地蔵菩薩三国霊験記 6/14巻の11/22
十一、 合戦に矢を拾ひ給ふ事
中古江州愛智郡賀野村に古寺あり(滋賀県愛知郡愛荘町岩倉663矢取地蔵堂(仏心寺)は今も平師道が建立した勝負の神様として信仰されている)。其の本尊は地蔵尊を安置す。草創を原(たずぬる)に検非違使平師道が曩祖(のうそ・先祖)の建立する所也。然るに師道其の職として武勇を業とし弓馬を宗とす。時未だ平らならぬ折なれば慮(はから)ざる敵の為に襲れ死生を忘れて合戦す。師道が即従残少なに打ち成りし主従六騎前なる沼を隔てて矢種を命の天數と指つめ引つめて射るほどに既に矢種を尽くしける。元来思切たる事なれば最早これまでぞ者共と生害を究る所に小法師一人敵の楯の影より走り出て矢場に入て矢を拾って師道にぞ射させける。其の矢一手も誤またず猛勢の敵を退けぬ。静まりて後思ふやう、何様佛の感應ならんと彼の氏寺に参詣して看房にあんなる浄房に御戸を開かして拝し奉れば不思議や御後ろに白羽の矢一つ射付けられ給ひき。師道餘りの不審さに合戦の時法師の矢を拾ひ得させ玉ふ躰を物語しじぇれば浄蓮(鎌倉初期の天台系の僧、実朝等が帰依)言く、汝知らずや、凢そ一十三の異形を現し給ふ中に勝軍の像在すを。豈彼の矢場の法師は薩埵の應化誣ふべからざるのみ。即ち彼の經に説かく、刀杖不加、毒不能害云々(妙法蓮華經卷第五安樂行品第十四「天諸童子 以爲給使 刀杖不加 毒不能害」)。古徳の云く、為利生者、強交悪人之中、為持念者、殆受毒箭之害云々。
武夫たるひと信ずべき哉とぞ談ぜらる。師道膽に通じて弥よ修造を加らるとぞ。