福聚講・第13回坂東33観音霊場巡礼の記録(2010.6.6)
今回の巡礼先は、第28番札所・滑河山龍生院と第29番札所・海上山千葉寺。JR成田線・滑河駅改札口に10時集合。駅前から徒歩で、南の方向およそ1.7キロ先の龍生院へ。舗装道路の行く手の右側は、夏野が広がり、遠く利根川の堤防も見える。木立に囲まれた家々を過ぎて、歩くこと20分、龍生院に到着。
龍生院は、寺伝によると承和5年(838年)滑河の城主小田将治の発願により創建。開基は慈覚大師。縁起では、小田川から観音像を掬いあげ将治に与えた老僧が「この淵に湧く乳水をなめよ」と教え、そのお告げのとおりにすると領民の病も穀物の実りも回復したと伝える。本尊は、定朝作、一丈二尺の十一面観世音菩薩(掬い上げられた観音像は胎内に納められているとのこと)。
仁王門は、永任六年(1298年)に再建された室町時代の遺構で、重要文化財。茅葺きで、中央に掛けられたおおきな注連縄が目を引く。また八脚四柱の安定した造りで、仁王像は「火伏せの神」として信仰を集めている。
観音堂(朱塗り方五間、入母屋造り)は元禄九年(1698年)に再建された、緑色の屋根に朱塗りが映える色彩豊かなお堂。欄間の彫刻、狩野派による天井絵、2頭の馬の彫刻等色あせてはいるが、なかなか凝った造り。背後の木々の青葉が発散する香りに包まれて、般若心経3巻・観音経3巻納経。穏やかな光りの中で、心も澄んでいく。
10時55分、龍生院発、徒歩20分で11時15分に滑河駅へ。11時28分発、千葉行きに乗車、12時15分千葉駅着。
千葉駅から南へ歩くこと約3キロ、12時50分、千葉寺着。千葉寺は、千葉市中央の官庁街を抜け、少し小高くなった大網街道沿いに建つ。境内は広く、創建当時に植えられたと云う大銀杏は県天然記念物で、高さ30メートル、幹囲8メートル、推定樹齢千年という。見上げると大空を覆うごとくに伸びている幹。枝葉が鬱そうと重なり合って生い茂り、青々とした生気をみなぎらせている。今なお成長のただ中にある大銀杏は、見るものを創建当時の時代に引きずり込む。
縁起では、和銅3年(709年)、行基菩薩が当地錫杖のおり、池の青蓮華花中で弥陀如来、観音大士が説法しておられる瑞祥を見、丈六の観音像を刻み奉安したのが始まりと伝える。仁王門(単層入母屋造り)は、天保2年(1841年)の再建。観音堂は、戦災で焼失後、昭和51年(1976年)再建。般若心経7巻、観音経3巻、十三仏ご真言各7巻を、観音堂にて納経。いつもより速い読経は、リズム良く、雑念が消えていく。自然に身をゆだねて、時のたつのを忘れた。大師堂で般若心経1巻納経。遅い昼食休憩の後、14時30分に寺を辞す。徒歩30分で千葉駅へ。15時、千葉駅着。打ち上げ後、解散。
参加者:高原講元、高橋、岡村、有薗2人、菊池、佐竹、鈴木、角田、渕野、細田、
関口2人の各氏、13名。
今回の巡礼先は、第28番札所・滑河山龍生院と第29番札所・海上山千葉寺。JR成田線・滑河駅改札口に10時集合。駅前から徒歩で、南の方向およそ1.7キロ先の龍生院へ。舗装道路の行く手の右側は、夏野が広がり、遠く利根川の堤防も見える。木立に囲まれた家々を過ぎて、歩くこと20分、龍生院に到着。
龍生院は、寺伝によると承和5年(838年)滑河の城主小田将治の発願により創建。開基は慈覚大師。縁起では、小田川から観音像を掬いあげ将治に与えた老僧が「この淵に湧く乳水をなめよ」と教え、そのお告げのとおりにすると領民の病も穀物の実りも回復したと伝える。本尊は、定朝作、一丈二尺の十一面観世音菩薩(掬い上げられた観音像は胎内に納められているとのこと)。
仁王門は、永任六年(1298年)に再建された室町時代の遺構で、重要文化財。茅葺きで、中央に掛けられたおおきな注連縄が目を引く。また八脚四柱の安定した造りで、仁王像は「火伏せの神」として信仰を集めている。
観音堂(朱塗り方五間、入母屋造り)は元禄九年(1698年)に再建された、緑色の屋根に朱塗りが映える色彩豊かなお堂。欄間の彫刻、狩野派による天井絵、2頭の馬の彫刻等色あせてはいるが、なかなか凝った造り。背後の木々の青葉が発散する香りに包まれて、般若心経3巻・観音経3巻納経。穏やかな光りの中で、心も澄んでいく。
10時55分、龍生院発、徒歩20分で11時15分に滑河駅へ。11時28分発、千葉行きに乗車、12時15分千葉駅着。
千葉駅から南へ歩くこと約3キロ、12時50分、千葉寺着。千葉寺は、千葉市中央の官庁街を抜け、少し小高くなった大網街道沿いに建つ。境内は広く、創建当時に植えられたと云う大銀杏は県天然記念物で、高さ30メートル、幹囲8メートル、推定樹齢千年という。見上げると大空を覆うごとくに伸びている幹。枝葉が鬱そうと重なり合って生い茂り、青々とした生気をみなぎらせている。今なお成長のただ中にある大銀杏は、見るものを創建当時の時代に引きずり込む。
縁起では、和銅3年(709年)、行基菩薩が当地錫杖のおり、池の青蓮華花中で弥陀如来、観音大士が説法しておられる瑞祥を見、丈六の観音像を刻み奉安したのが始まりと伝える。仁王門(単層入母屋造り)は、天保2年(1841年)の再建。観音堂は、戦災で焼失後、昭和51年(1976年)再建。般若心経7巻、観音経3巻、十三仏ご真言各7巻を、観音堂にて納経。いつもより速い読経は、リズム良く、雑念が消えていく。自然に身をゆだねて、時のたつのを忘れた。大師堂で般若心経1巻納経。遅い昼食休憩の後、14時30分に寺を辞す。徒歩30分で千葉駅へ。15時、千葉駅着。打ち上げ後、解散。
参加者:高原講元、高橋、岡村、有薗2人、菊池、佐竹、鈴木、角田、渕野、細田、
関口2人の各氏、13名。