今日は知恩寺文殊堂の出船祭です。
京都府宮津市知恩寺文殊堂の出船祭です
智恩寺には、六~七百年の古文書、「九世戸縁起」があり、これに基きこの出船祭が行われるようになったといいます。「九世戸縁起」の概要は「伊弉諾尊・伊弉册尊が地上に荒れ狂う竜神に手を焼き、中国の五台山におられた文殊菩薩を龍神の導師である、としてこの島に勧請したが文殊菩薩はこの島で千年の間説法をされ竜神たちは改心し仏法の守護神となることを約した。そこで天橋の浦を千歳の浦といい、説法のお経を置いたところを経ケ岬といい、文殊菩薩の如意が浮かんだ所を天の浮橋といい、着かれた地を宮津といいう。竜神たちが文殊菩薩から戒を受けたところを 戒岩寺といい、文殊菩薩が獅子で上陸された所を獅子崎という。如意を海に浮かべた天の浮橋に、龍神が一夜で土を置いて島にしたがこの島にまた天人が天降って一夜で千代の姫小松を、松明を点して植えていたが夜明けになったので松明の火を置いて天に帰った。
火を置いた所を火置(日置)といいこの島が天橋立。
天神の七代がすぎ、地神の二代がすぎ、合わせて九代でできたので、この土地の名を九世戸と名づける。
その後、九代をかけてできあがった天橋立に文殊菩薩をお迎えすることになり、海には龍神の龍燈、天には天燈が献じられ、人々は海上に松明を照らし、船を出して文殊菩薩をお迎えしました。これが今日まで伝わる七月二十四日の出船祭りの始まりである。」
京都府宮津市知恩寺文殊堂の出船祭です
智恩寺には、六~七百年の古文書、「九世戸縁起」があり、これに基きこの出船祭が行われるようになったといいます。「九世戸縁起」の概要は「伊弉諾尊・伊弉册尊が地上に荒れ狂う竜神に手を焼き、中国の五台山におられた文殊菩薩を龍神の導師である、としてこの島に勧請したが文殊菩薩はこの島で千年の間説法をされ竜神たちは改心し仏法の守護神となることを約した。そこで天橋の浦を千歳の浦といい、説法のお経を置いたところを経ケ岬といい、文殊菩薩の如意が浮かんだ所を天の浮橋といい、着かれた地を宮津といいう。竜神たちが文殊菩薩から戒を受けたところを 戒岩寺といい、文殊菩薩が獅子で上陸された所を獅子崎という。如意を海に浮かべた天の浮橋に、龍神が一夜で土を置いて島にしたがこの島にまた天人が天降って一夜で千代の姫小松を、松明を点して植えていたが夜明けになったので松明の火を置いて天に帰った。
火を置いた所を火置(日置)といいこの島が天橋立。
天神の七代がすぎ、地神の二代がすぎ、合わせて九代でできたので、この土地の名を九世戸と名づける。
その後、九代をかけてできあがった天橋立に文殊菩薩をお迎えすることになり、海には龍神の龍燈、天には天燈が献じられ、人々は海上に松明を照らし、船を出して文殊菩薩をお迎えしました。これが今日まで伝わる七月二十四日の出船祭りの始まりである。」