聖徳太子は一族を日本国の人柱とされたこと
聖徳太子の一族は滅びていますが今までこれを不思議におもっていましたがその深い理由が分かった気がしました。結論は「一族をして日本国の為に人柱となし給うた」と云う事です。以下の「法隆寺の玉虫厨子の捨身飼虎図(参考1)」と「徒然草第六段(参考2)」「大和古寺風物誌・亀井勝一郎(参考3)」によりわかります。
参考1,法隆寺の玉虫厨子の捨身飼虎図は有名です。菩薩本生鬘論等に出てくるお話でお釈迦様は前世で薩埵王子だったとき、飢えた虎とその7匹の子のためにその身を投げ与えて虎の命を救った、というおはなしです。これは自己犠牲の精神を説いたものと思っていましたが最近、これはとんでもないことを説いている図であると思うようになりました。
つまりそれは一見「弱肉強食」と見えるこの世界を真理の目で見たら逆になるということを説いているのではないかということです。われわれは生物の命を日々奪って生きながらえています。すべての生物がそうです。食物連鎖は厳然として宇宙の始まり以来続いていますがこれをどう考えていくかです。食べる側は「弱肉強食」ですが食べられる側は
「捨身飼虎」です。食べる人間は「虎」で、食べられる動植物たちは「薩埵王子」です。
菩薩本生鬘論によればお釈迦様はこの薩埵王子で、当時の父親が今の淨飯王、后が摩耶夫人、兄が弥勒と文殊菩薩、虎が「姨母」、七匹の虎子は「大目乾連、舍利弗、五比丘是也」とあります。即ち願心をもった「捨身飼虎」という行為により関係者を「出離」せしめているのです。
参考2,徒然草第六段「聖徳太子の、御墓をかねて築かせ給ひける時も、『こゝを切れ。かしこを断て。子孫あらせじと思ふなり』と侍りけるとかや」
参考3、大和古寺風物誌・亀井勝一郎「太子が救世菩薩として仰がるる所以は、救いや解決を現世に与え給たもうたからではない。現世の昏迷に身を投じ、救いも解決もなく、ただ不安に身を横えられたその捨身故にこそ菩薩として仰がるるのである。」