天台宗は心識の説よりいへば、第八識または第九識等の微細なる心識を立せず、六識説に依るものである。天台の説も支那における山家山外(心と現象のかんけいで双方に重点を置くのが山家派、心に重点を置くのが山外派)、また日本天台等その説くところ一様でないが、智者大師の摩訶止観の観不思議境(一心に十法界をもっていること)の説段や、法華玄義の二諦境(真諦・俗諦)の釈等には、摂論学派の阿梨耶識説(第八識no阿梨耶識を真妄和合識とし、第九菴摩羅識を立てて「浄識」とみなす)や、真如識を立つる地論学派の説を評破されてある。
蓋し天台にては第八識または第九識等の微細なる心識はこれ上位の菩薩の三昧定中に見る心識にして、これ本来の心にあらず、かかる心識を執して諸法の本源となすが如きは、これ菩薩無明の見となすものである。即ち天台よりいへば衆生の色心は、法爾として一性無性、体一互融、一に一切を摂する實相の体なり、しかるを衆生は差別の一相を妄執し、思識の當相、不思議解脱の体なることを知らざるが故に、この衆生の妄執を破せんが為に、色心に即して法性實相を体得する理趣を示す。随って法性と云ふもこれ色心未生以前に存する本性とか實体とかと解すべきものにあらず、されば第八識または真如を萬法能生の体となし、萬法未生以前に立つる冥諦の義に同じ、外道の我執に堕すとなすものである。
即ち天台にては色心の諸法並べ存し、共に三千円融の妙法なる玄趣を開顕するものなれどもこの玄趣を体得するの観法のときは、近要に約して心を観境となすものである。而もその心たるや無相の真心にあらずして、六識の事心である。即ち凡夫の執して以って個体我の根元となす、六識作用生起の當体、自性無自性にして個体我の認むべきなく、一念よく法界の萬有に融渉する一念三千の法を円具す、所謂凡夫迷情にて認むるところの、個体我の自体たる身心の當相、虚然として自体我の相として認むるべきなく、三千円融の法界の大我なる理趣を明かす而も三千の諸法を真諦第一義の境に認むるや否やは、後に釈する如く、此宗に於ける重要の問題なるも智者大師の摩訶止観(摩訶止觀卷第五正修止観)には「當に知るべし四句に心を求めるも不可得なり、三千お法を求めるも亦不可得なり、 (中略)言語の道は斷れ心行の處は滅す。故に不可思議境と名ずく。大經に云。『生生しょうじょう不可説。生不生しょうふしょう不可説。不生生ふしょうしょう不可説。不生不生ふしょうふしょう不可説』と、即ち此義也。當知べし、第一義中には一の法も不可得なり。況んや三千の法をや。世諦の中には一心に尚ほ無量法を具す。況んや三千をや。」
かかる文によれば、智者大師自ら世諦に三千差相の存在を認むるも、真諦第一義は三千の差相を冺ずる不可得無相言断心滅の体なることを顕示せるものである。
蓋し天台にては第八識または第九識等の微細なる心識はこれ上位の菩薩の三昧定中に見る心識にして、これ本来の心にあらず、かかる心識を執して諸法の本源となすが如きは、これ菩薩無明の見となすものである。即ち天台よりいへば衆生の色心は、法爾として一性無性、体一互融、一に一切を摂する實相の体なり、しかるを衆生は差別の一相を妄執し、思識の當相、不思議解脱の体なることを知らざるが故に、この衆生の妄執を破せんが為に、色心に即して法性實相を体得する理趣を示す。随って法性と云ふもこれ色心未生以前に存する本性とか實体とかと解すべきものにあらず、されば第八識または真如を萬法能生の体となし、萬法未生以前に立つる冥諦の義に同じ、外道の我執に堕すとなすものである。
即ち天台にては色心の諸法並べ存し、共に三千円融の妙法なる玄趣を開顕するものなれどもこの玄趣を体得するの観法のときは、近要に約して心を観境となすものである。而もその心たるや無相の真心にあらずして、六識の事心である。即ち凡夫の執して以って個体我の根元となす、六識作用生起の當体、自性無自性にして個体我の認むべきなく、一念よく法界の萬有に融渉する一念三千の法を円具す、所謂凡夫迷情にて認むるところの、個体我の自体たる身心の當相、虚然として自体我の相として認むるべきなく、三千円融の法界の大我なる理趣を明かす而も三千の諸法を真諦第一義の境に認むるや否やは、後に釈する如く、此宗に於ける重要の問題なるも智者大師の摩訶止観(摩訶止觀卷第五正修止観)には「當に知るべし四句に心を求めるも不可得なり、三千お法を求めるも亦不可得なり、 (中略)言語の道は斷れ心行の處は滅す。故に不可思議境と名ずく。大經に云。『生生しょうじょう不可説。生不生しょうふしょう不可説。不生生ふしょうしょう不可説。不生不生ふしょうふしょう不可説』と、即ち此義也。當知べし、第一義中には一の法も不可得なり。況んや三千の法をや。世諦の中には一心に尚ほ無量法を具す。況んや三千をや。」
かかる文によれば、智者大師自ら世諦に三千差相の存在を認むるも、真諦第一義は三千の差相を冺ずる不可得無相言断心滅の体なることを顕示せるものである。