今日は後水尾天皇の第一皇女文智女王が圓照寺住職となられた日
後水尾天皇の第一皇女文智女王は、寛永十七年(1640)、22歳で仏頂国師を師として出家、大通文智尼となる。大通文智は翌寛永十八年(1641)、京都の修学院の地に草庵を結んだ。これが圓照寺の始まりであり、寛文九年(1669)十一月十二日現在地に移転とのこと。
円照寺は、三島由紀夫の『豊壌の海』では『月修寺』のモデルと言われています。
平成7年に80歳で亡くなられた第十代山本静山門跡は、昭和天皇の妹君・糸子内親王とのこと。
今日は後水尾天皇の第一皇女文智女王が圓照寺住職となられた日
後水尾天皇の第一皇女文智女王は、寛永十七年(1640)、22歳で仏頂国師を師として出家、大通文智尼となる。大通文智は翌寛永十八年(1641)、京都の修学院の地に草庵を結んだ。これが圓照寺の始まりであり、寛文九年(1669)十一月十二日現在地に移転とのこと。
円照寺は、三島由紀夫の『豊壌の海』では『月修寺』のモデルと言われています。
平成7年に80歳で亡くなられた第十代山本静山門跡は、昭和天皇の妹君・糸子内親王とのこと。