福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

四国八十八所の霊験その79

2014-07-18 | 四国八十八所の霊験
55番南光坊の隣は高野山今治別院です。ここの前身は蔵敷八幡宮(いまはない)境内にあった須弥山妙観院正福寺で、慶長7年(1674)、今治城築城のために蔵敷八幡宮が遷座した際、別当寺として創建されたとされます。明治の神仏分離で廃寺になった後、明治16年(1883)高野山より弘法大師の御尊像を迎え、高野山出張所として再建、大正2年(1913)現在地に移転、同11年(1922)高野山今治別院と改称しています。鉄筋コンクリート造りです。 境内にはよく幟がたっておりいろいろ仏事をとり行っている様子です。境内には日切地蔵様や弥勒菩薩、ぼけ封じ観音、慈母観音様などがおまつりしてあります。いつもこれらの仏様を拝んでいきます。

56番泰山寺へは簡単な一本道なのですがよく迷います。1回目も迷ったので2回目は南光坊の塀までもどり納経所で教えられたとおり塀に沿ってまっすぐいきました。

3キロ位で次の泰山寺へ着きます。
56番泰山寺に掲示してあった縁起です。
「この一帯は、その昔、近くの蒼社川がたびたび氾濫して多くの人命が奪われていましたがある時、お大師様がこの地を訪れ、堤防を築き、土砂加持の秘法を修したところ、満願の日に延命地蔵が空中に現れました。 大師は地蔵尊を刻んで本尊とし、寺を建立し、寺名を延命地蔵経十大願の中の第一『女人泰産』からとって泰山寺と名付けました」とあります。。(十大願とは女人泰産・身根具足・衆病疾除・寿命長遠・聡明知恵・財宝楹溢・衆人愛敬・穀物成熟・神明加護・証大菩薩です)
境内の「不忘(わすれじ)の松」はこの時、大師が記念に植えられた松であると伝えられていますがいまは何代目かのまだ若い松でした。
泰山寺の「塔の元」という場所は、鎌倉時代の学僧で、『八宗綱要』を撰述した凝然の誕生地とされています。


昭和56年発行の朝日新聞「ふらり巡礼」には当時の56番泰山寺では「他のおおくの寺が宿坊を廃止するなか、 100人は泊まれる宿坊を続けている。」とか「住職もお遍路をしつつお遍路さんに「同行新聞」を発行している」という趣旨のことが書かれています。
いまはどちらもやっていませんでした。しかしそんなことは我感知せずとばかりに年末の閑散とした境内に若い夫婦らしき遍路が来ました。


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