福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

「十善法語」その85

2019-11-25 | 十善戒
又具に思惟すれば。是戒は不可思議の趣あるじゃ。経中に。寶間比丘と云者有り。初て具戒を受て佛所に往き。禮拝して佛に白す。既に受戒し竟る。云何修業して無漏聖道を得べきと。世尊云く。汝が物に非ずば取ることなかれと。

此比丘一言の教えを受け。禮拝し去て。樹下に至り石上に座具を布き、結跏趺坐して思惟す。大聖世尊の汝が物に非ずば取ることなかれとの教は。いかなる義ぞ。他の金銀財寶。禄位官爵は。此類何ぞ世尊の教を待ん。金口慇懃なる。此等の義に非じ。今我物と云。畢竟何ものぞ。今までの屋宅財寶。禄位官爵は。出家し了れば我物ならず。取べからずと決す。次に妻妾眷属の類。これも出家し了れば我物ならず。取べからずと決す。次に此五尺余の身體。頭目手足。是我物なるべきか。是も只是頑肉なり。父母の肉血の余分なり。生落し以来。衣服飲食。臥具医薬を以て養ひ来る底の物なり。終りに朽敗して土にきえする物なり。我物ならず。取べからずと決す。眼に色を見る。是我物なるべきか。此も内に眼根あり。外に色あり。中間に虚空あり。光明あり。衆縁和合して仮に此相あり。鏡にうつる影の如くで實體なし。我物ならず取べからずと決定す。次に耳に聲を聞く。これ我物成るべきか。此も内に耳根あり。外に聲あり。遠からず近からず。他の障碍なき時。衆縁和合して仮に此相あり。空谷の響きの如く。其の實體なし。我物ならず。取べからずと決す。乃至意に善悪邪正。是非得失を分別する。是我物なるべきか。此心も自ら心とは知らぬ。自ら心とは言ず。意と云う名も。心と云う名も。外より名つけし物。畢竟じて見聞覚知の影なり。その實體なし。我物ならず。取べからずと決す。

此時一切我相を離れ。廓然として初果に入り。再び思惟して羅漢果を成ぜしとある。是に宙て見よ。此不偸盗戒甚深じゃ。大機大用の人ならずば。その源底を盡すとは云はれぬじゃ。初め他の物を盗まぬより。終り羅漢に至り。菩薩に至り。逈然(けいぜん)獨脱し。諸佛の法蔵を開きて。一切衆生を救濟するまで。此不偸盗の戒相ならぬことはなきじゃ。
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