三代実録 / 貞観十五年873/十一月十三日甲戌条
十三日、(清和天皇)詔して言うには、垂鴻は徳を一とする。道に違う者はまずその行いを乱す。歴象は天に同じ。常を変える者はすなわちその怒りに遭う。朕の政は寒暑なく、化は水波に負う。陵遅の運を仰いで洪緒(帝王が国家を統治する大業)に慙ず。十一年に至るに及び、夏旱の映は常時よりも甚だしく、桂璧はむなしく山沢の霊に投じ、魚竜はほとんど淵源の府(都)を失う。朕念ずること三復(度)、過は一人に在り。麁衣にして天下之温を待ち、菲食をし以って天下之飽を思ふ。而して卿等は心を推して唱和し、敢て承り往来し、論奏は一成し、懇誠自露す。 遂に王公を減封し 諸臣の禄を省す。縦たとへ旧制の如く率せしむとも 伏臘(真夏の三伏の日と、陰曆十二月の極寒の日)の費支へ難し 何況んや、法、恒規を損するをや。 朝夕之儲(儲け)逾(はるかに)乏し、 朕之思ひ焦る。 已に炎涼に渉る、 如聞 今茲に収蔵害せず 民庶稍休 畝に栖む余糧を望むに非ず 蓋し聞く、裁路之れ黍多き而已。夫れ先王の政たるや、急に於いては弛め、緩においては張る。年荒ば用を節す。節なければ以て存することあたはず。穀熟常に復さず。復さざれば膽を以てすべきこと難し。よろしく太后大后、皇太后宮、春宮の坊封及び服用、五位以下の封禄、諸王の季禄等、往年減省の物、自今以降、旧に仍り減ずる莫れ。唯朕躬に在る。徳浅く責め深し。尭の冷葛、舜の軽榴、朕未だ彼の垣墻を窮ずと雖も而も今珍麗を恨む。群槖(ぐんたく・小さな袋のよせあつめ)の器を以て片漆の能堅する所に非ず。屢空(よく窮乏する)の民、豈に一秋能富の所に成ざらんや。是の故に朕の服・御常膳・左右馬寮秣穀、或は分折し或は権停の類、尚ほ前令の如くし更に加進せず。普く遠近に告ぐ、朕行を拒む莫れ。」
(十三日、詔して言うには、垂鴻は徳を一とする。道に違う者はまずその行いを乱す。歴象は天に同じ。常を変える者はすなわちその怒りに遭う。朕の政は寒暑なく、化は水波に負う。陵遅の運を仰いで洪緒(帝王が国家を統治する大業)に恥じる。十一年に至るに及んで、夏の日照りの映は常時よりも甚だしく、桂璧はむなしく山沢の霊に投じ、魚竜はほとんど淵源の都を失う。朕は三度繰り返して念うに、過は一人我にある。粗末な衣服を着て天下が温まるのを待ち、粗末な食事をして天下が満足するのを思う。しかし、卿等は心を推して唱和し、敢えて承り往来し、論奏は一となって、懇誠(丁寧で真心がこもっていること)は自然と露わになり、遂に王公は封を減じ、諸臣は禄を省いた。たとえおおむね旧制のようにしても、伏臘(夏祭・冬祭)の費用を支えがたい。どうして、ましてや法が恒例の分を減らして、朝夕の儲がいよいよ乏しくなるようにできるだろうか。朕は心を悩ませ、すでに歳月がたつ。聞くところ、今年は収蔵が被害にあわず、民庶はやや休むと。畝の耕作の余分の食糧は見ず、思うに道に満ちる黍が多いことを聞くのみである。先王の政たるや、急においては弛め、緩においては張る。年が荒れれば費用を減らす。減らさなければ存することができない。穀物が熟せば常に戻す。戻さなければ足ることが難しい。太皇大后・皇大后宮・春宮坊の封と服用、五位以上の封禄、諸王の季禄等の往年減少の物はこれより以後、旧にしたがって、減らすことのないようにしなさい。ただ朕の身に至っては、徳が浅く責めは深い。尭の冷葛や舜の軽榴は、朕はいまだその垣墻を窺っていないけれども、今珍麗であることを恨む。蠧が群れとなっている器をわずかの漆がよく堅くできるものではない。いつも蓄え空しい民をどうして一秋でよく富ませられるだろうか。これゆえに朕の服・御常膳・左右馬寮の秣穀で、或いは分け減らし、或いはかりに停止した類は、なお前令の通りとし、更に加え進めることのないようにしなさい。広く遠近に告げ、朕の行いを拒むことのないようにと。)