地蔵菩薩三国霊験記 8/14巻の12/13
十二、 宇治橋寺地蔵の事
大和國宇多郡(奈良県宇陀市)に紀文時と云ふ信心堅固の人侍りき。卒病(急病)の為に犯されて俄かに絶入にけり。さきだちて聞きし如くに闇き穴道をとほりて琰王の宮に至りぬと覚へて種々の罪人を羈(つなぎ)て善悪を評して沙汰せられしが爰に沙門一人来たり玉ひての玉ひけるは、汝はいまだ廳庭には召されまじき人なり。聊か本国へ皈るべし。汝一生の間此の文を持ちて此の心を修行すべし。若し能く修行せば後生は善處に生じて永く悪道を免るべしとて、御手に持ち玉ふ錫杖を打振り、此の文を授け玉ふ。「諸悪莫作 衆善奉行」。此の文を誦せよと示し給へり。文時申されけるは、上人は何方に御坐すと。僧の曰く、我は汝が本国にては地蔵と号す。在所は宇治の橋寺の宝蔵に住せり。志あらば尋ね来るべしと云々。さて蘇生の後彼の寺に参り此の由を申して宝蔵を開きて拝見すれば御長三尺の地蔵の像在す。是は聖徳太子白齋國より渡りけるを御秘蔵なされし畫像なり。本朝には此の像始めて渡玉ひけるなり。それより此の方地蔵の御形をば人々拝し奉りける日本最初の像なりとぞ。