太平記巻四十 蒙古日本を攻むる事 付けたり神戦のこと(その2/2)
太平記に蒙古襲来にともなう神仏への祈願ぶりが出ています。「太平記巻四十 蒙古日本を攻むる事 付けたり神戦のこと」を前回に続いて引用します。
「春日野の鹿、熊野山の霊鳥、気比宮(敦賀市)の白鷺、稲荷山の命婦等、所々の仕者、悉く虚空を西へ飛び去ると、諸人の夢にもみえければ、さりともこの神達の助けにて、夷族を退け玉はぬ事あらじと思ふばかりに頼みをかけ、種々の幣帛を捧げ信心を凝らすところに、弘安四年七月七日、伊勢皇大神宮の禰宜荒木田尚良、豊受大神宮の禰宜渡会貞尚等を始めとして、十二人連記の起請文を捧げて上奏す。
二宮の末社、風の宮の神殿動揺すること良久し。昨日六日の暁天に及びて、かの宝殿より赤き雲一村立ち出でて、天地を輝かし山川を照らす。その光の中より夜叉・羅刹のごとくなる青色の鬼人現出して、土嚢の結目解く。大風その口よりふきいでて、砂漠を掲げ、大木どもを吹き抜くことおびただし。測り知んぬ、九州発向の凶族等、この日すなはち滅ぶべしと云う事を。事もし実ありて、奇瑞変に応ぜば、年来望み申しつるとことろの宮号、叡感の儀を以って宣下せらるべし。
されば、その日、太元國七万余艘の艨艟(もうどう、幅の狭い軍船)をふなよそおひして、文司・赤間関を経て、長門・周防へおしわたる。兵船すでに度中を渡るときまでは、さしも風止み雲おさまりたる天気、俄にかわりて恐ろしげなる黒雲一村艮の方より立ちいでて、大虚にうずまき覆ふとぞ見えし。
大風烈しく吹いて逆浪天に漲り、雷鳴霹靂して、電光地に激烈す。かかりりければ、蒙古七万余艘の兵船、あるいは荒磯の岩に当たって微塵に砕かれ、あるいは逆巻く波に打ち返されて、夷族悉く失せにけり。・・・」
「太平記巻四十 蒙古日本を攻むる事 付けたり神戦のこと」(引用終)
太平記に蒙古襲来にともなう神仏への祈願ぶりが出ています。「太平記巻四十 蒙古日本を攻むる事 付けたり神戦のこと」を前回に続いて引用します。
「春日野の鹿、熊野山の霊鳥、気比宮(敦賀市)の白鷺、稲荷山の命婦等、所々の仕者、悉く虚空を西へ飛び去ると、諸人の夢にもみえければ、さりともこの神達の助けにて、夷族を退け玉はぬ事あらじと思ふばかりに頼みをかけ、種々の幣帛を捧げ信心を凝らすところに、弘安四年七月七日、伊勢皇大神宮の禰宜荒木田尚良、豊受大神宮の禰宜渡会貞尚等を始めとして、十二人連記の起請文を捧げて上奏す。
二宮の末社、風の宮の神殿動揺すること良久し。昨日六日の暁天に及びて、かの宝殿より赤き雲一村立ち出でて、天地を輝かし山川を照らす。その光の中より夜叉・羅刹のごとくなる青色の鬼人現出して、土嚢の結目解く。大風その口よりふきいでて、砂漠を掲げ、大木どもを吹き抜くことおびただし。測り知んぬ、九州発向の凶族等、この日すなはち滅ぶべしと云う事を。事もし実ありて、奇瑞変に応ぜば、年来望み申しつるとことろの宮号、叡感の儀を以って宣下せらるべし。
されば、その日、太元國七万余艘の艨艟(もうどう、幅の狭い軍船)をふなよそおひして、文司・赤間関を経て、長門・周防へおしわたる。兵船すでに度中を渡るときまでは、さしも風止み雲おさまりたる天気、俄にかわりて恐ろしげなる黒雲一村艮の方より立ちいでて、大虚にうずまき覆ふとぞ見えし。
大風烈しく吹いて逆浪天に漲り、雷鳴霹靂して、電光地に激烈す。かかりりければ、蒙古七万余艘の兵船、あるいは荒磯の岩に当たって微塵に砕かれ、あるいは逆巻く波に打ち返されて、夷族悉く失せにけり。・・・」
「太平記巻四十 蒙古日本を攻むる事 付けたり神戦のこと」(引用終)