福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

今日の定例会模様

2017-02-18 | 開催報告/巡礼記録
今日の定例会模様。
今日は昨日までとは打って変わっていつもの寒さに戻りましたが、護国寺境内は御開帳の日ということもあって、老若男女の参拝者が多く行き交っています。最近頓に護国寺の参拝者も増えたように思います。そしてなにより驚くのが一言地蔵様の前に行列ができるようになったことです。いつ来ても一言地蔵様の前には若い人を中心にお参りの人が数人ずつ列を作っているのです。以前は見たこともないような光景です。わたしもこのお地蔵様を何年も拝んだおかげで継母との亀裂が奇跡的に修復しましたが、やはりこの一言地蔵様の霊験が有難いということがジワジワと浸透してきているのかもしれません。
 境内には、御開帳の日であるということで、白赤黄青黒(大日、宝幢、開敷華王、無量寿、天鼓雷音を表わす)の吹き流しが何本もたてられています。この吹き流しは佛法の進軍を表すもので、長い吹き流しが風にそよぐ様はいかにもありがたい気がします。
いつものように私は、一言地蔵様、身代わり地蔵様、大師堂、大日如来様、薬師堂等を七回拝んで回りました。こうしておがむといつも三時からの読経がありがたくなるのです。

 時間になると、いつものメンバー以外にも久しぶりの参拝の方もお見えになり、御開帳された光顔巍巍たる如意輪観世音様のお姿を拝しつつ観音経全巻をあげました。今日は講員の方々の読経に「法味」がでてきており、仏さまも眷属もお喜びになっている、と感じました。お香もいつもよりいい香りがします。本堂には15日の涅槃会の時にかけられた涅槃図がそのまま残されていました。ありがたいご配慮です。
涅槃図の解説はここにあります。
護国寺のお参りの後、1月に地元の古老が突然教えてくれた、護国寺の鎮守様であった今宮神社に皆さんでお参りに行きました。私にとっては数十年の願いの護国寺の鎮守社詣でです。今宮神社は護国寺から鳩山邸の前を通り歩いて15分程度です。
 今宮神社は、元禄10年(1697)桂昌院殿の発願による護国寺建立と共に京都柴野今宮神社より御分霊を迎えて護国寺境内に創建、明治6年神仏分離により当地に遷座したといいます。ご祭神は、天照大御神、素盞嗚尊、伊邪那美命、誉田別尊(ほんだわけのみこと、応神天皇のこと、母神功皇后が孕んだまま三韓征伐した)、天児屋根尊(あめのこやねのみこと、春日大明神のこと岩戸隠れの際、岩戸の前で祝詞を唱え、天照大神が岩戸を少し開いたときに太玉命とともに鏡を差し出した)大国主命、事代主命(ことしろぬし、大国主の子)、速玉大神、大宮比売命(おおみやひめ、太玉命の子、天照に仕えた)、少毘古那命(すくなびこなのみこと体の小さい神で、大国主神と協力して国づくりを行った。)猿田彦命(天孫降臨時に瓊瓊杵尊を道案内した国津神)、菅原道真公です。皆で般若心経一巻をあげました。
境内には、天日鷲神社(あめのひわし、明治9年に音羽の紙漉家一同が紙祖神である阿波国忌部神社から分霊を迎えた神社)もありました。天日鷲神社には「道にただ、身をば捨てんと思ひとれ、必ず天の助けあるべし(島津日新斎)」という神社庁の「今月の言葉」がかけてありました。自分にとっては、福聚講を身を捨てるくらいの覚悟で一生懸命やれ、と発破をかけられているように感じました。
 神社で般若心経ご法楽の後は少し戻ってロイヤルホストに入り、しばし信仰談義にふけりました。今日は「先祖供養が開運の元である。講元自身も高野山奥の院での先祖供養を繰り返すことにより絶体絶命のピンチを脱することができた」という話をしました。また「先祖供養は、先祖が以前拝まれていた宗旨で供養しなければ先祖は迷うばかりである、他宗に転向した家で不幸が相次いでいるケースもある」との趣旨の話もしました。

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