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・三代実録 / 貞観五年(863)正月廿七日庚寅条
「廿七日庚寅 御在所及び建礼門・朱雀門に於いて大祓の事を修す。 以って災疫を攘す也。京師の飢病尤も甚しき者に賑給す。 去年冬末より是月に至るまで 京城及畿内畿外 多くが咳逆を患ひ 死者甚だ衆し矣」(廿七日、御在所と建礼門と朱雀門で大祓を行った。災疫をはらうためであった。京の飢病のもっともひどい者に救済物資を支給した。去年冬末よりこの月まで、京城や畿内畿外で多くの人が咳逆を患い、死者が非常に多かった。)
・.三代実録 / 元慶元年(877)正月廿七日己亥条
「廿七日己亥 去年亢旱 京師及畿内諸国飢饉 河内和泉尤甚と為す。 公卿会議し 東西京中に常平司を置き 官米を出売し 亦た使を河内和泉両国に遣り絶乏戸に賑給す。」
(廿七日、去年大日照りがあり、京師と畿内諸国で飢饉があった。河内・和泉がもっとも甚だしかった。公卿が会議して、東西京中に常平司を置き、官米を出し売り、また使を河内・和泉両国に遣わし、物がなく貧しい戸に救援物資を支給させた。)
・日本紀略 / 延長元年(923)正月廿七日壬寅条
「廿七日壬寅 名僧十口於紫震殿 限三箇日 臨時御読経 為攘咳病也」