高野山霊宝館の「高野山と不思議な話」展の「丹生明神像(江戸時代・宝寿院蔵)」には丹生明神が宥快(14世紀)に対して詠まれたとされる歌
「暁はまだはるかなり高野山、猶もかかげよ法の灯」が書かれてありました。
この歌を読んだとき何かが体にゾクゾクと来ました。弥勒菩薩の下生まで56億7千万年あるがそれまで高野山の不滅の役割は続くぞ、との丹生明神のお達しです。高野聖の末席と雖も背筋を伸ばさざるを得ない気持 . . . 本文を読む
[凡そ仏陀神明数多ましますと雖、一仏一尊として、大日如来の差別智身に非ざる無し、是故に大日如来を帰命し奉る時は諸仏諸菩薩を帰命し奉るに異ることなし、又白浄信心を決定して、真言を唱へ、往生成仏を欣ふ時は、一切の神明までも、皆其本懐なりと思召し、真言念誦の者を守護し給ふなり、何となれば仏菩薩の大悲、一切衆生をして終に仏法に勧め入れしめんが為に、方便して仮に迹を垂れ給ふ所の神明なれば、皆悉く大日如来を帰 . . . 本文を読む
「宝在心」「宝は心にある」という言葉の意味が以前修法していて少しわかりかけてきた気がしました。
大体この言葉は「心がけ次第で幸福にもなれば不幸にもなる」という程度の意味にとられることが多いと思いますがそんな生易しいものではなかったのです。
心には過去の業は勿論、宇宙の果迄の空間が含まれ、無限の過去未来までの時間も含まれていたのです。含まれないものはありません。
また同時に無限の先祖・子孫どころか無 . . . 本文を読む
高野山霊宝館で展示中の「入定弘法大師像」(江戸時代・金剛峯寺蔵)を拝しました。
大師は草庵に坐しておられる不思議な図柄です。
大師のお姿については水原堯栄「弘法大師御影」に大体十一に整理されています。
(一、一八歳求聞持悉地を得られて阿波高越寺に安置されたという御影(高越寺私記)。二、三一歳入唐求法に際し告面行為孝自写されたという御影(南海流浪記)。三、三一歳入唐求法に際し海蔵庵に安置されたという . . . 本文を読む