正和三年1315八月二十三日、後宇多法皇は悉曇伝受記録を書せられています。以下「宸翰英華」等に依ります。
後宇多法皇は正和三年は八月二十三日、槇尾平等心王院に於いて我寶(注1)から悉曇大事を伝受し給いました。即その夜記録された伝授録の御記で他に我寶の印信五帖・印信口決一帖とがあり何れも宸筆で御包紙にも宸筆の御批記がある。(「大覚寺重文・後宇多天皇宸翰悉曇印信口決2帖・悉曇印信文5帖(附:後宇多天皇宸翰包紙2枚)」として残っている)。我寶は廣澤・小野の両流を伝持しておりいまだ何人にも授けなかった(注2)
(注1、我宝については、『金剛峯寺諸院家析負輯』巻四には、「自性上人諱我寶。後宇多帝之御宇住當院專爲三密持念之道場。瑜伽行業厥德難測。後移住洛西槇尾山。著述之畫數部深述密敎奥旨竝行于世矣 」とあり、我宝はまず後宇多法皇の御宇である定光院に住して、その後に自性院を建立しさらに後宇多法皇の勅により、槇尾山平等心王院に転住している。また『東宝記 』巻六には、「應長二(改正和元)年壬子二月廿一日、依道我僧正于時權少僧都、勸發自性上人我寶、創令講心經祕鍵、巳剋鎮守八幡宮、
未剋西院御影堂、聽衆濟々、異門正道所成群也。同廿七日結願畢、後宇多院有叡感、被成永代御願所、及料所御
沙汰也」とあり、 これによれば、道我の依頼により東寺にて『般若心経秘鍵』を講じていた。密教辞典によれば我宝は三寶院流の實賢―定淸―定融―我寶自性上人(槇尾流)となり淸我等四人の弟子に附法している。)
(注2、悉曇について廣澤・小野の流派の違いは不詳、ただ悉曇も面授であるから当然違いはあったであろう。)
法王は稽古の浅きを憚り給ひていたが我寶に万一のことがあれば教相が途絶えると憚りたまひ、親しく我寶の草庵を尋ねて伝授を請い、正和三年1315八月二十一日以降当寺御影堂に参篭して閼伽井の水を汲み苦行せられて我寶の平癒を願い終夜観念を凝らされた。かくして始めて大事を受けて本懐を遂げられたのである。
「正和三年八月二十三日、於槇尾山平等心王院、随我寶聖人、傳受悉曇大事七巻、深極究源底、既訖、帰神護寺曼荼羅院旅宿、夜静人定之後、於燭下、書寫先師口決等、印信血脈等、聖人雖可染自筆、病中有煩、仍可染短筆之由命、仍寫之、冊子五帖、相承印信一枚幷口決一帖、所書決草紙五帖、讀授之、次印信、次血脈、次口決一帖、如此傳授之委細口決、云、所詮三箇印本、秘経説也、本さんまや(梵字)印者、序品説五古印之文、以此印、為印母、愛染王品説五古印、以縛印為印母、五種相應印者、以二水入縛、是等皆同印、以印母示所表也、今本さんまや(梵字)幷金剛者、彼處々印母也、合掌者本有體也、理智五大住本有、故縛者互相渉入五大也、水者萬法成就唯在水大、故五種悉地以之為本也 廿四日向聖人菴 傳受造作秘決」
後宇多法皇は正和三年は八月二十三日、槇尾平等心王院に於いて我寶(注1)から悉曇大事を伝受し給いました。即その夜記録された伝授録の御記で他に我寶の印信五帖・印信口決一帖とがあり何れも宸筆で御包紙にも宸筆の御批記がある。(「大覚寺重文・後宇多天皇宸翰悉曇印信口決2帖・悉曇印信文5帖(附:後宇多天皇宸翰包紙2枚)」として残っている)。我寶は廣澤・小野の両流を伝持しておりいまだ何人にも授けなかった(注2)
(注1、我宝については、『金剛峯寺諸院家析負輯』巻四には、「自性上人諱我寶。後宇多帝之御宇住當院專爲三密持念之道場。瑜伽行業厥德難測。後移住洛西槇尾山。著述之畫數部深述密敎奥旨竝行于世矣 」とあり、我宝はまず後宇多法皇の御宇である定光院に住して、その後に自性院を建立しさらに後宇多法皇の勅により、槇尾山平等心王院に転住している。また『東宝記 』巻六には、「應長二(改正和元)年壬子二月廿一日、依道我僧正于時權少僧都、勸發自性上人我寶、創令講心經祕鍵、巳剋鎮守八幡宮、
未剋西院御影堂、聽衆濟々、異門正道所成群也。同廿七日結願畢、後宇多院有叡感、被成永代御願所、及料所御
沙汰也」とあり、 これによれば、道我の依頼により東寺にて『般若心経秘鍵』を講じていた。密教辞典によれば我宝は三寶院流の實賢―定淸―定融―我寶自性上人(槇尾流)となり淸我等四人の弟子に附法している。)
(注2、悉曇について廣澤・小野の流派の違いは不詳、ただ悉曇も面授であるから当然違いはあったであろう。)
法王は稽古の浅きを憚り給ひていたが我寶に万一のことがあれば教相が途絶えると憚りたまひ、親しく我寶の草庵を尋ねて伝授を請い、正和三年1315八月二十一日以降当寺御影堂に参篭して閼伽井の水を汲み苦行せられて我寶の平癒を願い終夜観念を凝らされた。かくして始めて大事を受けて本懐を遂げられたのである。
「正和三年八月二十三日、於槇尾山平等心王院、随我寶聖人、傳受悉曇大事七巻、深極究源底、既訖、帰神護寺曼荼羅院旅宿、夜静人定之後、於燭下、書寫先師口決等、印信血脈等、聖人雖可染自筆、病中有煩、仍可染短筆之由命、仍寫之、冊子五帖、相承印信一枚幷口決一帖、所書決草紙五帖、讀授之、次印信、次血脈、次口決一帖、如此傳授之委細口決、云、所詮三箇印本、秘経説也、本さんまや(梵字)印者、序品説五古印之文、以此印、為印母、愛染王品説五古印、以縛印為印母、五種相應印者、以二水入縛、是等皆同印、以印母示所表也、今本さんまや(梵字)幷金剛者、彼處々印母也、合掌者本有體也、理智五大住本有、故縛者互相渉入五大也、水者萬法成就唯在水大、故五種悉地以之為本也 廿四日向聖人菴 傳受造作秘決」