高野山霊宝館の「高野山と不思議な話」展の「丹生明神像(江戸時代・宝寿院蔵)」には丹生明神が宥快(14世紀)に対して詠まれたとされる歌
「暁はまだはるかなり高野山、猶もかかげよ法の灯」が書かれてありました。
この歌を読んだとき何かが体にゾクゾクと来ました。弥勒菩薩の下生まで56億7千万年あるがそれまで高野山の不滅の役割は続くぞ、との丹生明神のお達しです。高野聖の末席と雖も背筋を伸ばさざるを得ない気持ちが走ります。
猶、新千載和歌集(14世紀後光厳天皇勅撰)にも
「題しらず」として 中務卿宗尊親王
(後嵯峨天皇の第一皇子・皇族で初めての征夷大将軍・後に出家)の
「鐘の音は明けぬときけど高野山 猶はるかなるあかつきの空」があります。(「高野山の鐘は暁を告げているが本当の暁の来る弥勒下生まで56億7千万年あるぞ」)という歌がありました。
「暁はまだはるかなり高野山、猶もかかげよ法の灯」が書かれてありました。
この歌を読んだとき何かが体にゾクゾクと来ました。弥勒菩薩の下生まで56億7千万年あるがそれまで高野山の不滅の役割は続くぞ、との丹生明神のお達しです。高野聖の末席と雖も背筋を伸ばさざるを得ない気持ちが走ります。
猶、新千載和歌集(14世紀後光厳天皇勅撰)にも
「題しらず」として 中務卿宗尊親王
(後嵯峨天皇の第一皇子・皇族で初めての征夷大将軍・後に出家)の
「鐘の音は明けぬときけど高野山 猶はるかなるあかつきの空」があります。(「高野山の鐘は暁を告げているが本当の暁の来る弥勒下生まで56億7千万年あるぞ」)という歌がありました。