続日本紀 / 天平宝字七年(763)九月庚子朔(1日)条「九月庚子朔 (淳仁天皇)勅して曰く『 疫死多数 水旱不時なり。 神火(神の祟りの火事)屡ば至り 徒らに官物を損す 此は国郡司等国神を恭はざるの咎也。 又た一旬の亢旱は 致無水に苦しむ。 数日の霖雨は流亡の嗟を抱く。 此は国郡司等民を使うに時を失し、 隄堰を修せざるの過也。・・』」 . . . 本文を読む
叡尊は建仁元年(1201年)生まれで正応3年8月25日(1290年9月29日))に示寂されています。鎌倉時代中期、四分律・梵網戒を併せて修する真言律宗開祖です。字は思円(しえん)。謚号は興正菩薩。この興正菩薩叡尊が覚盛・圓晴・有厳と共に東大寺に於いて自誓受戒したのが嘉禎元年1236叡尊菩薩36歳の時です。感身学正記には「(嘉禎元年1236)九月一日、各自誓、近事男となる(五戒を受ける)、二日沙弥と . . . 本文を読む
復た次に生滅門より眞如門に即入することを顯示する。所謂ゆる五陰を推求するに色と心にみにして六塵の境界は畢竟して無念なり。心に形相なければ十方に之を求むるも終に不可得なるを以てなり。人迷うがゆえに東を謂って西と為すも、方は實に不轉なるが如し。衆生もまた爾り。無明の迷の故に心を謂って念と為すも心は實には不動なり。若し能く觀察して心は無念なりと知れば、即ち隨順して眞如門に入ることを得るが故なり。(次に、 . . . 本文を読む
田中智学自伝八巻に智学が関東大震災に際して危機感を持ち述べているところがあります。今日の東日本大震災後の日本と比べて今日のあまりの危機感の無さに愕然とします。当時心ある人々がこれだけ緊張感を以て臨んだにもかかわらずその後日本はどんどん運命を下落させていき、太平洋戦争に突入して敗戦を迎えたのです。当時と比べて精神面の崩壊が壊滅的に進んでいる今の日本には当時をはるかにしのぐ末恐ろしさがあります。「・・ . . . 本文を読む
今日は、宇佐八幡宮が戦の犠牲者を憐んで、年分度者を置き兵人等に法華・最勝を習せ、三帰五戒を持たせるようにと御託宣された日。(宇佐八幡宮御託宣集(十三世紀))以下「宇佐八幡宮御託宣集」の記述。「聖武天皇天平二十年748戊子九月一日託宣したまはく。『古吾は震旦国の霊神、今は日域鎮守の大神なり。吾は昔は第十六代の帝王、今は百王守護の誓神なり。先には独り数万の軍兵を率し、すすんで隼人を殺害して大隅・薩摩を . . . 本文を読む
神道大意(吉田兼倶)より「神に三種の位あり。一には元神、二には詫神、三に鬼神なり。・はじめの元神とは日月星辰等の神なり、その光天に現じてその徳三界に至れり。しかれども直にその妙体を謁することあたわず。ゆえに浄妙不測の元神とす。・二には詫神とは、非情の精神なり。非情とは草木の類なり。地に着て気をはこび、空に出て形をあらわし、四季に応じて生老病死の色あり。しかれども全く無心無念なり。是を詫神と号す。・ . . . 本文を読む