Q、福を求めて祈り,お経を読むことは許されないのか?
A,福を求めて祈ることは、俗事のみにとらわれているよりはましであるが、利他心をもち仏法広宣のためとしておこなうことは俗事であろうとすべてが福因となる、
夢中問答集(無窓疎石)より・・・
問、福を求めて仏神を帰敬し、経呪を誦持するは許さるるや?
答、世の業をなして福を求むるよりも勝れたり・・。しかれどもたまたま人身を得て会い難き仏法に会うて、無上道をば求めずしてあたら経呪を誦持して世福を求むる人はことに愚なるにあらずや。古人いふ「世法の上において情を忘ずれば仏法なり。仏法の中において情を生ずればすなわち是れ世法なりと云々」・・ただ世間の名利のためなる欲情にて仏神を帰敬し、経呪を読誦せばいかでか冥慮にかなはむや。もし身命を助けて仏法を修行し、衆生を誘引する方便のためならば、世間の種々の事業をなすとも皆善根となるべし。もしまたその中に於いて仏法を悟りぬれば、前になすところの世間の事業、ただ衆生利益の縁となり仏法修業のたすけとなるのみにあらず、すなわち是不思議解脱(悟り)の妙用となるべし。法華経に「治生産業もみな実相にそむかず」と説けるはこの意なり。(妙法蓮華経法師功徳品に「
若し法華経を持たんは 其の身甚だ清浄なること 彼の浄瑠璃の如くにして 衆生皆見んと憙わん 又浄明なる鏡に 悉く諸の色像を見るが如く 菩薩浄身に於いて 皆世の所有を見ん 唯独り自ら明了にして 余人の見ざる所ならん
三千世界の中の 一切の諸の群萌 天人阿修羅 地獄鬼畜生 是の如き諸の色像 皆身中に於いて現ぜん
諸天等の宮殿 乃ち有頂に至る 鉄囲及び弥楼 摩訶弥楼山 諸の大海水等 皆身中に於いて現ぜん
諸仏及び声聞 仏子菩薩等 若しは独り若しは衆に在って 説法する悉く皆現ぜん
未だ無漏 法性の妙身を得ずと雖も 清浄の常体を以って 一切中に於いて現ぜん
復次に常精進、若し善男子、善女人、如来の滅後に、是の経を受持し、若しは読み、若しは誦し、若しは解説し、若しは書写せん。千二百の意の功徳を得ん。是の清浄の意根を以って、乃至一偈、一句を聞くに、無量無辺の義を通達せん。是の義を解し已って、能く一句、一偈を演説すること、一月、四月、乃至一歳に至らん。
諸の所説の法、其の義趣に随って、皆実相と相違背せじ。若し俗間の経書、治世の語言、資生の業等を説かんも、皆正法に順ぜん。
三千大千世界の六趣の衆生、心の行ずる所、心の動作する所、心の戯論する所、皆悉く之を知らん。未だ無漏の智慧を得ずと雖も、而も其の意根の清浄なること、此の如くならん。
是の人の思惟し、籌量し、言説する所有らんは、皆是れ仏法にして、真実ならざること無く、亦是れ、先仏の経の中の所説ならん。」)。
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