福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

福聚講、今日の言葉

2016-01-07 | 法話
「一人(いちにん)出家すれば九族天に生まる」という聖句があります(「五家參祥要路門」等)。九族とは高祖・曽祖・祖父・父・自分・子・孫・曾孫・玄孫のこと。一人一人を先祖供養しなくても、一族で一人出家すれば一族の業は消えて九族が天に生まれることができるということです。古来こういう言い伝えで一族から出家させられて高僧になった方も多いのです。


しかし先の「五家參祥要路門」には、出家とは「真の出家」であることを要する、とありました。ご先祖とつながっている現在の自分が救われてない(真の出家になってない)とご先祖も救われないということでしょう。逆に自分が真に救われれば(悟れば)、繋がっている全ての人々が救われ、九代前の父母までもが救われていくのでしょう。つまり僧侶になってなくても、維摩居士のように在俗のままでも真にさとれば当然一族は救われるのでしょう。

また我々はそこまでいかずとも常に日常生活で、高い心境を目指して生活すればより先祖を喜ばせ霊界で高い地位に送ることができ、その結果自分の運気が好転するということになるのでしょう。

よくこれだけ拝んでいるのに救われない、これだけ善行をしているのに救われない、という声を聞きますが、「これだけ拝んでいる、善行をしている」という意識をもっている間はまだ救われないのかもしれません。救われるためには布施行が必須ですが、その布施行は「三輪清浄」といって施者・受者・施物の三輪が清浄つまり「空」となっていなければならない、と言われます(大般若波羅蜜多經・大乗本生心地観経等)。そういういみではわすれっぽいことが救いになるのかもしれません。(自分も古希近くになり、この忘れっぽいという点だけは人後に落ちなくなりつつあります。)
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