福聚講護国寺定例参拝記録
福聚講(高原耕曻講元)は、7月20日(土)午後3時から、東京・文京の大本山・護国寺で定例の参拝を行いました。この日は、テレビ放送では台風が九州地区に襲来して記録的な大雨を降らせ、特に長崎五島地区は、警戒警報「5」の非常事態に見舞われたことを繰り返し伝えていました。降雨量を伝える表現は、「50年に一度」「猛烈な雨量」だとか、「不要不急の外出を慎め」とか「自分の命は、自分で守れ」とか、事態の緊急を伝えるアナウンサーは絶叫していました。
一転して東京は7月になっても日照日がなく、じめじめした日が続いています。豪雨災害にならないのがせめてもの慰めでしょうか。この日の午後の護国寺境内は人影は少なく、ひっそりとした佇まいで訪れる参詣者もまばらの数でした。しかし一言地蔵様の前に若いお母さんと小さな男の子が熱心に参拝していて胸を打たれました。また若い二人連れも境内をお参りしており有難いことでした。最近では若い人たちの方がしっかりしているようです。
気温は30度を超し暑い外気が漂っていました。山門の休憩所広場には人影もなく気怠い午後の雰囲気を漂わせていました。台風報道の影響のせいでしょぅか
人影の少ない護国寺の境内は松の緑が黒く変色した様にもみえ、いつもと違った異様なシユールな情景に見えます。
しかしそこは大本山・護国寺です。本堂の祭壇の前では、ひざまずいて一心に祈っているご婦人の姿がありました。
高原講元様が着席し拍子木を打って観音経読誦の音頭をとって戴きます。参詣講員が、一人ずつ、ご本尊 に向かって、お焼香しご真言をお唱えしながら 祈願いたします。
般若心経・観音経に続いて、この日は私(角田)が「追善供養和讃」の御詠歌を詠唱しました。
密厳流御詠歌「追善供養和讃」です。
「散り行く花を惜しめども
また咲く春のあるものを
逝かしし君がみ姿に
再び会わん由も無き
されどみたまはとこしえに
いかでか消えん消えぬべき
むらさき雲のたなびける
み国にこそはいますなれ
あの世この世と隔つれど
通わす心ひとすじに
おなじ覚りの道あゆむ
契りはとわに尽きせじな
今日しもゆかりの日をむかえ
面影しのぶ法の場(にわ)
みたまよ我等がまごころの
厚き手向(田向)をみそなわせ
供養の誠ささぐるも
受くるも共にみ仏の
恵みの光につつまれて
きよき集いの尊しや
「詠歌」 灯影
亡き人の亡き人の
この世に在りし 面影を
御霊りて 偲ぶ灯火」
本堂参拝の後は薬師堂・大日如来・六地蔵・大師堂・一言地蔵様などのところでご真言をあげておまいりします。
その後いつものようにジョナサンに寄ります。高原講元様は、
「自分のこころの中に神仏やご先祖様がいらっしゃる、という思いを持つ必要がある」また「有り難い、お蔭を頂いている、と素直に感謝することが大切である」と繰り返し説かれました。
ダンマパダ(180) です。
「自分を救えるのは、自分自身である。
他の誰が救ってくれようか。
自分を正しく、制御して、初めて
人は得難い救済者を手に入れるのだ。」
ダンマパダ(1)です。
「ものごとはこころにもとずき、こころを主とし、こころよりなる。
よごれたこころで語り、行うなら、苦しみはその人につき従う。轍が車輪につき従うように。」