福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

角田さんの第八回江戸33観音東京10社巡拝記2/4

2015-12-13 | 開催報告/巡礼記録
2/4,午前11時15分。寶福寺から、徒歩15分のところに、この日第2番札所・東円寺があります。


江戸三十三観音(昭和新撰江戸札所)第19番札所 医王山 悉地院 東円寺(東京都杉並区和田2-18-3)

本尊 聖観世音菩薩 宗派 真言宗豊山派


由緒 天正元年(1573年)備後国の僧、祐海(一説には、秀海)が、開山したと伝えられています。本堂は、徳川家康が、入府した頃に、九州から出府した、三谷氏の発願により改築されたと伝えられ、さらに、昭和7年に、再改修したものです。境内にある観音堂は、江戸三十三観音の第十九番札所であり、また、六地蔵石像は、寛政8年(1796年)に建てられたものでしたが、破損がはなはだしく、近年、新たに造立したものです。墓地入口には、かつての”妙法寺道”の北側にあった「十三塚の碑」が遷されています。文化財として、康永3年(1344年)・至徳3年(1383年)銘の板碑が保存されています。

当寺の飛境内(和田1丁目13番地)には、お不動様が、祀られています。このお不動様は、大山不動尊の道しるべであったと伝えられるもので今も人々の信仰を集めています。江戸時代では、霊験四方に聞こえ、観音堂の香煙耐えなかったとあります。昭和41年(1966年)兼住宥神が観音堂を鉄筋コンクリート造りに再建しました。(由緒札より)


頑丈な鉄筋コンクリートで造築された、豪勢な山門。厚い石板を敷き詰めて作られた境内の参道。沿道沿いに植えられた松や緑の小木が僅かに、心を慰めてくれます。観音堂で、勤行をあげました。


私の個人的な偏見かもしれませんが、どうしても、コンクリート造りの寺院は、信心深かった昔の人々の空気・気配などの歴史の雰囲気が感じられず、人を容易に寄せ付けない冷たい感じがするのです。たしかに、お寺も、江戸=東京。それも、都内とくれば、思うように広い境内も取れず、ほとんどの社寺は、住宅の密集した町の中で、一戸建ての住宅より、住居効率と経済を重視した高層ビルやマンション取り囲まれて、辛うじて、寺の存在を主張するかのように建つています。周りの建物は、鉄筋コンクリートなので、お寺も、半永久的な仕様で、鉄筋コンクリートの機能性を重視して造らざるを得ないのでしょう。そして、問題なのは、昔とは違って、これらのビルや、マンションに移り住んできた人たちは、殆ど,近隣の人たちと没交渉で、隣同士でも、滅多に交渉がないそうです。町内会も、新たに入会する人は殆どなく、その対策に苦慮しているのが、実情のようです。


都市の近代化、文明化というのは、人々の交渉をを阻害する方向に向い、隣組同士の助け合いなどは、とうの昔の御伽噺になりました。当然、お寺の檀家の数も減少して行くでしょう。世代交代が進み、若い世代になるほど、古い世代の宗教感覚が衰退してきて、信仰の習慣も途絶えてきつつあるようです。


御詠歌 あなとうと 救世の光り 今の世に つきぬ利益ぞ 有明の月



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