し供養して講説する表白文)
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法句経・第十七 忿怒の部
(身口意において不瞋恚の人はよく自身を護っている人である)
二二一 忿を棄てよ、慢を離れよ、一切の結を越えよ、精神と物質とに著せざる無所有の人に諸苦隨ふことなし。
二二二 若し人己に發せる忿を制すること奔車を止むるが如くなれば、彼を我は御者と言ふ、爾らざる人は唯だたづなを取るのみ。
二二三 不忿を以て忿に勝て、善を以て不善に勝て、施を以て慳に勝て、實語を以て妄語者に . . . 本文を読む
Q「衆生も空であり実体はないはずなのに様々な業の姿があるのはなぜか?」
A「それは果報としての業の姿を自ら作り出ているためである。」
以下、華厳経・明難品・第三段落「業果甚深」の項の和訳と原文。
文殊菩薩は、宝首菩薩に問うていうに、
「仏子よ、衆生は、地水火風の四元素から成っており、そのなかに我の実体はないし我に依って執着される対象もない。しかるに、どういうわけで衆生は、苦・楽を受け、善・悪を . . . 本文を読む