祈願して目が明いた話二話
1,「古今著聞集」「盲人熊野社に祈請して開眼の事」(三年も祈願した盲人がお陰がないので熊野権現をうらんでいるとお陰を受け懺悔する話です。)
「熊野に盲のもの斎燈をたきて眼のあきらかならん事を祈るありけり。此勤三年に成りけれども、しるしなかりければ、権現を恨みまゐらせて打ふしたる夢に、『汝が恨むる所、そのいはれなきにあらねども、先世の報をしるべき也。汝は日高の魚にてありしなり。彼の河の橋を道者わたるとて、南無大悲三所権現と、上下諸人唱奉る聲をききて其の縁によりて魚鱗の身をあらためて滴(たまたま)うけがたき人身を得たり。此の斎燈の光にあたる縁をもて、又来世に明眼を得て次第に昇進すべき也。此の事をわきまへずして、みだりに我を恨る、おろかなり』と、はじしめ給ふとみてさめにけり。其の後懺悔して一期をかぎりて此役を勤めける程に眼も開きにけり。」
2,元亨釈書巻二十九「摂州水田郡の沙門徳滿、年二十にして盲ひ二歳を過ぐ。鞍馬寺に詣でて之を祈るに応無し。又長谷寺に詣で一七日を期して祈求す。第七夜に到り夢に老比丘告げて曰く『我力及ばず。汝當に近州彦根山観音霊場(注1)の如きに懇請すべし』。満、教えの如くす。第三日初夜、忽ちに眼開きて燈を見る。眼根元の如し。承歴三年也。此れより満は此に居して修練と云ふ。」
(注1)北野寺のことか。養老4年(720)、元正天皇の勅願を受けて護命上人によって彦根寺の名で彦根山(金亀山)に創建された。平安時代は観音信仰で賑わっていた。